あげちうのブロマガ

沈んだ様な船の中で

当時の女子高生なら、言いそうな物言い。

そんな負け組なんかどうでも良いでしょ。

「虹色宝珠」に対しての評として、それは”それ”を非道だ、とは…言わなかったのではあるまいか。入選したにも関わらず、コンテストその物が消滅、それ以後は無かった事に成ってしまった…その、或いは昭和天皇の影響が残る、”認証”された「最後の作品」だ。認められない作品は大勢有る、同人ソフトとして力作が売れないなんて事は良くある話だ。もちろん?自分はそんな地雷を踏むつもりはないけど。

…そのJKがその後どうなったかは、中々面倒な話としては、ある。


独裁創作は、その作家の個性と言うか…声に出さない声?そういうのまで、結局は拡声器にかけて、声として外に出してしまう部分は有って。最終的には個性が問われてしまう、その時、幾ら力作でもハイセンスでも優秀でも、最後に「そんな奴の作品なんかどうでもいいから自分のを!」その声が有ると、良くも悪くも当時は、大いなる失望と否定を受けてしまった、それは当人には…理不尽さはあるのかもしれない。なんせ、その否定された「虹色宝珠」の作者こそが、次の「王の権威」認証の最上位、だった訳で。とんだ地雷である、自分がそこにさえ居なければ?もっと話は変わっていたかもしれない。

自身が”それ”を理解した上でも、まだやっぱり、適当な否定感は残ってしまう。
当時のシステム、「王の権威に認められれば」その結論の様な話、個性まで含めて肯定出来ないと、それは認める事は出来ない。

個性関係ないのでは。

当然の反応だが、その個性から、問題になる「そんな負け組の作品なんかどうでも良いだろ」”それ”が出てしまう現実は有って。もちろん?「売れなかったって事は、ダメだったって事だろう?」とか正論を言う個性よりは、今の理解では好ましいとさえ言えるが。平成の間中、「王の権威」それは、”ダメの象徴”だったのだ、ああなってはいけない。当時を考えると、意識は奈落に堕ちていく感覚は有る。

もちろん、今も本質的には継続中だが。

”それ”を何とか止めているのも、やっぱり「虹色宝珠」それでは有るのだけど。それを駄目と言う奴らの作品は、一時は良くても結論で墜落して、思い出したくもない物になって行った現実は、ある。今もまだ、昭和への望郷は強く残る、それはまた、前出のJKであっても同じだ。昭和なら認められたかもしれない物は、大きな変化で、大きな奈落に堕ちてしまった。

なんで?

視野範囲の外で起こったどうにもならない理不尽は今も、微かな不平と共に、魔物を呼び込んでいる。

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