とーとつにガンダム考察。
あげちう設定では、「新機動戦記ガンダムW」は、何と宇宙世紀に組み込まれている。
…はい?
考えた当時の事を思い返してもかなりどうかしてる感覚だが、ともかく当時、ガンダムの宇宙世紀、その再構成的な衝動に支配されていたかで、「ガンダムZERO」人類がソレスタルビーイングに支配され、その結果として戦争を仮想現実で行う様になった(・・・)と言う帰結までの経緯を年表化した時、どうもガンダムWのMSは、宇宙世紀に組み込める感覚が残っていて…結果、そう言うオチに成る。
「ガンダムZERO」草案 下の方の年表、2079年付近
http://www.avis.ne.jp/~asper/work/gundam0.htm
プロット的には、「サイコフレームは、機体の造形にも影響を受ける?」と言う仮説と言うかがあり、”それ”に対する実験機が何機か創られた、それがガンダムシリーズ、という流れから、謎の敵対組織「OZ」との抗争が始まる、そんな導入。
カトキ版と大河原版が混在する、と言うかなり混沌とした物語になって、最後はエンドレスワルツ版のガンダム・ウイングカスタムがラスボスとして登場、外装を破壊すると中からRX-78-2?らしき素体が現れ、倒される、とかそんなオチだった。
敵はザンスカール帝国の前身に成る組織に支援を受けていた、ある意味での「ガンダム教徒」であるOZで、そう言う意味では偶像崇拝の帰結がそう言うオチになった…と言う様な、そんな感じだったろうか。
ともかく「サイコフレームは機体の造形に影響を受ける」と言う設定を導入する事で、このMSの特異なデザインは許容し得るし、パワーにも反映できる、と言う理由が付く、それは大きかった訳だ。確か、ガンダムWそのままでは、「なんで強いの?」に理由はあんましなかったとは思うので、設定的な強度で言えば、決して間違った選択でも無い。
そしてまた、”この”設定を導入する時、あの「ガンダムジーエンアルトロン」もまた、それが強い事に、理由は設定出来る訳で。
一応、今の「ガンプラ査定」それに対しては、設定上の強度、それは結構影響される、気はする。ただ、それが当時のオリジナルである物語を否定する、と言うそれは…正しいのか否か、そこは今の疑問としては有って。
何となく、当時の、奇妙な衝動と共に突き進んでは来た、訳だけど。
欠陥を埋めているかもしれない、その方がウケるかもしれない。とは言え、人気作、一年以上放映を続けたそれに対して、「この物語は要りません」その物言いの是非。
ここにいる自分のそれは今、どう見えているのだろう?