簡単には終わる事態でも無い?
しかし、一応の帰結は有りそう。
ビートたけしは”終わった人”です。
期待しても意味はありません。
的な断言で諦める、そこが帰結だろうか。
映画が儲からなかった、それはしょうがない。独裁性の強い現行のシステム?では絶対に利益は望めない…過去の映画産業もそうやって衰退した。技術的にヘタだ、それも諦めるしかない、或いは芸風?だ。昭和の頃、伝統芸能を軽んじる風潮は強かった、ビートたけしはそんな風に乗った訳だが、その時、テレビは大いなる加害をしてしまった訳だ。
呪いの様に、今のビートたけしは何かの「晒し者」として、テレビに出続けている。
用も無いのに、何で居るんだろうねこの人。
その「いる必要が無いのに居る」人が、居ないか?と言うと…実際、世間には盛大に居るのだ。テレビが視聴者により成り立つ時、或いは高齢者の多くが今、”そこ”に依存はする。何も出来ないのに、ただ人の迷惑に成りつつ、生きている。人間誰だってやがてはそうなる、若くたって、そんな状況は存在し得る。それを切り捨てるのか?と言うと、切り捨ててきたのが「表側」で、ビートたけしはその、フラグシップ的にあって。責任の様に、自分でも感じはするのかもしれない、「居る必要が無い」なのに居る存在として、そこに。
そこに発生する暴力性?それは、その辺が起点…なのだろうか。
借金に関しての要求は、「返済は出来ません」それで諦めるしかなく。テレビでの需要はまだ有る時、或いは、利子位は?返済できる訳で。一気に返す事は出来ない、それは日本の借金であろうと”そう”だ。利子さえ返し続ける事が出来るなら?借金はむしろ国家の財産でさえある、国債の考え方。そう言う意味では、”そこ”は何かの諦めをするしかない訳だ。面白くない、不愉快だ、だったら見なければ良い、ネットには、他に幾らでも面白い番組?は、載っている。そしてビートたけしの様な境遇の視聴者は、主にシニア層を中心に、かなり居るのだ。そんな彼らが、ビートたけしを支持している。視聴率10%の中に自分が含まれてないとしても、それは、問題に成らない。
ビートたけしの親の様な、”それ”が、そう言う存在だとしても。
それよりも問題は、”ここ”に妙な期待?パワー、制御を求めるそれは、「昭和天皇の様な存在を求めている」可能性が高い、事だ。「大賀さん」紛争解決機構での決着、では無く。この時、表に「紛争解決機構」は存在しない、あるのは何かの独裁性だけだ。”それ”への反発が有る時、世界は何かへの、戦争を始めてしまう。
その時、自分は発生した騒乱自体には無関係、だ。「大賀さん」の決定に逆らう時、それは物理に逆らう位に無理が発生し、時々、物理的な被害や犠牲も現れる。本来の想定では、「大賀さん」の決定に逆らう相手に対処する為に、実際の武力が必要になる、悪として殲滅する!為だが。「表側」がそれを、内乱的に使用する時、裏側には出来る事はあまり無い。
「大賀さん」紛争解決機構、ゲームセンターに有る「電影旅団オーガ」それが、”表”に現れるのは、何時になるのだろう(-_-;)。