「売れれば良い」その方向性の衝突に、ちょっと深刻さはあるのかもしれない。
「何が」と言う、それは個々の主観の問題でしかない、そしてそれが大事だ。
単刀直入に言えば、「売れたい」と言う意向と、それに反するその衝突ではある。
「デザイン」と言うモノが、少し変化している?部分はある。”そこ”に「大賀さん」が”入る”時、それはそこに集うモノの「どっち?」を物理的にか決めてしまう様に成る時、そこには「そのデザインの」意向、と言うのが発生する、訳だ。”それ”は、その場の正義として、強い影響力を持つ、事には成るが。
”それ”は今、デザイナーの操り人形じゃない、訳で。
デザイン独自の「意向」は、果たして何処までその場に取って重要な物か?もそうだし、それと作者と、或いは現場と、出資側と、そう言う意向の衝突は、微妙な不協和音に成っていく…そう言うのは懸念だ。
「皆さんで仲良くお遊戯しよう」
と言う、仮面ライダーのデザインは流石に”それ”は言わないのだ。「遊びでやってんじゃねーんだよ!」位の、それは古い価値感だ、と言うのは前提としても、それは言ってしまう状況がちょっと、ある。その時、或いはそれはデザイナーの意向にも、そして脚本家の願い?にも、喧嘩を売り始める。それは或いは視聴者の意向を背に、環境の「敵」へ猛然とか、攻撃を始める事に。
しかし、漫画と言う領域で、女性が強い?それは今、間違いない現実でもあって。
女性的な感覚が、その現場にどうも合致しない、それは良くある話。
漫画の中では、女性が男性並みに強い、そう言うのはありがちだが、「現実」には、それはどうしても、相手は物理的な脅威でさえ有る訳で。それが当り前、ではあっても、何というか、”それ”が見てる理想それは、少し違う訳だ。少し前まで、仮面ライダーのデザインは女性を護る方向へ向いていた、が。今回のギーツのそれは、少し違うのかもしれない。それで不意に、状況が違う?事に危機感と威圧がある。
バトロワ物、である限りは、男性的な価値観が載ってしまうそれは、当然。
それに対してやりにくさ、そう言うのは、深刻にあるのかも。
「仮面ライダーの」意向が、という時、今後、仮面ライダーギーツ、その内容にもある程度か、方向性の問題は出てくる、とは思う。出るだろうか?それが今の懸念。雰囲気的に、デザインは一応、過去の仮面ライダー”それ”へ通じる感覚を根底に持っている、とは思うが。”それ”がそれまでとの不協和音を産むのもまた、現実かもしれない。「勝てばいい」も、今の自分にはそこそこ乱暴な主張だとは言う。出来た頃と出来ない今と?色々と、状況と立場の変化は感じる訳だが。
ここで「諦めてください」と、言うのは果たして。
こういう感覚?を無視出来るのもまた、女性の強みではあるのだが。