あげちうのブロマガ

右が正解の理由は記念日

相手には、こう聞こえる。

「グラディウスをクリア出来る?あー、あのゲームで2面以上クリア出来るって事は、社会不適格者って事になるんだ、クリア出来るなんて言ったらもう、テロリスト予備軍ってフラグ付いてるよ…、可愛そうに」

これは、納得出来ない。

「そのゲームは何故ダメか?」と言う理由は、今もまだ、主観だ。それが、今の世界を支配するシステム、その作者のそれであっても、だ。取りあえず「売れなかった」と言う結果は重い訳だが、理由が主観的説明でしかないなら?これもまた「王様が気に入らない」それに過ぎないと言う事になる。どんなゲームが面白いか?に関しては個性の問題に過ぎず?売れてないから面白くない、と言う訳でも或いは無い。

しかし、創作者としてともかく利益を目指す!なら。皇帝創作、その肯定は致命傷には成る。
「ゾンビリベンジ」このゲームは、主観的判断で、そう言う内容を持ち続けては居る。

「ゴジラなんか駄作だよね、自分の方がもっとうまく創れる」

「ゾンビリベンジ」は結局、こういう事を言い続ける訳で、クリアしてしまうプレイヤーそれは、この物言いに同意してる、と言う意味でさえ有って。そしてそれに伴う或いは、設定された(或いは実感的な)社会的な困難を、彼らは超えてしまう、訳だ。

「俺の描いたドラゴンボールの方が面白い」
そんな同人誌を創らんとする、その苦難の先に有るのは何か?と言う事で。
技術はともかく、著作権の神様、その逆鱗に触れる時、或いは命さえ危うい。
彼らは、ゲームであっても、”そこ”を突破してしまい。それを面白いと言う。

「このゲームは駄作です」

そう、苦笑し得るなら、話も違うのかもしれないしかし。
先の主観の話、「ゾンビリベンジ」が、その人にとっては「グラディウス」その位に面白い物だった、時。彼らはその時点で、第二の皇帝となる、訳だ。

ゲームに憑りつかれる、と言う様な…妙な感覚と危機感がある。

「万引き如き犯罪じゃねーよ」
現状、キーになる価値観ではある。これを、今も何だか、ダメ出し出来てない。この価値観での創作、その結果は致命的だ、ほぼ利益性は無く、続けるだけ悪化していく、或いは最後は、命まで失う。それでも。

「何が悪いの?」

「万引き家族」、あの映画がある位に、この感覚は何かの一般性を持って底にあるのだ。

現状、”雅”市場、或いは「大賀さん」それによって統制され、売れない時、それは理由がある、のだけど。相手が納得しない、と言うその先で壊滅的な事態に陥ったそれは、彼らの自己責任、それで切り捨てても良いのだろうか。

万引きは、立派な犯罪なのだけど。
だから売れないと言うのは納得出来ない。

その理屈はおかしい?
おかしくない?

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