あげちうのブロマガ

勝者を目指す敗者

イスラム国は、太平洋戦争時の日本、なのだろうか。

核兵器が使えない今、彼らの抵抗を止める術はまだ、微妙に無い。


人工衛星的な視点で何が解るのか?と言うのはある。ただ不意に、「戦争がしたい」もちろん太平洋戦争のリトライだ、そんな衝動にリアリティがある事に…不意に意識が。シニア世代かの、何かの頑迷さ、その根幹。最後の最後にある、願いが叶わない場所、そこに有る理由。彼らの願いとは、何か?


「勝つ戦争がしたい」のだ。太平洋戦争あれは、何かの間違いだ。太平洋戦争は勝たねばならなかった、そうで無ければ、正しくないのだ。


紛争解決機構で負けて、そして「戦争ゲーム」でもその、「期待される戦い」が出来ない、勝てない。ストレスだけが残る、湧き上がる反論は理屈で抑え込まれる。物理的な、悲劇的な戦争をしない為にこれらはある。負ける痛みは否定の理由だ。「戦争は良くない」それを理解する為にある。現実は問題なく再現されている、ここでの戦いは現実にやったのと同じだ、単に「夢オチ」に終わるだけだ。素晴らしい事じゃないか?

「そう言う事じゃない」

表現としては「勝てない事がおかしい」のだ。負けると言う現実に同意できない、そして”それ”はどうも、「太平洋戦争にも」通じる。「負けた」と言う現実に同意出来ない、何かが、狂っている。


それは、おかしいのだ。それにこれは、”あの”太平洋戦争の当時の戦場じゃないのだ。何か何処かが違う、知りたい?のは、当時なぜ負けたか?だ、誰が悪かったのだ?

とにかく、「負ける筈が無かった」のに。


理解が正確なら、太平洋戦争後、日本は何故か「勝者として」王の権威を受け継ぎ、昭和天皇がその、所有者になった。形式上は負けたまま、何故か日本は優遇され、空前の復興と好景気、高度経済成長に入り、一時はアメリカさえ凌駕していく。日本の軍部はこの時、「戦争に負けた」結果を受け入れざるを得なかった。アメリカは逆に、「核兵器を使った」過失を問題視されてしまった。シニア世代の99%以上が総じて「敗者である」そう言う屈辱の中で、或いは生きてきたのだろうか。勝った筈なのに、負けのフラグが消えない。

「勝者に成りたい」のだ。
ただ神様は何故か、どこまでも彼らを勝者にするつもりが無い、らしい。


「ガンダム」昭和天皇?その願いか意向により、戦争は仮想現実で行う事になり。結果的に、”彼ら”の願望が…表を制御し始めたのだろうか。平成になり、昭和天皇の威光が弱まった事で歯止めが効かなくなり。彼らは「勝者にならん」その衝動を満たさんと或いは自覚無き暗躍を始め。平成の大不景気その他を経て、それが結論で今、「イスラム国」それとして、”何か”を再現してしまったのかも、しれない。

勝てた筈なのだ、一億総火の玉だ、何を犠牲にしようと、耐えれば。


この辺、どっちなのか?は良く解らない。「勝てた筈」なのか、「勝てる筈」なのか。ともかくアメリカ軍は何故か、核兵器を撃ってしまい「概念では」負けになった。”それ”による勝ちを目指すなら、イスラム国は何処かの国に「核兵器を撃たせれば勝ち」だが、流石に今は…無理だろう。なら旧日本軍は、引き籠り、国民を生贄にしても耐え続ければ勝てたか?現状はじり貧だ、首謀者が死んだと言う話もある…或いは既に、事実かもしれない。

勝てない、敗者だ。その時、或いは再びだ。人生を賭した博打は、「全て失いました」そんな結末を迎える。「愚か者」そのフラグを或いはまた、重ねる事になる。勝者らの、歓喜の宴が、その頭の高い解り切った説教と言う名の侮蔑が、心を荒々しく削っていく。

”何か”が、間違っているのだ。

”衝動”が、消えない。

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