あげちうのブロマガ

或いは疑念の歴史と今

それは、想像しただけだが。

ちょっと現在の「これ必要?」に対する、一つの理由ではある。


その親は、売れる物を求めた。

それはつまり、「量産品」歩留まりの良い製品、コピーしても高い性能を維持し得る物、それこそを至高とする意識が、そこに有って。

状況が重なった、のだろうか。
ともかく忙しい時、子供に構う時間は、無くなっていく。
そして、思想だ、売れている市販品こそが至高!ではある。

つまり、食事と言うのは「コンビニ弁当が至高」な訳だ。

とは言え、子供の自主性は尊重したい、選択は自由であるべき。
時間もないし、労苦も惜しい。

2000円渡しておくから、好きな物を買って食べなさい。


…この環境で育った子供には、一体何が育ったのだろう。

「普通」それが与えられなかった、そんな環境。

そこに矛盾は、重い。お金持ちとか、ともかく「特別」な環境に居つつも、そこでは「優秀な量産品こそが最良」なのだ、”自分”は、その価値感からしたら、不良品である。他とは同じ感覚を持てない、普通の人が面白いと思う物がつまらない。にも拘らず?親は金持ちだ、何かの特権に居る訳だ。

親の視線からしたら、それは最悪な不良品、だろうか。


普通は、親が、些細な愚痴を言いつつ、子供の為に、そして”それだけの為に”料理を創ったり、本を読んでやったり、する。
「ワンオフ」だ。その子供の為だけに投入される、労苦。普通は、状況や環境で、それしか選択肢が無い訳だが。大概の環境では「普通」が、そこには発生しなかった、とか。

と言う、何かの重い暗雲があって。

なら?状況として、”自分より上位”が、何故か自分だけの為に、それを創る、と言う行動が…何となく”ここ”には少し、合致する訳だが。

「大衆」も、それを無視しない、と言う事だろうか。
自分の前に、壁の一因としてはあり、ちょっと面倒さを孕んでそこに居る。

売れる物を創らん、その時そこに、その声は「無視出来ない立場として」居る訳だ。
会社の為には!を、言えば言う程、それはどんどんと否定を強めていく事に成る訳だ。

と言う時?ともかく軽くではあるが、利益を期待しないそして、必要性も薄い、そんな物の需要?がそこに少し、ある。

その一人が”それ”で我慢し得る?としたら、それはそれで、多の為にも意味はある訳だが。
それは多くの人にとって、必要性が理解し難い、面白いとも思えないし、特に話題にする事も無い、そんな物でしかない訳だが。
その、或いは一部の少数にとっては、何かの慰めにはなる、そんな。

事態その物は深刻だが。

しかし、と言う把握をあえて公示する必要性は、薄い訳だが。

それでも、上の方に居る人々に有る、何かの「なんで?」その、原因の一つには成ろうか。
自分は出来うる限りの愛情を子供に向けたのに、何が間違ったと言うのか。

有り触れた、そしてそれだけに面倒な、そんな話。

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