それは、問題だろうか。
例えば、「スターウォーズ」で、外伝的な物語を考えてみる。
「スターウォーズxα ジェダイの目覚め」
・主人公は、反乱軍側だ。帝国による残党狩りから逃げ惑う日々。
かつて自分を救ったジェダイの騎士、それを助けんとして、今も彼は戦い続けている。
・しかし状況は悪い、やがて隠れ家にも帝国軍が襲って来て、仲間の多くが捉えられた。
主人公も逃げ惑う事に、強敵に立ち向かい、何とか倒すが、唯一と言って良い、自身の武器もその際に、破壊されてしまう。
・失望する中、不意にジェダイの声が聞こえる。
かつて自分を救ってくれたその存在は、今はもう倒された筈だが。
伝説のそのジェダイ、その亡霊?が、主人公に語り掛ける。
「あの場所に、私のライトセイバーがある…今の、お前なら使える筈だ、若きジェダイよ」
・主人公は、その声に導かれ、その地へ赴き”それ”を手にし、そしてジェダイとして覚醒、仲間を救いだし、再び、彼は邪悪なる帝国へと立ち向かっていく。
もうなんか、変な笑いが出てくる”そんなお約束”だが、しかし。
今の所、”ここ”に微妙な否定感が、存在する。声は正確な理解か?は解らない。
「自分の力じゃないんだ」
それは、伝説のジェダイが残した、そんなライトセイバーだから、勝てた。
ドラマティックに描きたい!のが、まあ創作者の野心みたいな物、で。新たなるヒーローが産まれる瞬間、そう言う盛り上がる何か!それを描かなくて何を描くと言うのか?
…しかし、それはそれとして、「自分の力じゃないんだ」、正論ではあって。
状況に、何かの危機感は有る。「大賀さんの存在」、その危機だ。
システムの疑念では無く、単純な欲望の増殖に過ぎない、訳で。
大賀さん周辺のシステムに関して、反論は既にない、状況はあるが。
ただ「その中で自分だけ勝つ(有利に立つ)方法は?」それが想像以上か、重い。
それを何とか止めては居る、が。そのパワーは膨らみ続けては?居る…のか?
ともかく?魔物は現実にも居る、それは消せない、対処していくしかないのだけど。
それか?違う様な層でも無い様な、ともかく今の危機、その元凶が見えない。
大賀さんの倫理、「戦争は良くない、仮想現実で」その結果、物理的な戦争をしたい、そう言う意向は、「いらない人」側にはなる。その意向による創作はもちろん価値、それが異様なほどに低くなる、だから。或いは「カウンタ制御」だ、それは”そこ”をひっくり返してしまう、的な。世界を破壊しようとするパワー程、高評価に、護ろうとするパワーほど低評価に。願うは。
現実否定、それは、世界を破壊しようと画策する…そう言うモノではある、が。
その時、創作側としてはその、「受け継がれる力」そう言うのは、大事だろうか。