PEACEFUL

黙るのは美徳ではない。無知無関心がこの国を滅ぼす。

日本を滅ぼす権力者とその支持者へ

2018-08-27 15:54:01 | 日記
翁長知事を誤解している人が知らない、この国と沖縄への「真の思い」



8月8日夕方、沖縄県知事の翁長雄志氏が膵がんのため67歳の若さで亡くなった。翁長氏と親交の深かった作家の佐藤優氏が、基地建設に反対し続けた翁長氏の真意について語る。

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※本記事は『佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」』に収録している文化放送「くにまるジャパン極」の放送内容(2018年8月17日)の一部抜粋です。野村邦丸氏は番組パーソナリティです。
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ゴルバチョフからの追悼メッセージ

 邦丸: 佐藤優さんは、今は亡き翁長知事と何度も何度もお会いして、いろんなお話をされたそうですね。

 佐藤: 何度も会っています。あまり目立たないように注意して、特に東京ではメディアの人が見ていると面倒なので、綿密に打ち合わせていました。私が2時間くらい前に先に会合場所に入って、スッと翁長さんが入ってきて、出るときは翁長さんが先に出る。そんな感じでときどき会っていました。

 電話では、しょっちゅう連絡をとっていました。それこそ数百回ですね。

 邦丸: そうなんですか。

 佐藤: 翁長さんという人は、国際情勢に関心があったんですよ。

 たとえば、2016年のアメリカ大統領選でトランプさんが当選するかしないかというとき、ギリギリに電話をいただいて、「佐藤さん、どう思いますか」と。「フロリダでトランプが勝ちましたから、このままいくと思いますよ」と答えたのですが、翁長さんは「それなら早速、沖縄県知事からの祝電を用意したほうがいいですね」と。

 要するに翁長さんは、トランプさんがメチャクチャな人だということはわかっているけれど、沖縄の基地問題に少しでも関心を持ってもらえる可能性がある、状況が変わる可能性があるなら、どんな些細なチャンスでも失うまいということだったんです。

 それから、翁長さんはゴルバチョフ(元ソ連最高指導者)さんともときどき連絡をとっていました。

 邦丸: ゴルバチョフさんと!  へえ~~。

 佐藤: ソ連が崩壊したとき、民族問題が大変で、国がガタガタになった。その教訓から学ばないといけない、と。沖縄の自己決定権強化は主張するけれど、日本全体に大混乱をもたらしてはいけない。そういったことについて学ぶために、翁長さんは那覇市長時代にゴルバチョフさんを沖縄に呼んでいます。

 東京ではほとんど報道されていませんが、そのときの縁があって、琉球新報にはゴルバチョフさんからの追悼のメッセージが載っていますよ。

 邦丸: それは知らなかった。

 佐藤: そういった意味で、規格外というか、地方の知事にとどまらない、国政レベルのトップという感覚がある政治家でしたね。

 邦丸: 東京でも報じられているのは、沖縄県知事選挙が9月30日にありますけれど、翁長さんの後任は、保守系だろうが、いわゆるオール沖縄系であろうが、なかなか難しいだろうと。それだけ器の大きな人だったと言われていますね。

 佐藤: それは間違いないですね。「イデオロギーではなくアイデンティティだ」と。翁長さん自身が、そういうふうに変わっていった。歩きながら考えるタイプの政治家なんです。

「沖縄ヘイト」に直面して

 佐藤:実は、沖縄自民党の重鎮だった時代は、翁長さんは普天間基地の移設に関しても「県内でやむを得ないのではないか」とはっきり言っていました。ただ、その考えが県民と一緒に歩いているうちに変わっていったんですよ。

 私が印象に残っているのは、知事になってしばらく経ったときに東京都内のあるホテルで会ったときのことなんですが、翁長さんは「私の考え方が決定的に変わったのは、2013年の1月27日なんです」とおっしゃった。

 この日、日比谷の野外音楽堂でオスプレイ反対集会があって、そのあと銀座までデモをしたんです。このとき、翁長さんは那覇市長として出席していて、私もデモに参加していたんですね。

 そのときに「行動する保守」という人たちが、200人くらいいたと思いますが、あちこちで日章旗や旭日旗をガードレールに結び付けて、街宣車を使って「非国民は日本から出て行け」「オスプレイは必要だ」とやっていた。そして同時に、そのうち何人かが中国の五星紅旗を持って「沖縄のみなさんを応援しています」と、あたかも中国人が沖縄のデモを支援しているように装っていた。こういう雰囲気になったことがあったんです。ヘイトスピーチ規制法ができる前のことです。

