大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

御岩山登拝記 ②

2024-09-03 04:47:00 | 神社仏閣
日本最古の地層、カンブリア紀の地層を踏みしめながら、山頂に向かいます。


その途中に、「かびれ神宮」という御岩神社の奥宮が鎮座していました。雨あがりの厳かな雰囲気の霊山を背景に、大きな巨石が鳥居のそばにありました。


その地から頂上まで、しっかりとした登山道が続きました。


そして登頂です。




太古の磐座信仰を思わせる磐座が頂上にはゴツゴツありました。木がワカメみたいです。茨城の酒列磯前神社(御祭神はスクナヒコナ神)の雰囲気と似ています。

山頂なのに海底みたいな雰囲気でした。






見晴らしが良く、表参道入口で15分ほどふった雨のお陰で暑くありませんでした。




頂上のあまり目立たない所に、御神体と書かれた標識がありました。




先にいってみると、御神体の山に石柱が立っていました。剣のようにも見えました。


大地を司る地球神、御祭神

国常立太神のものかしら。☺️


何かを突き「立」てることは占有を意味したり、なにかの侵入を防ぐ結界も意味しており、境界を作るともいわれています。


暫くして頂上から降りていくと、地図には、血の池という場所が描かれていました。人がつくった剣による火花が散った地かもしれません。池はもはやなく、石のようなもので塞がれ御幣が立っていました。



この地まで、ツチ雲は逃げてきたのかなぁと夫と話しました。

かなりの登山道でした。


花こう岩

雲母の光る大地立つ

太古に散りぬ土雲眠る


和歌をつくってみました😌



裏参道にある薩都神社にも参拝しました。


主祭神、立速日男命です。

祟り神の性質をもつために祀られたとありました。


ハヤヒのつくご神名の神様は、饒速日命が真っ先に思い付きますが、その他、火の神様であるカグツチ神が斬られた際に血から生まれたとされる甕速日(みかはやひ)神熯速日(ひのはやひ)神がおられます。


甕速日神と熯速日神は、イザナミ様を死に追いやったために斬られた火の神の血からうまれます。


「速日」には、迅速で猛烈な太陽の神とする説、勢いのさかんな霊として雷神の性格を取る説、火が猛烈な霊力のある神とする説があるようです。


花崗岩は、とても硬い石。火口と同じ響きです。地震がおこらないように、太古の火の山全体で抑えてくれているのかもです。




茨城は、一寸法師のモデル、お酒造りの神様、スクナヒコナ神が常世におかえりになった美しい海にも面しています。


茨城県、旧常陸国は、神話に織り込まれたり、お伽話に残されたり、今なお人気のアニメに暗喩されている土地だなと感じます。


様々な八百万の思いを受け入れてきた地かもしれません。


太古から祈りの対象である山。


茨城県、常陸の国、日立の御岩山の神さま。


日本をお護りしていただきありがとうございます。


御岩山登拝記 ①

2024-09-02 08:06:00 | 神社仏閣
薩都神社を後にして、茨城県の日立の御岩山に向かいました。以前、姉と一度御岩山中腹にうつされた薩都神社までは参拝しました。


常陸國風土記に「浄らかな山かびれの高峰(🟰御岩山の古称)に天津神静まる」と書かれている霊山御岩山は、かつては葦原山とも天香具山とも呼ばれ、江戸時代においては徳川水戸藩の崇敬篤く修験の山として水戸出羽三山とも称された山とありました。


御岩神社は、国常立神をはじめ、ご祭神は写真の通りです。




前回、中腹の薩都神社まで登拝したときは、裏参道から行きましたが今回は表参道からです。

登拝する際、暑いかなぁと心配しましたが、丁度表参道に入る直前にパラパラと雨がふり15分くらい雨宿りしてから登ったので、その後は清浄な空気のもと涼しかったです。





表参道からしばらく行くと、途中に興味深い標識がありました。ここまでは、白亜紀。ここからは、カンブリア紀の標識。夫と、しばらくこの場所で感動していました。






夫が断層をみて、長野のお袋石でみたような断層だねと話しました。

この地は、カンブリア紀、5億3300万年前の地層が露出している日本最古の地層であるようで、そんな地層が露出しているのはこの常陸の地だけだというのです。

この地の発見がある前は、岐阜の地が最古だったようですが、約5億年前の花こう岩が露出している様子を観察することができるのは感慨深いです。


岐阜の金華山では、龍体が露出したような地がありました。あちらは、チャートの岩質でした。


宇宙飛行士の向井さんが、日本に光の柱が立っていて、その場所を調べてみたら日立の山の中だったと言ったことがあり、それがこの御岩神社のあたりだったという逸話により、最強のパワースポットの謂れとなったようです。姉は、その話を知り私を誘ってくれました。


この最古の地層の花崗岩には、黒雲母や白雲母などの雲母が含まれており、これは遠くからみてキラキラと光るようなのです。


光の柱は、雲母。

ウンモは、「クモ」の母と書くんですね。


ところで、このような花崗岩地帯の湧き水はおいしい水になるため、古くから日本酒造りに使われるようです。


六甲の灘の清酒など、日本各地の名酒には花崗岩地帯の水が多く使われているようです。 六甲あたりは、巨岩がゴロゴロしており、六甲ヒメ神社や、越木岩神社に参拝したことを思い出します。


