不意に、想定は有る。
「期待感」は、まだ残っている。共産主義の理想、理念か何かだ。
自分は最後に「大賀さん」紛争解決機構それを置くが、共産主義はその先に、個人を置く。
この辺、或いは
「SSSS:GLIDMAN」
にも設定や意味は通じるかもしれない。
そこに居る一人の”神”に「全て」が従えば、その世界は理想郷となる。
勿論だが、「アニメ:グリッドマン」の世界は夢オチ的に終わってしまった、らしい。
伝え聞く話としては或いは結論だ、戦ってる意味も、登場人物も、そこには何も無い。
共産主義、いや「独裁創作」その結末は常に、この苦悩に陥る。
意味が無い。
脅威も何も、”自分”がちょっと手心を加えるだけで、どんな劣勢でも覆るのだ。
紙の上にある、この「自分の世界」それは、そう言う現実として目の前に有って。
自分は良いと思う、しかし。
意味は無いのだ。
リアルに、何かの恐慌は常にある。
自分が共産主義の求める「神」偉大なる!に成る時。
その「自分の描いた絵」で、”自分が”必要なモノを買わねばならないのだが。
その時、自分の描いた絵は、自分の部屋にある物であって、「意味が無い」のだ。
自分の物を自分が買って換金する?と言う行為は、発生しない。
遊んでる場合か?
にも拘らず、それ以外に、する事が無い。
換金しないから、お金は増えないのに、お金はどんどん減っていく。
他の全ては或いは「体」部下、それがやってくれるからだ。
神の仕事はただ、そこに有り続ける、”それだけ”である。
「仕事しろよ」
他に仕事が、無い。
怪獣のフィギュアでも創ってるか?くらい。
単純な結論で、「人間が”ここ”に居るのは無理だ」だから、「大賀さん」紛争解決機構、問題ない決定者、それを置いた訳だが。
「なんで?」
反論が、説明の後にまだ、消えない?
「表」の意識は今も、現人神、それを求めてる。いわゆる皇帝創作、稚拙なオリジナルでは無く、よりハイセンスを主張するパクリ、誰かが全てを自分の思い通りに出来る時、不可能は可能になるのだ!が。
意味が無い。
意味があろうと無かろうと誰かがやらねばならないんだ!その時、それを強要する存在は、ここに居る「神様」より上位になって、責任は”そっち”に廻るのだ、けど。
結局、暫くして帰ってくるのだ。
或いは、不幸な現実を創ってだ。
そして、同じ話がループされる。
結論は出るけど、不満だけがそこに有り、不同意だ。
貴重な、時間だけが、無意味に、無駄に消費され続ける。
問題がある。
何処だろう。