懸念はやっぱりある。
ニコニコ動画が想定通り、「創作行為を娯楽として楽しむ」メディアだとした場合、チャンネル化しても、”同じような”倫理が適用されてしまう、訳だ。
つまり、期待し得る利益性に対して許可が出ない、懸念がある。
自分の把握が、ちょっと現実と適用し難い状況も有る。
ともかく現在の自身は、独立してのそう言う事がし難い、何かの監視下のまま、だ。
Youtubeでも現状カウンタは止まっているので、どっちに行っても利益性は無い訳だが。
”それ”が果たして、今の自身が「経営者的立場」でありかつ、「創作に利益性を求めている」から?かどうかは、ちょっと解らない。
だったら、理解はまだ出来るのだが。
ともかく自身の信仰する神は、自分にこれ以上の打開、そのルートを見せてない。
何か、面倒を抱えた障壁が有り、それは個人では突破し難いか、すべきでは無い、そう言う物だ。
「では、どうすれば?」
ともかく、そう言う物を原理に問い続けるしか、今の所は。
ただ、或いはそう言う果てに、あの京都アニメーションの悲劇は有る訳だけど。
邪な事は、少し思う。
あの時、その「自身に加害性を向けていた物」も、一緒に燃えてしまったりしないか。
だったら、ニコ動は、その今までの経緯、それを気にする必要は幾らかは、無くなるのだが。
「中華思想の皇帝」が起きてから、結局は”それ”を背にして、ニコ動も始まる訳で。
その結果、現場レベルの感覚として、”ここ”は「王の権威」排除、否定、それに対して大きなベクトルを向け続けた。
ただ、MMDに代表される様に、現場レベルで皇帝が教祖化してた訳じゃ無く、適当な距離感は持ってた、感じも有って。
”その”「面倒な上」そう言うのが、あの火災で。
「誰?」
明確じゃない。
良くも悪くも、武本康弘氏は犠牲に成った。享年47歳だ。そして山本寛氏は、現在44歳。
アニメ「らき☆すた」は最初、山本寛氏が監督をしていて…途中から、「力不足」として武本康弘氏に、或いは無理矢理、交代させられた。この顛末を山本寛氏はかなり根に持っている様な…それは有って。武本康弘氏はそのまま、京都アニメーションの取締役にまで登っていく、しかし山本寛氏は独立後、何だか破産にまで追い込まれて。
そう言えば年下が先行した所を、年上が乗っ取る、と言う構図は何か、見覚えがある。
「黄昏の狩人」それは、そんなニュアンスで盗られた、のだ。
だから?
「因果」と言う観点で考えてもこの辺、あまり明確なイメージは、無い。
死者に鞭打つような真似でしかない、かも。
何にせよ、35人も犠牲が出たのだ。こんな話は終わりにしたい、それは切には思う。
とは言え、加害者側は、そうも行かないだろうか。
道を間違えた様な、「お金儲けは何処ですれば?」そんな混沌を抱えた船の行く先とは。