「朝鮮半島と日本のつながり」に関する参考レポートから抜粋
古事記は新羅に対する敵視はあまりない
日本書記は新羅を蛮国視している
→古事記と日本書記は天智天皇が放火されて過去の書物が焼かれたといい、書き直しさせたもの
→では天智天皇サイドでは新羅を敵国と仮定していると思っていいわけだ
→では天智天皇はどこの人?? 朝鮮半島から来た百済民 百済はどういう立ち位置なのか??
→新羅と唐に滅ぼされた
→伽耶(加羅)と百済は新羅&唐に滅ぼされた
→伽耶(加羅)諸国の中にあったのが安羅
※宮中の神楽は韓神を招く行事??園韓神の社というのは三社あって宮内省坐園韓神三座というのがそれ(レポートによるとそうらしい)
※昔は新羅をソラブル、ソヤブル、ソナブル、ソブルとも言いい、ソウルとは都 ソというのは新羅の元号(レポートによるとそうらしい)
※新羅の初代王を赫 居世(ヒョクコセ)「伊勢神宮の祭祀制」に「神宮の称号の起源は新羅の神宮に由来している」という(レポートによると)
※居世(コセ)=様 居世=コソ 神社=社(コソ) すべて尊称(レポートによると)
※浅草の三社祭の祭神は朝鮮渡来系で浅草寺は百済仏 長野の善光寺も百済仏(レポートによると)
※土師中知も百済系で羽曳野市 河内の飛島に行くと飛島戸神社があって祭神は百済の混伎王(こんきおう)(レポートによると)
→そもそも河内は大和系が滞在してたはずで、天智天皇の頃に河内は百済系が雪崩こんでる そこにきたのがゆうべ書いた継体天皇が河内に入ってる
→継体天皇というのは百済系で伽耶 河内はその頃に乗っ取られてたと推測する その頃大和系は河内から離れたとも推測する
継体天皇(けいたいてんのう)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/継体天皇-59037 - キャッシュ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 継体天皇の用語解説 - 第 26代に数えられる 天皇。名はオオドノミコト。応神天皇5世の孫。父は彦主人 (ひこうし) 王。母はフルヒメ ノミコト。大伴金村らに越前から迎えられて河内で即位した。河内の樟葉宮,山背の 筒城 ...
辞書別に見る:日本大百科全書(ニッポニカ)-朝日日本歴史人物事典
※高麗郡は池袋近く飯能というのはハンナラという言葉がなまったもの ハンナラとは朝鮮語らしい 奈良もそうらしい(レポートによると)
※高麗神社の宮司は高麗氏で59代目 分社が武蔵の国に約130ほどひろがってるらしい その神社の別名 白髭神社 大宮神社 広瀬神社
※浅草の白鬚神社は近江の白鬚神社を勧請したものらしい(レポートによると)
※滋賀の比良山地の比良も本当は新羅だった(レポートによると)
※白鬚神社は新羅系のまつった神社 それが衰微してその上に高麗神社が重なった(レポートによると)
※高麗神社の系図が1259年に焼けてしまったため、その系統の有力者が集まり再編集したとか
※「1799人の高麗人をもって高麗郡を置く」というのが続日本紀に出ているそうだ 719年高麗郡が健郡(レポートによると)
※狛江郷 調布 井の頭公園まで狛江郷 それが川崎まで広がっている 武蔵野市まで 高麗家系統(レポートによると)
※箱根に駒ケ岳というのがあるが元は高句麗のコマ 箱根権現 箱根神社 大磯の高麗神社の分社(レポートによると)
※山形の寒河江市 朝鮮渡来人の集落があって寒川神社はその兵神 寒川神社は租神をまつった神社 高句麗(レポートによると)
※京都の秦野 祇園という地名 加茂という地名 大秦野という駅 新羅と伽耶系の秦氏族(レポートによると)
※埼玉県志木市 志木とは新羅がなまったもの 白子というのは新羅の居住点(レポートによると)
※白山神社とは白山比 神社(レポートによると)
→すいませんが、とことんバチあたりしてますけど・・・そして浄土真宗の全国一揆の元ですね これ
白山本宮は洪水や火災に度々遭って再建を重ね、文明12年(1480年)の大火で全ての社寺が焼失し末社である三宮の鎮座地(現社地)に遷座した。
これに先立つ文明3年、本願寺8世蓮如上人は、吉崎に道場を開いて北陸に浄土真宗を広めた。弥陀の本願を信じあの世の往生を願えという教えは、白山信仰に取って代わっていった。武士・農民からなる門徒集団は、長享2年(1488年)加賀の守護富樫政親を金沢の高尾城に攻め滅ぼした。以後織田信長配下の武将柴田勝家が金沢御坊を攻め落とすまでのおよそ100年間、加賀は「百姓のもちたる国」といわれ、中心が金沢へ移った。こうした一向一揆による加賀国支配によって白山の世俗的権力は衰微し、社頭も荒廃した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E6%AF%94%E3%82%81%E7%A5%9E%E7%A4%BE
※埼玉県白子・志木は新羅郡から新座に変わった(レポートによると)
※神奈川県では高座(たかくら)郡 これは高句麗(レポートによると)
※群馬県の吉井(158家が吉井連よしいのむらじ)という姓をもらう新羅系 甘楽郡は元は韓郡で鏡川はもとは韓川だった(レポートによると)
※栃木県は那須国造碑 これも新羅
※今は土地を買って移るためには1坪100万円だ、東京なら1000万円だみたいなことですが、そのころはそうではない。行って住めば、それで良かったのです。別に地主も何もなかった。行って縄を張って、ここだと言えばいい。そこに神社を勧請して住めばいい。そういう具合にしたものですから、神社があちこちに広がっていきます。←レポート原文そのまま
→そしてこの原文発想において大きな間違いをしているのがわかってもらえないのだろうな。地主はいた。うちみたいなのは完璧なる地主だった。
そこに、俺の土地だぁぁぁ~と乗り込んできて陣取り住めばいい??神社を建てればいい?? ふざけてんな それこそがインチキ皇室と日本に拡大した左翼の在日朝鮮人の考え、思想そのものだ。怒りがこみあげてくると同時にこの意見を参考にする。徹底的に締め出しするから覚えとけ。
百済(くだら / ひゃくさい)は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家(346年?[1] - 660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅、半島南部の伽耶諸国とあわせて百済の存在した時代を朝鮮半島における、三国時代という。新羅を支援した唐によって滅ぼされ、故地は最終的に新羅に組み入れられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88
伽耶(加羅)と関係の深い任那諸国は6世紀になると百済や新羅の侵略を受け、西側諸国は百済へ倭から割譲或いは武力併合され、東側の諸国は新羅により滅ぼされていった[12]。512年に4県を倭が百済へ割譲し、532年には南部の金官国が新羅に滅ぼされ、また562年には洛東江流域の伽耶諸国を新羅が滅ぼした[9]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%80%B6
①滋賀県近江の草津市 穴村 安羅(あら)神社 祭神は新羅の皇子天日槍(アメノヒボコ)