地方と言うのは、弱い立場ではある。
地方の経済が悪化してる、自力で何とかしなければ!
「上から許可が出ませんでした」
それで、如何なる方法論だろうと止められてしまう現状は、相変わらずある。
それで地方が疲弊しても?国家権力側はそれを意に介さないまま…税金を徴収に来て、無理難題を押し付けても行く訳で。
残念ながら平成は、その殆どが効果を出さないまま、地方は衰退の一途を辿った。
そんな「お上のお達し」が、ともかく地方としては何よりも脅威ではあって。
それはまあ、今回の新型コロナウイルスで嫌と言う程か、理解された部分はある。
「ウチでは発症してませんけど」「お上のお達しです」で、イベントだけじゃなく、商行為の全てが禁止されてしまうのだ、今の所、日本は要請止まりだが、”テレビは”そのつもりは一切ない。
自粛しないだと?!この非国民がー!!
…とか、突然警棒かなんかで店を破壊し始める位の、或いは悪夢は、しかし割とリアリティがある。「権力」と言う基幹が何処から始まる物か、それは中々に解りにくく…実際にはそう言うのはまあ、テレビアニメか何かの領分ではあるのだが。近年か、”その辺に”疑問、或いは打開の視線を向ける事は許されなくなった…感覚もある。
「皇帝創作」その悪影響は、何だか考えると多岐に渡る。
”成功した作品”を土台にし、しかし実際にはDisりつつ自身の優位を主張する”これ”は。実際には利益に成らない、「土台」を認めた人々を否定する事に成るから、だ。それは怒気をもって「お前の作品は買わない、絶対にだ」そう、断罪されてしまう位の否定を受ける。それは道理ではあるのだが…創った側にすると、何とも理不尽ではある、様な。
ともかくそう言う作品を創る人々に、「それは売れない」それへの納得は無い。
ともかく「自分の方が上手いのに!」的な感覚は、実際にはかなりトンチンカンな事を言っている場合はある。”その”作品は長野県の問題を扱っているのに?それに対して被せて結果、皇帝創作に成ったそれを、彼らは富山辺りで売ろうとする。「何の意味があるの?」ユーザー側の当然の、重い疑問に反論出来ないまま、”それ”は土台に成った長野県向けへ、”それ”をそのまま流してしまう、より凶悪に、だ。
そこでは「漫画として」登場するキャラクターが、彼らの作品では”実在する誰か”と成っていて。漫画とは言え、それを理不尽に責められるのは中々に不愉快な話だ。長野県で農作物が他県にかなり押されていて、明らかにJAの失策では?的に問題がある、状態になっていても。富山で該当する人物は既に問題を打開し、英雄とされている人物?かもしれない訳で。単に短絡的に「自分の方が上手い」で描かれたそれは、富山県にしろ長野県にしろ、酷く理不尽さを見せる事には成る。
と言う感じに、理由は今は解っている。
ただ、納得も同意も、彼らには無い。
と言う事は彼らは、また、同じ事を始める訳だ。
その度に同じ状況が発生し、「なんで?!」を蓄積し、それはどんどんと意図的にか、悪意と変質を重ねていく事には成る。
短期的な視点では、「新世紀エヴァンゲリオン」この作品が齎した後遺症ではあるのだけど。庵野秀明、という人物の創作は最初からか「皇帝創作」であり、実際には当時にしろ「売れた」と言う結果はほぼ無かった、らしい。とは言いつつ、「新世紀エヴァンゲリオン」でヒットしてしまった事は事実ではあり、それが結論で詐術的なモノだったにせよ結果、この方法論は一部で強力に支持されるモノには成ってしまって。テレビはもちろん、今だ”この”作品を捨てよう、とはしてない。
信仰の問題、だろうか。
「大衆は神である」
彼らは、”それ”に或いは裏切られ続けた人々ではあり。
「なんで売れないんだ!隣よりよっぽど上手いのに!」
面白くないから。
その果てに、「星の赤子」の実在性を論じる場は有るのか。
アインシュタインが「解らない」とした部分を神の実在とする理解と、今の理解と。
混沌はまだ、微妙に晴れていない。