あげちうのブロマガ

神様はアイスが食べたいと告げる

変化は有ったろうか。

意識的な変化は、何となく有るが。

要するに、テレビは全てが「創作」ではあるのだ。その中に「これは事実です」そう言うフラグがあり、そこに事実が描かれる場合がある、だけ。芸能界それは、要するにそんな、誰かの描いたアニメか何か、”そこ”に出演する俳優らであり、彼らが関わる時、そこに描かれてる情報の全てが事実である…訳では、無い。

誰がこの絵を描いているんだ?

要するに、問題は”そこ”ではあって。

誰が?
神様。

だったら問題ない、そこに描かれてるのは、神様が人々へ伝えたい事でしかない。
「神様とは?」要するにそれは何か?と言う時。

大衆?

だったら、番組が微妙に面白くない?にしても、自分も諦める?しかない訳だが。視聴者は自分一人では無い、”それ”は大衆、「自身の神様」それが、世間へ伝えたい事、として描いているのだ。それならまあ、伏して聞くべきであろうか。

そうなの?

そこに、混沌はある。

現状、パワー?そう言うモノとして、「神様とは?」「大衆」ここに介入しようとする時、”それ”は、「すると貴方が神様ですか」お金払って下さい、その標的には、成る。個人で向けられたらどんな金持ちだろうと破綻してしまうが。大衆に対してそれを要求する事は、出来る。お金を持っているのは誰か?少なくとも人間”その誰か”だ。不特定多数に対して、同じ条件を提示しつつ、「と言う訳であなた方には”これ”に対して対価を支払う義務が有ります」それを同じく大衆が要求する事で、その支払いは発生する。

テレビが今、「大衆の声として」”それ”を大衆に求めているのだ、としたら。
そこに介入するのは、ちょっと問題は有る、しかし。

変わったような、変わってない様な。

反論し得るパワー、それは今は、感じないのだけど。


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