あげちうのブロマガ

愚者と賢者の狭間に眼

ここで言う「頭が悪い」とは。

「貴方は気が狂っています」そう言う意味、だ。


ともかく、サイコロを振る。
その出目が期待通りになる可能性は1/6だ。
それはサイコロが正しければ正しいほど、基本的には覆らない。
これは、誰が振ろうが”同じ”だ。
その時、その出目を期待した、或いは「出した」のは、誰か?

現実の中に居る限り、人間には”限度”がある。
要するに、「神には勝てない」訳だ、サイコロの出目さえ制御出来ない。
その出目を出したパワー、それが、正義。
人間はどうやっても、その意向以下にしか成れない。
逆説的には、「神様は居る」訳だ。

「賢い」とは、要するにそれを理解する事で。
「愚か」とは、つまり”それ”に逆らう事だ。

なら?「愚者を制御する事は出来ない」訳だ。
相手は「神よりも自分が上に居る」のだから。
それ以下である賢者の訴えなど、聞ける訳が無い。

…その時、神に逆らう果てに、愚者はどうなるのだろう?
要するに、「バカは死ななきゃ治らない」訳だ、真実として。

とは言え、最も愚かなのは。
そんな「見れば解る」事を理解しない者へ、道理を教えようとする事かもしれない。
相手は神より上位に居るのに、自分より2段は下の意見など全部「間違い」でしかない。
「私は真実を突き止める!」
何としても彼らは、サイコロの出目を制御する邪悪を倒さねばならない、のだ。
そんな、神に逆らう者に、神にも出来ない事をやって見せると言うのか?

「限度」は、ある。
無理だ。
無理な事は、する必要が無い。
見れば解る物が解らないなら、”それまで”だ。
賢者はただ、それがどうなるか…見ているしかない。

あの、「現実は巨大な仮想現実の中だ」その理解は、そんな愚かさの果てだろうか。
神に逆らうべきでも、神を超えようとするべきでも無い。
賢者の選択、だ。

限度は、有る。
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