何年も前から感じる混沌ではある。
誰が悪いか解らない。
結果論だけで言うなら、その「物理演算」の感覚、”その”理想?に支配された環境には「王の権威」昭和天皇の支配、そう言うのが無い。アメリカ側の感覚、”それ”を主体とした時しかし?そこには欠落が発生してた。そんな奴は居ない。その結果、”それ”を使う事が出来ない時、世界は致命的な喪失を起こし…世界は未曽有の経済危機に陥った。
”それ”は今でも、微妙なイメージとして、存在に対する否定は残ってる。
そして、”この”危機を打開し得る人を、世界は求めている訳で。
”ここ”が選ばれないのは?”ここ”がその問題になる「王の権威」だから、だ。
庵野秀明氏も、そんな流れで前に立った、そんな人物ではあるのだけど。
実際には「王の権威」を隔離隠蔽、アダム状態にした上での、そんな権威性ではあって。
崩壊その物の始まりは、昭和天皇の崩御、そこからではある。次の「王の権威」が求められたそれを、世界は根本的に否定してしまった。物理の帰結を否定し、理想と言う名の妄想に依存し、結局はインターネットはそう言う意識の果てに発生したが、構造に大問題を残して、ともかくITバブルは直ぐに崩壊した。その前にも、否定の結果はあらゆる天変地異を発生させ、そこに有る答、それを選択する事を求めたが、世界は頑として”それ”を否定し続けた。
その先に、「新聞記者」の過失も有る。
「王の権威を求める」思惑を敵と設定しつつ、”それ”が持つパワーを得ようとする時、そこにはそんな、グロテスクな帰結が有ったのかもしれない。
「役立たずはクビにしろ」
水準を満たせない奴は要らない。
その物言いの是非ではある。
民主主義、多数決は、”それ”を否定し、切り捨ててしまった訳で。
感情論と物理の衝突ではある。水準を満たせない奴が設計した塔は、安直に崩壊し、数多の人命と膨大な損害を発生させる。解っていても、1点足りない?で切られるそれは、感覚でも理不尽だ。99点からは徴収、100点には膨大な賞与、その境目に有る物はあまりにも情を無視し過ぎていて、その先に「王の権威」と言う邪悪なる魔王が居る。当時は、「私は神だ」それは”そう”言っていた、環境がそれを求めたから、だが。”それ”に残酷に断罪される敗者を見る時、そこには異なる感覚はどうしても発生する。
独裁者を許すな。
結果、平成の崩落と、しかし結論で言えば別の、もっとタチの悪い独裁者の台頭と悲痛を招いた訳だが。この時、誰が?と言うと、”それ”に同意したほぼ全て、民主主義その物、ではある。”それ”があまりにもゴミだ、と解った今、しかし残っているのは「王の権威」それに対する過失しかない。
結論で言えば「王の権威」その前にいる”全て”が、何かの罪人でさえ有る。
”それ”は全く、売春婦を強姦して殺し、権力を用いて隠蔽した、と言うその「新聞記者」に比する様な、許し難き大罪ではあり。”その”一人だけを断罪すれば、その他の罪は消えるのか?それは無い。
今、「支配を受け入れろ」と、王の権威は言う訳だ。
言質が極論化する時、そこに居るのは、邪悪なる大帝ではある。
更に「大賀さん」その、神判機構は”この”絵の中には存在しない。
「王の権威」その要求を、罪人は認める事は出来ない。
多数決は正義か否か、それは問われている。