あげちうのブロマガ

隷属と慣れの境目でたたずむ

これは日本的な感覚ではあるが。

何よりも、「継続」それを重視する、訳で。
そこ”に対して、その人が何年従事し続けたか、その場に居たのか?ともかく自分を”そこ”で、維持し続けたのか?そう言うのが、日本と言う国では特に、必要。”それ”そこが日本を日本たらしめている何かであり、国家の市場管理者も勿論、その例に漏れない。

「ウケている」のは単に、技術の問題じゃないのだ。ある意味で?その成功例その蓄積有っての話。

「つまり」

それ以上いけない。


ともかく良くある、寿司屋で十年修行してる間、殆ど皿洗いしかしてません、みたいな話の、理由?というか。材料だとか技術だとかブランドだとか、しかし、それ以上に大事なモノが「安心」と言う物に対しては必要で。「”これ”は10年続いた物です」今も変わりありません、それは重いのだ。そう言うのを師匠?から会得…してこそ、貴方にとっての”その先の十年”がある。その時、師匠は?殆ど何も教えない、大事な事は、その場で10年、自分を維持する事だから、だ。そう言う蓄積があるからこそ「これで良いんですか?」「何か、問題が?」それを言える訳で。

…結局、その店のブランド?暖簾、それはそう言う先にある独自、ではある。


と言うのが理解されないそれは、全く自分も経験的にも同意は有る。しかし同じく?”その”先にそれが有る、それにも同じく同意は有る。説明だけでは届かないモノ、そう言うのは有って…手にした実感は、何かの自信や自意識?そう言うのにはなる、しかし。

だからと言って今のこのカウンタ数値に納得が有る訳ではもちろん、無い(ノД`)・゜・。

…何だか微妙なじわ上げ感が、何とも。

「恵方巻」は実際問題、”創られた歴史”にイベント、だろう。土用の丑の日やクリスマスケーキ、それと同レベルのモノでしかないが。「目的は?」ともかく消費の活性化である、そこに正義はあるけど、発起した側に、その「会得したモノ」そう言うのが薄かった、それは思う。邪さがそのまま混ざってしまっていて…どうにも否定感は消えないしかし。

それでも最近は、少しは不愉快さも、消えつつあるのだ。

個人的な主張だ、”雅”市場の存在により、良い悪いが分別されてて、良い部分だけを人々が選んでいく結果として、本来の願い?それが認知された、感じ。無かったら、”昔の”パリ祭とか、ハルウィンイベントみたいに「は”?何それ?」で…流れてしまっただろう。今は、状況的には悪くない。ただ、まあ。

「自分の方が上手いのになんであっちを選ぶんです?」

そう言う、古い混沌は今だにまあ、残りはする。

材料費100円、売値2000円。卸値を考えても純益1500円位の”それ”は正しいのか?しかし、「見えない」1400円に人々が納得する時、そこに問題は発生しない訳で。そこに有るのがその、10年以上そこに居続ける事が出来た、その経験とかではあって。

数値は付かなくても、価値はそこに有るモノなのだけども。


…とは言うが。

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