マスコミは、中華思想の皇帝を支持した。
しかしそれは、結論で皇帝創作により五歳児を焼き殺し、次のそれもまた、自分の娘を嬲り殺す、と言う大きすぎる過失を起こし、破綻した。
マスコミは、”それ”を支持したのだ。
彼らが皇帝を支持しなかったら、皇帝は破綻しなかった、かもしれない。
だから。
”その”マスコミを容認する、認める、それはもう、有り得ない。
今更、”マスコミ”は、道祖神その存在には、戻れないのだ。
自身の妻にさえ相当する存在を、結局は殴り殺してしまった訳で。
世間はもう、”それ”に対して必要性を認めない。
”そこ”には、価値がもう発生しない訳だが。
この辺の執着?に関して、どうしても出てくるのが「対魔忍ユキカゼ」このキャラ、ではある。
平成特有の感覚で嬲り殺す様な絵を描いた結果か、”ここ”には何だか、永劫の穴が開いてしまった。
主観的には、”ここ”に有るのが、その道祖神ではあって。それを彼らは、ためらいなく破壊してしまった、訳だ。
”それ”が何か、解らないまま?
ともかく、結果は結果ではある。この過失はもう、結果が出てしまった。
自分の娘を殺した栗原容疑者が、或いは反省の弁を述べた所で、世間か或いは司法は、それに温情を向け、もしくは社会復帰、或いは映画監督、そう言うポジションを、許容するだろうか?
その不可能に、今のマスコミは挑まねばならなくなった訳だが。主観としても、それは有り得ない、しかし。
”ここ”に実は、アメリカの原爆投下も「有る」のだ。
だから、何かの切実さを持って、彼らは何かの、強力な支援と共に有る。
ただ、それは何を言い出すか?と言うと、要するに「イスラム国」だ。
イスラム教本来の主義主張を無視し、勝手な解釈と共に、核兵器こそ正義!結局意味的には、”それ”を剣呑に主張し始めて。
良くも悪くも、世間の”何か”は、彼らを強力にバックアップもしてしまった。
もちろん、「勝てはしなかった」のだけど。
ともかく「対魔忍ユキカゼ」の様に、世間へ取り返しのつかない悲痛を与える事には”成功”した。
この辺に関し、アインシュタインの「正義」が”負ける”時、大きな崩落はある…とは思うのだけど。
そもそもアインシュタインの主張を世間が聞いたか?と言うと、結局は権威性を盾にしていた、に過ぎない、気はする。
本人の想定を離れた所で、それは極論化して行ったに過ぎない。何も考えずただ、「これさえ有れば!」それを妄信してる人々も大勢いる、可能性の方が高い。
「夢オチ」にする時、ユキカゼの話なら、例の恋人?それは「居なかった」と言う事にするのが一つの解決ではある、が。
そう言う問題だろうか、そこは謎だ。
今更、恋人を私欲の為に殺した様な男に、社会復帰、或いは権威を認めろと?
都合のいい事を考えている、気はする。
公私共に忙しい、のに。
妙な動画を一日創ってる自分は、一体。