 ちなみに、「ヘイトスピーチ」は他の民族に向けたものなので、沖縄県民は自国民だから対象にならないんですよ。だから今でも、沖縄ヘイト言説というのは、法律では取り締まることができないんですよね。

 それで私が翁長さんに、「確かに、あの時はひどかったですよね。私もデモの中にいたので、すごく嫌な気持ちでした」と言うと、知事はこう言ったんです。

 「いや、ああいう極端な考え方を持っている人は以前からいるんです。私が感じたのはそこではなくて、銀座通りをデモしているときに、ひと昔前なら、そういうことをしている人がいたら、『あなたたちは何をしているんだ』と注意する人がいた。でもあの時は、私が見ている限り、そういう人がひとりもいなかった。日本は本当に変わったな、沖縄に対して冷淡になったな、と思ったんですよ。

 そのとき、やっぱり自分たちの身は自分たちで守らないといけない、日本政府の良識にお願いするだけではダメなんだ、自分たちで強く主張しなくてはいけない、と思ったんです」

 邦丸: ふーむ。

側近たちへの「最後の指示」

 佐藤: 翁長さんが亡くなったのは、8月8日の午後6時43分でした。その日の午後5時50分に、翁長さんの秘書から電話がかかってきたんです。知事は私が電話するとどんなときでも必ずかけ直してきましたから、膵癌を公表されてからは、負担をかけてはいけないから、まず秘書を経由して連絡をとっていたんですよ。

 その電話の前に「知事が執務不能になったので、これから副知事を代行に立てる会見をします」という留守電が入っていたんですが、私が気づかなかったんです。

 それで、かけ直そうかなと思っていたら、ちょうどかかってきて、「今、会見を終えたんですけれど、実は昨日から知事の意識が混濁し始めまして…日曜日(8月5日)までは本当にしっかりしていたんです。こういうことになったので、大きく状況が変わります。

 ところで佐藤先生、先週土曜日の琉球新報の『ウチナー評論』というコラムに、『沖縄を代表する人は翁長さんしかいない、だから翁長さんに出馬表明してほしい』と書いてくださいましたよね。翁長が非常に喜んでいました。くれぐれもよろしくとのことでした」ということだったんです。

 このことからわかるのは、つまり翁長さんは、「自分が執務不能になったときには、こういう手順をとってくれ」という細かい指示を側近にあらかじめ出していたんですね。周囲はその指示に従って、私も含め、世話になった人たちに連絡を出した。最後まで気配りの人でした。

 邦丸: なるほど。

 佐藤: それから、翁長さんは本当はどう考えていたのか、ということですが、実はいわゆる「沖縄独立論」には反対していたんです。

 沖縄の自己決定権を強化することがなぜ必要かというと、そうしないと、かえって沖縄を日本から分離するような状況に追い込まれてしまう。それを中央政府はわかっていない、という考え方でした。だから、日米安保条約にも賛成なんですよ。

 とはいえ、日本の0.6%の面積しかない沖縄に米軍専用基地の70%があるという状態が続くのは、受忍の限度を超えている。しかも、辺野古新基地は普天間の移設にとどまらず、航空母艦が横付けできてオスプレイ100機が駐機できる、さらに巨大な基地になる。このような過重負担を強いるなんて、日本政府は本当に沖縄県民を対等な仲間と見ているんだろうか──こういう疑問が沖縄にはあるから、黙っていられないんだ、と。

 それから翁長さんは、ここ最近は朝鮮半島情勢を一生懸命勉強していました。要するに、シンガポールで米朝首脳会談が行われたのだから、もう朝鮮半島の米軍が軍事行動に出る必要はなくなったじゃないか。みんな、もう少し冷静になろう。北朝鮮の脅威が緩和してきているんだから、なおさら辺野古に新基地を造らなければならない理由はない──と。

 今年に入ってからも、何度も知事とは電話で話したんです。そのときは、いつ仲井眞(弘多)前知事が行った埋め立て承認を撤回するか、ということを考えていました。このカードは1回しか切れない。知事はリアリストでしたから、そこは裁判になれば勝てる見込みはないと見ていたんです。

 邦丸: 佐藤さんが書かれた東京新聞のコラムで、そうだったのかと思ったのは、「法的手段に出てもおそらく沖縄県側が敗れるだろう。最後の最後には、どうするのか」と翁長さんに聞いたら、「女房と一緒に辺野古の前で座り込みますよ」とおっしゃった、という。

 佐藤: 最後まで座り込んで、とにかく暴力には訴えない。しかし、沖縄としては新基地の建設は認めない、最後まで非暴力で抵抗する、と言っていました。この翁長さんの生き方は、これからも沖縄で語り継がれるでしょう。

