令和が始まる際に対して、懸念はある。
果たして皇后陛下は、「ガンダム」その認証を認めるのか?だ。
ぶっちゃけ、民主主義的な感覚では「意味が解りません」その辺が返答な気はする。
ただ、そこは皇室である。”彼ら”が何らかの形であろうと理解してない、筈がない、とは思う、何せ自身を護る為の防壁でさえあるわけで。
ともかく思うに、「マスコミ」それは、ガンダムで言う「最後の神判者」を制御せん、そう言うパワーの事、だ。
右か左か?を問われた際に、その声を無視出来ない状態であれば、”それ”は無責任に、しかし強力な権力を保持形成できる、訳だ。
平成の時だって、それは大きな問題には成ってきた。
そしてそれは、「大賀さん」その発生により、大分、弱体化はしたのだけど。
天皇陛下が変わった。
平成皇后陛下は、良くも悪くも古いタイプの日本人女性ではあり。だから、天皇陛下が決めた事に逆らうタイプではなく、異論もあまり見せない、気はする。理解は出来なくても、だ。
しかし、令和天皇陛下と、皇后陛下は、どうか。
良くも悪くも、特に皇后陛下に関しては、かなり民間人の感覚が有って…つまり、「天皇相手だろうと逆らう」感覚、”それ”がちょっと、ある。当人なりの正義が、しかし皇室での”常識”から批判される時、そこには重いストレスと共に、逆に不満、否定、そう言うのが膨らむ、可能性は多々、ある。
民主主義的に言えば、それは間違っている。
それを、平成皇后陛下は、容認出来るのか?だ。
その時、それは平成天皇陛下の「認識」にも、重い影を落とす訳だが。
天皇陛下は、日本の「市場管理者」である。
自分の理解では、天皇家が世襲で有る限りは、「機動戦士ガンダム」そのモビルスーツの”造形”がそれほど大きく変わる、事は無い、筈だが。それでも?「ガンダムUCのモビルスーツより、08小隊のその方が好みだ」的な、そう言う意向を見せる時、市場には何らかの影響が発生は、する。
この「個人的感覚」が、”市場に存在していい物”を制御し始める訳だ。それが「市場管理者」と言う立場であり、これがその国の「お国柄」を形成する。そしてつまり?この決定に関し、皇后のポジションは最も重大な決定権を握っている、訳だ。
”そこ”をコントロール出来れば、市場全体さえ?
この時、皇后陛下には何かの重大な危機が発生し始める訳だが。
理解としてはあの、ホクトのCM「どっちのキノコ?」”あれ”では、ある。今までは、”これ”がそれほど問題には成らなかった、何故なら”ガンダムが有るから”だ。しかし?問題に成らなかったのは、平成皇后陛下が、平成天皇にある意味で、依存してたからではあり、最終的な決定に口をはさむ事は恐らくしなかったから、だが。令和皇后陛下は、そこに或いは、疑問がある。
民主主義の方が、上なのだ。
日本は太平洋戦争で負けたのだ。
正義とは、どっちか?
「面倒だから」で、「ガンダムは認証機関である」そこに廻してしまえば良い、が。
「ガンダム」それは天皇陛下に変わり、不特定多数の「認証」をしかし、民主主義的に受け持つ無形の機関である。”これ”が無いと、天皇陛下は数多の側室を持たねばならなくなるが、それは時代として許されない。その造形での売れ行きによって”標的”の市場範囲は変わる、天皇陛下はただ、「そう言う事は、”それ”に一任する」と理解して貰えれば、後は”機械”が上手くやる。
と言う納得が得られれば良いのだけど。
民主主義的に、疑問がある。
何だか、懸念がある。
大丈夫だろう、とは思うのだけど。それでも、バンクシーの絵を、マスコミが妙に持て囃したりする、そこには何かの危機感、「マスコミはまだ諦めてない」そんな、悪夢は不意に感じる訳で。
今はもう、「令和になった」のだ。決定した、もう覆らない。
それでも、それは「まだ何とかなる」何か、するつもりなのか。
説明し切れないのは、果たして。