気まずい状況も有る。
時系列から考えても、不意に思いつく話で、「東方project」それは或いは、「エヴァンゲリオンに参加出来なかった人々によるエヴァンゲリオンっぽい何か」として、実は有った、感がどうも、ある。自分も「黄昏の狩人」ルールブックに書いているが、「大野美加」と言う、しかし「本編には登場しなかったサンプルキャラクター」が、或いは「東方」の土台として有る、かもとは記述した訳だが。
しかし、目立った何かとして、「東方project」は、「エヴァンゲリオン」を表立ってバックアップ?している様には見えない…敵対している訳でも無い?が、土台が同じならもっと交流の様なモノがあって良いのにほぼ、雰囲気でさえ、その痕跡は見えない。大野美加、という、「設定されつつも本編には登場しなかった」と言うキャラクタに、何がシンクロしてそうなったのか?そこに不意に、余計な推測は有る。
昔の話で無くても、良くある話だ。アニメーターが3人ほど、経営は大変、そこに優秀なもう一人が、雇ってくれと言ってきた時、経営者としての対応としては?だ。能力は否定し難い時、相手を拒絶するのは面倒になる、しかし。
「黄昏の狩人」に、「エヴァンゲリオン」に参加出来なかったと言う事は、こういう話がそこであったのかもしれない訳だ。ともかく東方projectも、コンテンツ的には発展したが。発起した存在にとっては何かのしこりを残し続けた、と言う事は有り得る。切り捨てられたにせよ、望郷に近い物は或いは、今でさえ、残っているのかもしれない。
そう言う環境に、「”それ”は私の作品です」と主張する奴が出て来て、「エヴァンゲリオン」と或いは奇妙な対立をする事に成った時、彼らはどっちに付くか?で。東方projectは、必然と言うか、奇妙な熱心さと共にエヴァンゲリオンの支援に入ってしまい、結果で戦況?は悪い方向に長引き、しかし、結論では「黄昏の狩人はあげちうの創作です」エヴァンゲリオンがそれを土台にしてると言うならそれはパクリです、と言う認定に成っていく、として。
利益性を目指す時、今、”ここ”の方法論は無視出来ない。無視し否定し続けた結果が、ここ10年位の話である。話し合いの席が持たれる時、「東方」その向こうには、自身が消滅さえ望んだ相手が、笑みを浮かべて座っている訳だ。そこへ過失は明確には問えない、エヴァンゲリオンの主張(これは私の作品だ!)に同調していただけだからだ、が。それでも、重い加害は自覚し得る物として有る。
「エヴァンゲリオン」の方はむしろ、今は同意し易い事態かも…しれない。
良くも悪くも、「増尾昭一氏」と言う、その中枢を担ってたらしい演出家が亡くなってるから、だ。彼が亡くなってから、自身は”ここ”から何かの脅威を感じる事はなくなってる。今の推測では、持ち込んだのはどうも彼で、”それ”故に、という話はあるが。
ただ、「東方project」にすると、何かの全否定とその後の悪夢は、まだ重くある。
平成の始まりに起きた歪みと、その結末と。
捨てられた人形の様に、それは何となくまだ、残っている。