”そこ”にある、責任の問題もある。
「モンスターハンター:ワールド」ともかく好評ではある。一応今回、「仕事なんです」的な、モンスター狩りの理由?として、割と納得できる”感覚”は、ある、様な気はする。この世界の魔物は放置してると、「世界が滅ぶ位に増える」のだ。だから、”その為に”人間は居て、そして力が与えられている。倫理観が一般論とは、全然異なる感じ。
…しかし、問題?はやっぱり残る。
「このモンスター、狩っても良いの?」やっぱり出てくる、そう言うモンスターはまだ、居る。感覚論でこのゲーム、”現実の”障害に成りそうな大きな声、を倒す、という観点から始まってる感じで。当初は「中華思想の皇帝」その辺がターゲットだが、しかし”それ”は王の権威にも偏向した結果、そこには作品に、重い否定感は同時に発生はしてた訳だが。何とか?その辺、経済的な貢献へは補正されたにせよ、残る声はあって。
「物理演算」も、どうもそんな声の一つとしては、ある。
「物理演算使わないの?」
動画を見てる限り、モンスターハンター系には実は”それ”は、殆ど使われて、無い。既存のアニメーション技術、その動員であり、「モンスターハンター:ワールド」ではその辺、更に進化?してて、印象も雰囲気も、まるで映画の様。動員されてる人員コストは洒落に成らない筈で、そのコストを考えるとうすら寒くもあるが、流石に500万本も売れる、と言う時にはそう言うモノなのだろう、それは思うが。
「物理演算、使わないの?」
ちくちくちく。
この辺、プロデューサーの意向、ではあるのだ、ろう。何となく解る部分もある、好みの問題だ。衝突してる何かはまだ、ちょっと残っていて。Aの声で統一したい時、どうしてもBの声が混ざってくる…、それに対して、”この”作品としては「うっさい!」単純な返答で否定してしまう部分はあり。
何となく、その辺で微妙感は多少、残っては、居る。
この辺、ファミリーマートのCMとか、店長が紹介する隣でファミチキ君五月蠅い、に近いのだが。同意も有りつつ不特定多数に否定が向いてしまう部分に、反論も発生はして。その辺で今回?「物理演算が理解されないのは使いにくいから」的なアプローチが成功してたら、多少は緩和されてるかも、しれない。
経済的なベクトルとしてはその辺、ある程度の合致はしてるのだ。人員コストを消費した方が経済的に貢献はする。しかし?物理演算を多用した方がハードパワーに負荷が発生し、”その”市場的には新たな市場が開拓?はされる。「いや自分、そう言うのすかんし」しかし。
トビカガチが、妙に可愛い。