非常な原理、とは言える。
「現実的に考えたら、ブルーガンダムとゼータガンダムが存在した時、ゼータガンダムは使い物に成らない」
”そこ”にある衝動、それは現実を前にして、「これは漫画だ」その断言で消されてしまう。
もちろん?視点かの問題で、「ブルーガンダムが”無い”環境」それは存在する訳で、その時、その世界が現実なら?ゼータガンダムは最強のMSその一つとして不動だ、が。
この辺、”そこ”に通じるだろうか。
旧日本軍の横井昭一氏は、結局は”戦争が終わるまで”生き残ったのだ。
そう言う事例は、ある。
そして?”それ”を日本が選択し得たら、或いは戦争、という選択をせずに済んだ、かもしれない。
彼が、日本の王だったら、日本は戦争をしないまま引き籠って?生き残ったかもしれない訳だ。
全てが彼の意のままになっていたら、だ。彼は小さな、或いは一人の国として、その戦争を最後まで戦い抜いて、生き残ってしまった。
”それ”を言っても、しょうがない訳だが。
最善の選択が有ったにも関わらず、何故選択しなかった?
それを追及しても、今更意味は無い。
正直、横井昭一氏が問題なかったか?と言うと、結局は”その後は無かった”訳で。たった一人で、ジャングルの密林の奥で、世界全てを敵にして、戦い抜いたその最後は、どうなったか?と言うと…疑問の残るオチではある。ともかく「戦争」それを選択した時点で最良の選択では無かった、と言うのは現実だろう。その時、その全てが間違いであり、それは不用ではある。
それだけの強度を持つ存在が、何故、上の間違った存在の言う事を、素直に聞いているモノか。
それはそれとして、その人の個性、そう言うモノかもしれない。人間で有る限りは、何処か何か、欠落の様な部分はある。その人はその人の望んだ場所で、然るべき事をしただけの事だった。ただ、”それ”が後世へ繋がらなかった?と言うのは、何かの無念の様なモノは有ったかもしれない。
今更思い出す、「ブルーガンダム」その存在に、何とも混沌を感じたりはする。
衝動がある、戦争は決した、国は敵に乗っ取られた、しかし。それでも「まだ負けていない!」と言う、その時の衝動。可能性はそこに有る、それが出来ない、と言う事が、後世への何かの問題として残ってしまう、その可能性はリアリティかもしれない訳で。
あの時、アーケードゲームの世界は対戦ゲーム一色に成った、しかし!
ハードに不足が有った、それは確かかもしれず、現実か?ネオジオはその後も、つい最近までゲームセンターで稼働していた、のだ。それもまた、最後は負けていく訳だが、その前に、あのシステム2が期待される性能を持って居たら!それは何かの無念だった、ろうか。
無意味な衝動、ではある、たった一人の、アーケードゲームを製造する会社?それが何かの危機的状況を打開し得る、のだ。或いは、敗北をひっくり返す。
「いっき」と言うゲームその内容は、実際には、そんな挑戦ではあった。
昭和天皇にしろ、笑い話として許容した、が。