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大善人へ身魂磨き

十牛図 第10図 「入鄽垂手」

10図、入鄽垂手(にってんすいしゅ)は、町に出て生活するです。図には七福神の布袋さんのような姿が描かれています。布袋さんのお腹はまん丸いです。大きな袋には、人からもらったものが入っており、人に会うとそれを取り出して、あげていたということです。姿はダルマのようにもみえます。


仏教で禁じられているお酒も、お肉も大好きな感じがしますね。お腹に安定感があり、私の子供達が赤ちゃんの時こういうお腹のひとに安心して座っておりました。


絵は布袋さんの前に子供が現れて楽しそうに話しているようにみえます。そこには、ほのぼのとした空気が流れています。


布袋さんは随分歳上のようですけれど、そんな素振りは感じさせません。区別が無い気がします。


区別は、自分の中に生まれたら、自分を傷つけてしまうようです。こうでなければ駄目だと、自分を責め、自分が自分を受けいれないと病んでしまいます。こうでなければならないというのは、窮屈な生き方だとつくづく思います。そういう私も若いころは、頑張らないと駄目だとか熱く考えていました。


また、人と人の区別意識は、差別を生みます。日本にも世界にも様々な差別の歴史がありました。差別する側の誤った優越感と、差別された側の心に根強く残る怒りと悲しみは、差別意識がある限りは形を変えて出てきます。行き過ぎると争い、戦争にさえなります。


この世が終わったあとおそらく尋ねられる質問、

「充分学んだか、充分愛したか、充分使命を果たしたか」

も、区別や差別を取っ払うことがまず必要かもです。区別や差別があるうちは、充分どれも果たす事ができませんから。


自分の中の区別意識。これは、十牛図で牛と自分が別々に描かれていた状態のようにも思います。まずは、区別がなく、あるがままで充分だと自他を認めることから始まりです。


そして最後の絵は、牛のように、ダルマのように丸々とした布袋さんと子供。布袋さんは、身なりにこだわらず、威厳もなく、おへそをだして、まるで、幼な子のようであり、2人は親しげに話しており、そこに漂う空気は全てを包み込んで微笑ましいです。


布袋さんは悟ってはいるけれど、そんな素振りもみせません。


修行したり悟ったりした人だけが幸せになるのではなく、最後は町にでて皆と同化しながら、自分が得たもの、悟りさえも囚われない姿として描かれています。


ただ目の前の人がありのままに輝いて成長すること、そしてほんの少しの成長も我が事のように喜んであげられる、そんな素朴なヒトが布袋さんとして最後の図には描かれているようにも思いました。


 

空っぽのひょうたんをぶら下げて町に行き、疲れたら杖(つえ)をついて家に帰る。

仏さまの教えにもしばられず、酒屋にも魚屋にも行って、会う人みんなの心を安らかにしていくのである。


その人は胸をあらわにし、はだしになって町に入ってきた。

土にまみれ、泥をかぶりながら、その顔は笑いに満ちている。

仙人が持っているという不思議な力があるわけでもない。

ただ、枯れ木に花を咲かせるように、人々を救っていくだけだ。




七福神


長々と十牛図のお話に最後までお付き合いいただきありがとうございました。




おわり


コメント一覧

あき
難しすぎて私にはよく理解できませんが、
禅の世界、十牛図の世界観は
言霊や数霊などにも通じているのでしょうか。

凄いですね。

コメントありがとうございました☺️
数ならぬ一な思ひそ魂祭 (本歌取り)
 ≪…十牛図のお話…≫が、数の言葉ヒフミヨ(1234)が、[十の刀模様の物指](五蘊物指)になる記事を見つける。

・・・ ・・・

≪…禅の伝統的な見方と違った解釈…≫を、数の言葉ヒフミヨ(1234)が、平面(2次元)からの送りモノとして眺めると、十の物指に生る。
刀模様の物指
1 左向き模様(赤)
2 右向き模様(黄)
3 左向き模様(青)
4 右向き模様(白)
5 左向き模様(黒)
6 右向き模様(黒)
7 左向き模様(白)
8 右向き模様(青)
9 左向き模様(黄)
10 右向き模様(赤)

この模様物指をひっくり返すと
-1 右向き模様(赤)
‐2 左向き模様(黄)
‐3 右向き模様(青)
‐4 左向き模様(白)
‐5 右向き模様(黒)
‐6 左向き模様(黒)
‐7 右向き模様(白)
‐8 左向き模様(青)
‐9 右向き模様(黄)
-10 左向き模様(赤)

と生る。 左向き模様(赤)を軸としてひっくり返すことにより原点(0)が顕現する。
 数の言葉ヒフミヨは、+-10までの整数の姿を模様で示す。
 これは、実数直線上に4次元までの数体が溶け込んでいるのを十牛図に重ねる。
1尋牛 尋[1] ヒフミヨの[1]
2見跡 [1]のでんぐり返り 素数・偶数
3見牛 [尋牛 見跡]のでんぐり返り
          素数・奇数
4得牛 [尋牛 見跡 見牛]のでんぐり返り、 合成数・2次元数体の2の[得牛(数)](2)で、[見跡(数)](√4=2)(直径)と・・・
5牧牛 平面から観る[牧牛(数)]は、実数直線上の[見跡](√2)や[見牛](√3)については円環内に収まるが、[牧牛]√5は、円環の外(牧牛)に・・・
6騎牛帰家 平面から観る[騎牛帰家](騎数数体(次元・位相)]は、実数直線上の[騎数数体]√6は、計算による√2×√3=√6が、完全数6の姿で・・・
7忘牛存人 平面(6)から立方体に向かう +[1]と・・・
8人牛倶忘 平面からの数を[人(平面)数倶忘]する 2³=2×2×2 からの立方体数(1×1×1)の姿に・・・
9返本還源 平面(√4=2)からの数の姿に[返本還源](√9=3)している 3²=3×3 の姿に・・・
10入鄽垂手 4次元までの数を自由に使いこなせる[入鄽垂手](十の物指)の姿に・・・

 1を聞いて10を知る
 犬も歩けば棒に当たる
 一寸先は闇
のいろは詩の慣用句は、[ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と]のいろは詩と相互乗り入れする姿(「桜舞乱心*いろは詩」)に・・・

 もみじ葉の石に潜みし十牛図
あき
鬼雷さん

この段階に至りたいものです。

十牛図は人の数だけ解釈ありそうですから
解るなぁというとこと、想像の域から出ないとこもありました。

少し時間がたったら見方が深まったり何か大きな意味が解るかも!?と思ったりしています。
ホトトギス。
ホーホケキョ。ホーホケキョ。
辛い事さえ何事も鳴く成るには時間が必要ですね。

長々とお話しにお付き合いいただき
ありがとうございました!
鬼雷
ここに至れば、楽し。嬉し。愛し。ですね。

たとえ、現実に如何なる、苦し、辛し、憎しがあろうとも、根源なる自分自身の面目に至れば、全ては一時の洗濯、大掃除。

時が過ぎればホトトギス。

ああ、道々溢れる、かむながら。

ああ、惟神 。

ありがとうございます。
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