あげちうのブロマガ

崩壊する虚構の巨城か或いは

感覚は深刻だ。

以前に問題視した部分だが、世間の”市場”と言える全ては、何処かそこかの「特権」を持っている訳で。
簡単に言えば、例えば「集荷場」に入れる事が出来なければ、”販売は出来ない”のだ。
条件を付けない参加は、そこに何が入ってくるか解らない、そんな問題を常に抱える。
市場を持つ権力が”これ”を我慢出来ない時、また「独善が許される特権」が有る時、権力はそれを拒絶するし、出来る。

この結果、市場は成長限界が発生する、しかし”そこ”に到達すると、実は自然消滅してしまう。

或いは美しい花火の様に。

物理は何処までも、「独裁者」その存在に富を与えるつもりが無いから、だ。

この現象は近年のそれか?と言うと、「文明」それが何故滅んだか?に常に発生する話題でさえ有る。
「独裁者」逆らえない個人、”それ”がそこに居る時、それは静かに消滅していくのだ。


…と言うのは、自分なりの、かじった程度のデータからの分析でしかない。
それは「新型コロナウイルスは、人肉食に通じる感覚に反応して重症化する」と言う、その理解の根拠でもある。

”雅”市場、ストリードの連携、と言うのは。その仮説と幾つかの実例を土台にして構築した、「独裁者が存在しない市場」それを創る規約、では有って。
一応の効果は出ている?とは思うが、新たな潰える市場の一つ、では無いと言い切る根拠は、”この”想定だけではある。


この時、「デッドバイデイライト」が特権を創っている事を否定出来る根拠は、自分のその想定だけでしかない訳だ。
”これ”が現実では無い、と言う根拠は実は乏しい。逆に、「これこそが現実の姿である」その主張の方に、多数派は居るかもしれない。

「面白くないでしょう」

そうだろうか、それが個人の主観でしかない時、人によっては「空虚な理想」の方が、遥かに苛立つ何かではあって。

夢を希望を倫理を語り、地道に積み上げ完成した”それ”を、市場は受け入れない。

そう言うモノだ、全ては独裁者の胸先三寸でしかない。

勿論、何故受け入れないか?それが所詮は独裁者の主張に過ぎないから、だ。
誰であっても、だ。私は神に比する高位の存在である!と言っても、”これ”は平等である。

独裁創作は売れない。
それは、「平等」それへ繋がっている。

一人vs世間、だ。

新型コロナウイルスの原理は、「デッドバイデイライト」のシステム的欠陥から来ている。

事実だろうか。

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