…「独裁性を捨てられない」のは、市場を持ってる側も同じでは、ある。
創作者の多くに夢がある様に、市場を管理する側にも夢はあるのだ。どんな作品が流行って欲しいか、増えて欲しいか。ただ、その結果として、その市場は次第に独裁性を強め、”それが原因で”衰退していく訳だが。現状、市場として”それ”を完全に食い止めた、概念は無く、そう言うのに挑む感じで”雅”市場、そう言うのは有る。「市場管理者」はあくまでも、市場の「許可範囲」を決めているだけだ。MMDでは「ReyMMD」しかエフェクトは認めません、とか、一般論では極論だろうと、その市場としての個性はそう言う形で現れるのだが。
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この時、「ReyMMD」でアニメ調に挑んでは行けない、訳ではもちろん、無い。要するにどれだけ市場に居る人々の「同意」良いね!が得られたか?が問題、”雅”市場では、だ。結果、市場管理者の理想とは多少ズレていても「民意である」神の選択ならしょうがない、で許容するのが期待される心得、なのだが。
今まで?の市場では、ここでどうしても市場管理者は、「アニメ調は相応しくない」そう言う方向性を出してしまう。
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求めているのはアンリアルエンジンの様なフォトリアリスティックと、或いはエフェクトの統一的利用である、他の作品はいらないのだ、とか言い出し、結局それが「カウンタ制御」それを導入する、事には成るのだ多分。一応、”雅”市場とか考え付く感じ、「天皇家」と言う「日本の市場管理者」は、かなりフレキシブルな認証を目指しては居る、とは思うが。戦前の軍国主義的な価値観では当然、「我々の意向こそが神の意向である!」天皇には聞いてないけど同意してる筈だ!いや同意させる!とか、そう言う感じには成るのだろう。
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独裁性には、捨てがたい甘美はあるのだ。
状況に奇妙はある。民進党の暴動に近い暴論に、マスコミも、NHKさえ乗っかっていく、と言う奇妙。民主党が政権を取った時、当時の自民党側はそれほどひどい暴れ方はしなかった。民主党とはより民主主義を重視する政党の筈では無かったのか?そこに、色々と嘘は有って。
「中華思想の皇帝」それは実際には、民主主義を制御し得る根幹にあるのだ。