 ただ、ここで強調しておきたいのは、翁長知事はそうして沖縄の過重負担を減らすことで、沖縄と日本の関係を正常化したい、と考えていたということです。すなわち「日本の中の沖縄」という道を歩んでいく、その道筋をつけたいと思っていたんですよ。だから、日米安保を破棄するのではなく、むしろ安定的に維持することを目指していた。その意味では、徹底した保守派だったんです。

 これが、東京で誤解されているところなんですよね、翁長さんは左翼だとか、共産主義者だと言う人もいましたが、そういうことでは全くなかった。そこはブレない人でした。

沖縄県民がいちばん見たくないもの

 邦丸: 4年前の11月、私も佐藤さんと一緒に那覇市内に入って、沖縄県知事選挙を取材に行きました。仲井眞さんと翁長さんの戦いでしたが、あの熱気はいまだに覚えています。

 本来なら、この11月に第1期が終わるはずでしたが、9月30日に新しい沖縄県知事を決めるための選挙が行われることになりました。

 佐藤: これは誰になるか、わからない。ただ重要なのは、どちらの陣営も正直にやらないといけない、ということです。オール沖縄は内部がガタガタになっている。誰が出てきても、翁長さんと同じようなカリスマ性は得られない。

 一方で、その反対側の人たちは、正直になるべきだと思う。沖縄の中にも多様な意見があります。たとえば、「日本全体の利益のためには、沖縄は基地負担を引き受けるべきだ」と考える人もいれば、「基地は引き受けたくないけれど、中央政府が本気でやると言うなら、もう阻止する術はない。ならば、そのかわりに経済的利益を受けたほうが現実的ではないか」と考える人もいる。

 そういう考えであるなら、「基地賛成」もしくは「容認」だということをはっきり言って、「沖縄のためには、この道しかないと思う」と堂々と選挙に臨むべきだと思うんですよね。

 なんとなく「基地には反対だ」とか「普天間の危険を除去しなければいけない」と言って、辺野古については何も言わない。そうやって争点隠しをして、選挙が終わってから「中央政府が言っているから、しょうがないですね」となし崩し的にやっていく。これは沖縄の人がいちばん見たくない姿です。

 だから、正直にやるということがいちばんの課題になると思うんです。意外と難しいんですけどね。

邦丸: 翁長さんの前任の仲井眞さんも、当初は「沖縄のアイデンティティ」を非常に重視していました。

 佐藤: そうですよ。仲井眞さんのことが本当に嫌いだ、という沖縄の人は少ないと思うんです。仲井眞さんは埋め立て承認に追い込まれてしまった、その東京のやり方に対する不満ですよね。大きな力の前に屈していくリーダーを見て、沖縄の人は、自分たちがいちばん見たくなかった姿を見てしまったわけです。もし仲井眞さんが、あそこで埋め立て反対を撤回しなければ、翁長さん同様の求心力を持っていたでしょうね。

 でも、それを裏返していうなら、「ポストが人をつくる」んです。

 邦丸: うーむ。

 佐藤: 翁長さんと同じ路線を採るならば、次の県知事も、しばらくすると求心力を持ってくると思いますよ。ただ、翁長さんのようにブレない自分の言葉を見つけて、なおかつ中央政府との関係を安定的に構築していく、すなわち日本から分離する方向ではなく「日本の中の沖縄」という路線を持てる人物は、なかなかいないと思います。もっとポピュリズムに流れてしまうでしょう。

 邦丸: 9月の県知事選挙を注視していきたいと思います。

 佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」vol.139(2018年8月22日配信)より



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物事を深く考えられない人達が、翁長知事を叩く。

自分自身が翁長知事に苦しめられた訳でもないのに、安倍政権の代弁者であるかのように、権力者目線で沖縄を上から見て叩く。

『国に楯突く者は許さんぞ!!』


とでも言うように。


この状況がいかに恐ろしいことなのか気づいているのだろうか?

国が言ってることに従え!
正しいかそうでないかは関係ない!
個人の利益、地方の利益も関係ない!
国が、中央が決めたことが絶対だ!
国が白といえば白、黒といえば黒、それに逆らう奴は潰す!

これが戦前の軍国主義の思想であり、これを許すことが、次第に戦争を許していく体制を作っていく事につながる。

『国民の財産は全て国のものだ!』


沖縄の状況は、まさにコレ。

沖縄の空や海、豊かなやんばるの森、それらをそこに住む者達から奪い取っている。しかも暴力によって。


民主主義の破壊である。

沖縄で許されたこの暴力は、いずれ目に見える形で日本全国にも広がる。




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