あげちうのブロマガ

シンプルな要求と面倒な扉

殆どの人にとって懸念はシンプルだ。

「お金下さい」

そして、”ここ”のシンプルな返答が、微妙に通らない原因が有る。

「新聞記者」かつて売春婦を強姦して殺したのにそれを罪に問われなかった存在と、”それ”を知るが故に、それと同じ場所には行けなくなった、そんな「被害者」の”意識”だ。

今までの経緯?かで、「新聞記者」は、死ぬまで反逆者扱い、という罪状には成ってる。要求は「自殺に寄る死刑」であり、それを自身で執行しない限りは、という話。しかし、「反逆者」だから死刑、という事は無く、「働く」その要求には、抱える過失の内容それはほぼ無関係だ、単に体を要求通りに動かす事を求められている、だけ。

しかし?この結果か、この「新聞記者」は、”働く”その要素が有る、ほぼ何処にも現れる可能性がある、訳だ。結果、「被害者」は、その場に行く事が出来ない、つまり”働く”それが出来ない。現状での結論で、働かない限りは生活費は得にくい状況が有る。被害者は何故か、生活苦に陥る訳だ。

”それ”を補助するのは容易い、が。しかしその結果、「特別扱い」と言うフラグがまず、立つ。
そして、「仕事しろ」働け、これは常に、この被害者を批判する事にも成る、訳だ…或いは、極刑さえ求める位に。

このまま、「働けばお金は得られます」これを押して良いのか?場合によっては被害者を潰すかもしれないのに?

働かないとお金は得られないのだ。


不思議と、「新聞記者が居なくなれば」”それ”が通らない現実が何故か有る。「神様」にとって人一人を排除する事は別に難しくない、如何なる理由でも消す事は出来る。それをしない?と言うそこはそこで、何かの自己責任とは言いにくい理由だった、と言う面はあるのかもしれない。例外的な事例の存在を許容し得ない、と言う感覚は強く、それが昭和の感覚だったかもしれないのがまた面倒でもあり。

と言う感じで、今の利益性それは「被せ」それに依存していく事には成る。非公開に近い利益性のある作品を、”勝手に”主観で変換してコピー、自身のオリジナルとして発表。その後、問題が起きたらオリジナルに5%の支払いを約束する、事で問題その物は起きない、しかし。これはこれで、倫理的に不正を許容する様な…そう言うニュアンスは発生してしまう。

「被せ」その物は、一種のパクリ、不正に近いのだ。

それを定例化して良いのか?オリジナルの作者は常に、隠蔽されむしろ、虐げられる事に成る訳だが。

「お金が欲しいんですけど」

その要求の前で、何と返答すれば良い物か。

シンプルな返答、”それは言えない”のだ。

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