但東町河本集落の東側、標高364mの高所に河本城跡があるという。
「豊岡市の城郭Ⅱ」によれば、山頂に長軸41.2m、短軸27mの主郭があり、南北朝期の築城起源で、
戦国期に主郭を中心に曲輪の改修と竪堀の補強が行われた模様である。更に、城は地侍の城郭にしては規模
が大きく、天谷峠を越えて夜久野へ至る街道の押さえの役割を担う城と考えられる。と記述されている。
これが主郭跡とされる山頂は結構広い。

登山口は河本集落側ではなく、途中オシャレなcafe「静暖の里」のある相田集落の亀谷から。
歩いた道:
林道をしばらく歩き ●印 から山に入る。
ここから山へ

最初はなだらかな山道

ここから急坂・・・画像で見るよりはるかに急。人が入っていない尾根は歩きにくい。

いくつかの狭い平らな場所を通過し、目の前は山頂。 この平らな場所は、後で城郭地図を見れば曲輪跡。

山道入口から約40分で山頂。城の主郭跡に植樹などしなければいいのに・・・
その昔杉などを植樹するとき歴史遺物は避けるなどの配慮がなかった?

登ってきた途中に三つの曲輪跡。画像では見にくいですが、目にははっきり数えられる。

北方面に四つの曲輪跡

三つ目と四つ目に近寄ってみました。

虎口や竪堀などもあるようですが・・・全体の縄張りは知識不足の素人では無理。
同じ道を引き返しました。往復1時間40分。ちょうど昼時で「静暖の里」で昼食休憩。同行者は同じ村のミスターK.
以前から我が集落近くに南北朝から戦国期時代にかけての城跡が多数あると、先人から聞かされていました。
そして、但東町には規模の大きな亀ケ城跡、金蔵寺城跡、岩吹城跡を含めて23の城跡があるそうです。
近所のおじさん誘って城跡探索しますか。宝ものは出てきませんでしょうかね。
「豊岡市の城郭Ⅱ」によれば、山頂に長軸41.2m、短軸27mの主郭があり、南北朝期の築城起源で、
戦国期に主郭を中心に曲輪の改修と竪堀の補強が行われた模様である。更に、城は地侍の城郭にしては規模
が大きく、天谷峠を越えて夜久野へ至る街道の押さえの役割を担う城と考えられる。と記述されている。
これが主郭跡とされる山頂は結構広い。

登山口は河本集落側ではなく、途中オシャレなcafe「静暖の里」のある相田集落の亀谷から。
歩いた道:

ここから山へ

最初はなだらかな山道

ここから急坂・・・画像で見るよりはるかに急。人が入っていない尾根は歩きにくい。

いくつかの狭い平らな場所を通過し、目の前は山頂。 この平らな場所は、後で城郭地図を見れば曲輪跡。

山道入口から約40分で山頂。城の主郭跡に植樹などしなければいいのに・・・
その昔杉などを植樹するとき歴史遺物は避けるなどの配慮がなかった?

登ってきた途中に三つの曲輪跡。画像では見にくいですが、目にははっきり数えられる。

北方面に四つの曲輪跡

三つ目と四つ目に近寄ってみました。

虎口や竪堀などもあるようですが・・・全体の縄張りは知識不足の素人では無理。
同じ道を引き返しました。往復1時間40分。ちょうど昼時で「静暖の里」で昼食休憩。同行者は同じ村のミスターK.
以前から我が集落近くに南北朝から戦国期時代にかけての城跡が多数あると、先人から聞かされていました。
そして、但東町には規模の大きな亀ケ城跡、金蔵寺城跡、岩吹城跡を含めて23の城跡があるそうです。
近所のおじさん誘って城跡探索しますか。宝ものは出てきませんでしょうかね。