感覚の対立はある。
新型コロナウイルスの特性が、自分のうっかり想定したモノと同じような”それ”である時?世界は大きく変質してしまう。独裁創作は利益に成らず、風俗産業は存在出来ず、戦争はゲームで決着に成るので起こせない、そんな世界へこのままだと変質する。
そんなの面白い?
いやそう言う問題じゃない。
結構深刻な感覚ではある。慎ましく麗らかに冷厳かつ優美な音楽でも聞きながら騒乱の無い落ち着いた生活をしましょう。極論すれば、新型コロナウイルスの求める世界とは”そんな環境”だ。何処の桃源郷だ、と言うノリを現実に求めるのも実際どうなの?とは良く考える話で、基本的に「漫画だから」と言う大前提で自分も創作はする。そこに居る美しい姫君にしろ、創作であって、実在はしないのだ。
昭和の感覚でもある。
「美形はトイレに何ぞ行かんのです」
その力強い断言が、結局は「だって漫画だから」そこには集約する訳だが。現実はあらゆる点が”ほどほどに美しくない”環境であり、その代わり、余所の世界の様におぞましいモンスターそれは居ないのだ。代わりに現実には「病気」と言う魔物が居た、それは多少の失念ではある。心の病等々、「病」と言っても多岐に渡る、ともかく”病”その物は根絶が出来ない。滅ぼし続ける事で、しかしそこには「価値」お金が発生する。そう言う視点で見る時、今の「新型コロナウイルス」それに伴う疾患は、違う視点では”新たな財源”でさえ有る。
売春や戦争は今後、商売に成らないのだ。
”それ”への代替えを模索せねばならない。
特にこれは、創作への大きな需要、その起点ではある訳だが。
大げさが過ぎる、とは思うが、意味的には既に手の付けられないパンデミック状態だ、それは間違いない気はする。単に発症してないだけ、だ。このウイルスは、人間の思想、その”特定条件下で”突如、牙を向く。逆に言えばそう言う感覚、肯定はしなければ良い。無理強いはしない、独裁創作を無理して売ろうとしない、売れなかったら諦める、”ここ”の主張としてはそう言う感じだが。世界はもちろん、タブーを犯しても”それ”に挑み続けてきたのだ。
これは戦争である。
分の悪い戦いの様な気はする。
とは言え、現実的じゃないのは、果たしてどっちか。