あげちうのブロマガ

大晦日に遊ぶゲームを探す旅

大晦日である。

しかも大雪に見舞われ、すっかり冬化粧、正月飾り等々もスタンバイし、いよいよ新年ではある…しかし。

人込みで賑わうスーパーマーケットなどには、しかし、奇妙な威圧感、恐慌するプレッシャー、風邪をひきそうな…そう言うのは、重い。


結論的には「お金の問題」ではある。

ただ、古い世代は他人が没落して自身が富む事に、或いは否定感が無かった。ユダヤ教の王、その原理だろうか、ともかく金本位制、それはそう言う感覚を世間に強いる。「食い扶持が一人減ればその分、分け前は増える」のである。新しい文化が栄えるなら、古い文化は切り捨てていくのが世の習いだった。

「お金」は有限なのだ。

そして、何故か人口は増え続ける時、そこには恐慌が有る。
自国を優先し自国に富を集める時、外の増えた人口は数少ない富を巡って争う事に。
そこに有るのはハイパーインフレ、そして飢餓、或いは内乱ではある。
「困ったね未開人は」的なそんな意識を”普通”に持てないと、良識にはストレスだ。
気づくと実は、シニア世代それは、何処か何か”壊れた部分”はあるのだけど。

その、今の世相を支配するシニア世代を殺さない様に意識するなら、正直言うと金本位の壁、この先に進めない。旧ナムコのゲーム基板「システム2」、それは或いはユダヤ教の王か、その願いを背負った「平成を昭和の継続として支えんと構築されたゲーム基板」だがそれは、何かの構造的欠陥だろうか?ともかく今も、「ストリードの連携」それを受け付けない、感じ。「神殺しの槍」だろうか…”その否定”と言うべきか。この環境で”それ”を可能性としても持ち込む時、その持ち込もうとした奴は?如何なる理由或いは濡れ衣であろうと、極悪人に近い。

神は絶対なのだ、”それ”を殺す事は許されない。

そして、「ストリードの連携」それは、その神様こそを消そう、そんな”何か”だ。


金本位制と、人本位制、その対立の結末は何処か?は、今も微妙に見えない。現在の新型コロナウイルスの猛威、それは何処を起点にするのかもよく解らない。データ的には、威圧、強制力、「金出せって言ってんだよ!国の命令だぞ!」で金が無くても通ってしまう、そう言うパワーの結果がこの病気の発症に繋がる、訳だが。シニア世代を護らんとするからか?それとも、シニア世代を殺そうとするパワーが凶悪なのか。ともかく、強奪連鎖の末端それは、意外にも「反逆者」には成る。”神”の決定に逆らう時?そこに富は発生しないからだ。”そこ”を消そうとすれば、自身が逆に死を願われるのだ、殺す事は出来ないしかし、そここそが、神の死を願う、そんな場所かもしれない。

金本位の倫理観?を引きずりながら、奇妙に人本位が混ざっている、そんな混沌。

難しい話は分からない、ともかくどうすればお金は儲かるのか?
その疑問は現在、膨らんで重くなっているのかもしれない。

”結果”はそして、微妙に隠蔽されているのだ。

2020年は、静かなる騒乱と共に終わっていくが。
それは始まりでしかない、そう言う事、だろうか?

動賀正昇、それは成ったか或いは。
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