混乱はある。
形而上、というか、その変化だ。
現状、「仕事してくれ」それは、”ここ”が期待し、要求する事をしてくれ、そう言う意味だ。
”それ”に「そうですね」が言えないと言う当り前が、形而下の壁ではある。
その理由の大きな一つとして、「東方project」それがまだ、”ここ”の支配?そう言うのに強い否定が有る、と言う面は、重くある。彼らが、良くも悪くも信仰してた存在、”それ”は結論で期待される能力?は無かった、が。彼らにとってはその主義、それは信仰するに値するモノだった、訳だ。
「才能を持たない」連中だって、
高い技術を身に付けていれば、認められるべきでは。
「才能」それは結局、上に認められる”何か”の事だ、ここでは。技術がどれだけ高くても、その上の否定を受けると評価に成らない、お金も貰えない現実があり、それは多分、現場レベルでは大きなストレスだった。そんな状況からの打開を、彼らの王は目指した、が。結論ではその王も切り捨てを行っていて、結論でか、だから、それはパワーを失って行った、が。
加害もある、まだ王に成果が出ている、様に見えた頃の、彼らの”敵”へ、彼らは真剣に否定と加害を向けてしまった訳だ。掌返しは良い結果に成らないのは体感としても解る話で、良くも悪くも「黄昏の狩人」その問題だろうか、内輪を守る事に、それは強い肯定が出てしまっていて?簡単には態度は変わらない、感じ。「東方」と言う領域が、そう言う態度を見せる時、自身の要求は、大きな壁の前に停滞する訳で。
認識だ。
エヴァンゲリオンの成功は、あげちうの「黄昏の狩人」があったからこそだ。
と言う認定は、それでも加害者である「王」その罪の贖罪には成っていく、そう言うのは有る筈で。「評価の失墜は免れない」にしろ、要求し得る賠償は或いは低く、条件付きの示談で済む様な感じ、かもしれない。やり直す?にしろ、それはつまり、あの王は、信者らが期待した存在には成らない…そう言う意味でもあって。
強い信仰を向け、今も何かの執着を持ち続けるそれは、それに納得するのか否か。
ともかく増尾昭一氏は、もう亡くなっているのだ。