ストレスはある?
今後の環境に、「アダルトビデオ」その領域が”無い”のだ。
需要その物は、実は”侵略の肯定”である。「これは問題が無い」的な同意がそこに有る結果、それを見る人々は”その”行動を選択し得る。或いは?クライアントから「もっと」と言われた際に、それに踏み込める、訳だ。昭和の利益性とは実際には”そこ”にこそあり、しかし、その際にそれはつまり、「強奪連鎖」その発生を誘発する。
何処まで一般論での「倫理に反する」を許容?しても、要求はそれを超えて押し寄せ、その先で末端は潰れる訳で。
これを避ける為に、現在の”雅”市場、ストリードの連携、大賀さん、そう言うのがあり、それが壁となって、「ガンダム」式の認証機関、それによる「領土」を形成し、ここは不可侵こそ正義、と言う感覚が、支配しつつはある。
ガンダムは100だがザクは20だ、”ここ”はザクの領域なんだから20で何とかしなさい、それは出来ます。
その「新しい」環境に要求される能力が無いと、そこにはちょっとストレスは、ある。
その、新しい環境が、既存の環境へと侵略している、そう言うのはまあ、感じる部分でもあって。古い環境は、「貸借対照表は一致するんです」を下地に、どうも剣呑と切り捨てを容認し、その切り捨てを肯定する「アダルトビデオ」にかなり重い需要が有る訳だが、ちょっとこれは今後、選択し難い。
前々から有る話。
300円と、生中ビールがある。両者は等価、この時貸借対照表は一致する。
ただ、この両者は10分もしないうちに、空の中ジョッキと、300円に成る。
”この時点で貸借対照表は崩れている”訳で。消えた中身のビールは何処へ?だ。
この、不足する「中身のビールの価値」をよそに求める衝動が「侵略」ではあり。
”これ”を補う為に、創作は可能性をそこに見せる。
1000円と、一枚の画用紙がある。もちろん、貸借対照表は一致してない。
ただ?適当な絵師が、この画用紙に何かの絵を描く。技術と労苦、それが必要だ。
すると何故かそれは1000円に成る。この後、「貸借対照表は一致する」訳だ。
創作の基本的需要は、”この”具現である。これが実現するなら侵略の必要性は無い。
そして?”これ”が可能なら、つまり「アダルトビデオ」そう言う需要も無い、訳だ。
面白いか?
というと、そう言う声がある、事に懸念はある、自分は問題ないが、古い世界から、一つの欠損が発生するのは間違いない。100しかない環境で120の仕事をする!と言うのが、何かのエポックかブレイクだった訳だが、しかし。その結果として昭和であっても、古い文化や田舎、パワーの低い領域は、それ以上に蹂躙され、消えて行った。
解っていて選択は出来ず、そして?創作が期待される絵を描く限り、その必要も無い。
1000円の絵としても、経年劣化、ともかく「飽きられる」それは想定内で、結局、同じような絵を、常に、定期的に、メンテナンスの如く、供給し続ける必要はある、訳で。それはでも、食事、”それ”とシンクロし、むしろ無限の需要がそこに有る、そう言う意味でもあって。逆に言えば?創作で消費より多い金額を「生成」し得れば、そこはむしろ膨らんでいく、訳だ、そして、売春などの肯定もその時、不要で有って。
その時、創作者は何をするべきか?だ。
フロンティアスピリッツを、未来に向ける事は出来る、領土の拡大は可能だ、虚無の空間へ挑む!のは、むしろ正しい行為であって。
ただそこには、結論で言えば、何も、無い。