あげちうのブロマガ

地球が凹む日

人間には差がある。

という物言いを否定するには、相応の「事実」が必要になる、訳だが。


ともかく、「物理演算」は根本的にはさほど、難しい概念では、無い。
要するに衝突判定と反射の設定を如何に物理的挙動に近づけるか?と言う事で。
それが出来る時、”連結”に関しては、つまり「その連結点で物体同士が衝突したが離れてない」その処理をどうする?でしか無くて、それはちょっとした数値の操作ではあり。
その辺、要するに「ゲームの当たり判定」と「キャラクタの挙動」なのだが、”それ”が現実に近い、と言う事に価値がある、だから。

…ぶっちゃけ、その辺”手で”つけられる、表現できる人々には、物理演算の重要性はあんまし理解出来ないし?必要性も薄い。「アニメーション」とは、単純に”手で描いた絵”の連続で有り。そこにあるのは、人間の技術と脳内の把握、だけだ。昔のアニメは”それ”でサーカスやってた訳で。

とは言え?つまり「現実的挙動の理解」に価値は無いのか?と言うと、要するに「アニメの価値」に根っこでは繋がりはする、訳だ。どれだけ現実に接続しているか?事実では無く。それは、現実へのフィードバックのし易さ、そこにもかなり影響を受ける。その時、現行の物理演算はダメで、アニメ的なアナログ表現は良い、その理不尽な”差”とは?

「物理演算を理解しているのは俺だけだ」

”これ”は、現実では無い、訳だ。その領域を、非現実にしてしまい…そこにある価値を喪失させてしまう。


しかし、打開は面倒ではある。

つまり、「誰でも出来る」その証明が必要である、のに。「俺しか出来ない」そのパワーが邪魔をする、訳だ。ゲームのスキルならまだ良い、「巧い」プレイそれは誰でも出来る様な気がするのに、出来ない。それは努力が足らないから。しかし?「解らない」それは、鍵を持ってるか持ってないか?そう言う差ではあって。

目の前でサイコロの出目が1/6である理由は、誰でも知っているのだ。
なのに、物理演算の世界では、それはその一部にしか解らないのだ。

結局?エベレスト登頂と同じく、第三者にも出来ないと、それは価値的な評価に成らないのだ、物理的な話、「人間は等価である」それを否定する材料は価値が下がる。この辺、物理的事象なら、特に第三者が達成しなくても良いが、コンピュータではそうも行かない。「どうやるんです?」それは、それを発見?した人にしか解らない。その時。

ともかく?それを第三者がクリアする必要が、有る訳だが。「王の権威」みたいな話、だ。「その人が出来れば誰でも出来る事だと証明出来る」そう言うポイントの様な場所が、有る。その人がクリアしないと、この混沌は晴れない、訳だが。

状況は悪くもなさそうだが。

抵抗は、ちょっと有る。

果たして。


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