「面倒」には色々理由がある。
ビートたけし氏が「面倒」なのは、そこにどうも、「問題その物は無い」事だ。あるとしても内田裕也氏程度の”それ”は、責任を問える様な犯罪では無い。その上で、それが目指す理想は、今は損失を出しやすい。
そして、”その”世間は、それを支持してきた。
年功序列、その功罪ではあり、そして超えられない壁ではある。問題の無い先人を超えんとする事は、実際は犯罪にさえ匹敵する。皇帝創作、実は”その罪の原理”かもしれない。”それ”がそうである理由は、問題の無い結果を積み上げた先にそこに有る。その上で暮してきた人々に、それを否定出来る理由は無い訳だ。
その上で、彼らの方法論は今、”ゲーム業界的には”鬼門である。
平成は、良くも悪くも、”これ”を超えんとしてしまったし、自分も実際は、それを支持してきた現実は、ある。結果は、惨憺たる有様、と言うべきだろうか。平成はまだ平和だった、それは先人が残した紛争解決機構、”それ”による物でしかない。その外は、結構戦争のネタが絶えず、考えたらイラク戦争は、平成に入っての本格的な「近代戦」として後世に語り継がれる”現実の”戦争である。太平洋戦争を経ての先人らの意識、それは正しかったが、良くも悪くも当時の若人らは、”それ”を超えようとしてしまった。認識の甘さではある、それは、単なるアニメ作品でしか無かったのだ。
新たなる時代を切り開くために!
悪魔とも契約した、結果は、悪魔が期待したそれでしか無かった。
結果オーライ、と言うべきだろうか、個人的にはそうも言い難いが。ともかくそんな先輩らの苦闘の残骸から、自分は今、まだここに居る訳だが。「令和」それは、自分の感覚としては自分の意向と合致するが、世間のニュアンスとしては発表当時の感覚だろう、ちょっと意外性と言うか、戸惑いはある。或いは?この時代なら、平成では難しかった「独裁創作での利益性」それが有りえる、可能性はある。
根っこに紛争解決機構の先にアナログを廃した「大賀さん」それがあるから、だ。
寿
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大賀さん
”その前では”全てが平等である、元「王の権威」であろうと、だ。査定として問題なければ、”それ”は価値としては認められる。そして?インターネットへの接続権の様に、”それ”に対して妨害する、それは権利の侵害であり、犯罪である。特別は、”理解としては”居ない。自分の世代は同人世代ではあり、創作での利益性は、小遣い程度にしか考えてない感覚はある。「ちょっと儲かった」感覚が有るならそれで良い、みたいなそれはでも、二つ前の世代には、何かの違和感と共に残るのかもしれない。
一か八かの大博打に勝って行く奴が偉人に成って行ったのだ。
「どうなの?」それは残る。
ともかく”それ”を食って育ってきた世代である事は間違いなく、”それ”がまだ、意識に残るそれも現実ではある。度々作っては「ダメでした」的な話を繰り返してる自分は、果たして何を目指してるのか、自分さえ今は不鮮明だ。
壁の前には居る。
ただ、それは自分が創った壁だ。