大衆は神である。
なので、”その”思惑次第では、天変地異さえ現実の脅威には成る。
因果の結果として、”それ”は発生する、なんせ相手は神羅万象の支配者でさえあり。
世界は、どれだけ理不尽に見えようと、”道理”に支配されているのだ。
ともかく、世間の人々は給料を貰わねばならない。
その給料を、誰かが「創らないといけない」訳だが。
”それ”が何だか、不安感しか、無い。
理屈の上では、創作者が面白い創作を量産し続ければ、それはお金の担保となり、世間で運用し得るお金が増える、筈である。
実際、そう言う理屈を提示し始めてからだ、世間の景気が上向いた、税収が増えた、と言う話がされ始めたのだ。
バブル期と違うのは、今は「1000兆円単位の借金がある」事だ。これにより税収の2割以上が”ただ”消えてしまう。その結果、財政は潤ってても、何だか庶民感覚での「儲かってる」雰囲気は何だか、無い。
そして、この理屈はまだ、あまり一般的じゃない事だ。世間の理解として娯楽、それは単なる娯楽であり、それが全体の利益を底上げする、と言う理解は、或いは「テレビで有っても」無い。
そして、だから、だ。その辺如実なのだが、「娯楽に理解が無い」環境程、経済的には壊滅的に悪く成って行く。「田舎ほど悪くなっていく」のはだから、ではある、娯楽への理解がほぼ、無い。そしてそうなっても、その例の「問題ないシニア」にとっては、今まで通りで問題は無いのだ。後者は彼らを抑え自身らの意向を優先する、事が出来ない。
とは言っても、ゲームセンターの衰退は、全国規模での話ではあって。
テレビと言う凶悪な中央集権制は、ゲームセンターに対してあまり、価値を認めない。
効率重視に陥った、と言うのもある。インターネットは自身を普及させる為に、かなり大げさな嘘を付いてきた。そう言う論調じゃないとシニア世代を抑え込めなかったから、だが。その結果、最後に有るのがスマートフォンではある。「全てこれ一台でOK!」実際には、これでは使いにくさの方が先に立つ、しかし。
或いは、大いなる命題だ。独裁創作での利益性、それを得る為には必要だったかも知れない、何か。
”その人のレベル”に応じて、一歩単位での「価値」が発生し、”それ”を消費してその創作が創られる時、それは”それ”に応じた換金性を持つ、とかそう言う。今のスマートフォンの機能なら、それは機構として可能であり、それは存在し得る訳だけど。
一つの答えと、相反する感覚ではある。「内容は?」問わないのだ。この時、この創作は、別に良い物だから売れた訳でも、必要だからウケた訳でも無い、単に労働の対価、”その換金媒体に過ぎない”訳で。求めていたのは違うとは思う、とは言え、或いは大衆と言う神の、その一つの帰結かもしれない。
衝突する思惑は、どうにも先行きを不透明にしている。
何だかだんだん、勿体ないお化け。
紲星あかり、読み上げ動画。でもサイズが600MB?!とかあるんで視聴には注意を。