御岩神社のこの花崗岩の大地は、火山活動の産物です。感慨深いですね。この山や、岩や、大地は、全体で大地の命の現れを体現しています。


私たちになくてはならない水にも関係が深いのです。



つづく




薩都神社 in 茨城

2024-08-29 08:56:00 | 神社仏閣

大分県佐伯は大和朝廷に抵抗し、サエギったとも言われ、山の佐伯野の佐伯と言われたとありました。義父の実家が佐伯なので、縁のある地に行こうと一昨年は九州をまわりました。

土蜘蛛が抵抗した地に行きました。そこは、数えきれないほどのトンボが飛んでいました。


「茨城」の地名の起りについて『常陸国風土記』には佐伯のことが記されています。

「山の佐伯と野の佐伯 が土地の人々に危害を加えるので、この悪賊を滅ぼすのに茨(うばら)で城 (き)を造った」という説です。山の佐伯、野の佐伯を土雲、都知久母(ツチグモ)ともよんでいます。

茨城の地名の由来のもう一つは、黒坂命が国栖(くず)たちを征伐する際に、彼らの住居に茨棘(うば ら)を仕掛けたからという説でした。国栖とは、ツチグモと同じようなまつろわぬ抵抗勢力です。


茨城県にあります竪破山の頂上にこの黒坂命が祀られている黒前神社があるようです。

この山はもとは角枯山(つのかれやま)と呼んだようですが、紀元前80年頃、蝦夷征服に出征していた黒坂命(くろさかのみこと)がこの地で病気になって死んで以来、黒前山と呼ぶようになったと、「常陸国風土記」で紹介されています


その後、江戸時代になって、八幡太郎源義家の故事にちなんだ岩に、西山公徳川光圀が「太刀割石(たちわれいし)」と名づけ、この名前からこの山を竪割山、竪破山と呼ぶようになったようです。


八幡太郎源義家の故事とは、寛治元年(1087年)、八幡太郎源義家が、奥州遠征(蝦夷討伐)の折立ち寄り、巨石の前で野宿をしていると、夢の中に「黒坂命」が現れ大太刀を差し出し、その大太刀を一振りすると、岩が真っ二つに割れた話で、太刀割石(たつわりいし)→竪破山(たつわりやま)となった、とか、、。

この地は、ツチグモ征伐の黒坂命が病に倒れた地であり、また、八幡太郎源義家が平安時代末期に奥州の蝦夷征伐の戦勝祈願した地など、戦いの伝説がのこります。

この竪破山にある巨岩は、刀で切られたような岩であり、鬼滅の刃の聖地みたいですね。


写真はお借りしました。


この夢の中ででてきた「黒坂命」は、茨蕀(うばら)(いばら)をもって土着先住民の国巣(栖)(くず)をほろぼし、また、陸奥の蝦夷を討ったとつたえられています。


茨城の薩都神社に行ってきました。薩摩が都、というような名前だなぁと思いました。こちらの神社は風光明媚な田舎に静かにたたずむ神社でした。周りの雰囲気は、どこか、阿蘇の霜神社に似てるねと夫と話しました。






薩都神社の御祭神は、
立速日男命(たちはやおのみこと)
風土記では、立速日男命の祟りに苦しんだ住民たちの要請を受けて、中臣鹿嶋連の祖・片岡大連が朝廷より派遣されて祭祀させたとあります。


また、常陸国風土記』には薩都神社の項が存在し、788年松澤の地に社を建てたのを創祀とする。800年には村人の奏上により大連を派遣したところ「穢れ多い里よりも高山の浄境に鎮り給へ」と託宣があり賀毘礼之峰(日立市入四間町)に遷座、更に806年には山が険しく人々の参拝が困難であるから小中島(常陸太田市里野宮町)へ遷座したとありました。


参拝をおえると、不思議なことがありました。一枚ヒラヒラと空から白いものが落ちてきました。なんだろうと思って地面に落ちたものをみると、鳥の小さな羽なのです。この羽🪶、大切にします。




薩都神社のあとは御岩神社にむかいます。御岩神社の中腹には、薩都神社が祀られているし、御岩山頂まで登拝したいと思い、以前も御岩神社は姉と参拝しましたが、再度、今回は登山装備で御岩神社に向かいました。


薩都神社を去ってすぐ、大きな青鷺がもう少しで車にぶつかるかもしれないほどの距離で飛翔していきました。先日も、妹と大瀬神社に行った時に同じ事がありました。

不思議だなぁと思いながらも、薩都神社で手にした羽の主かもなと思いました。


大瀬神社 in 伊豆 土佐との縁

2024-08-07 09:20:00 | 神社仏閣

伊豆に妹が気になる神社があるというので参拝いたしました。大瀬神社です。

伊豆は大室山に以前家族と行って以来です。

大瀬神社は由緒が興味深く、下記のとおりです。

大瀬崎は、白鳳13(684)年の大地震で海底から現れた島が始まりとされている。いにしえの人々はその島が、地震で海没した土佐国から神が引いてきた土地だと信じ、大切に祭ったという。そして神から授かったその池を、神池と名付けた。

2年前の春,桜の時期に、妹と参拝しました高知の南国市にあります琴平神社 (海の痕跡 )は小高い山の上にあり太平洋や南国の街並み全貌を見下ろすことができます。

そこの神社まで、白鳳の大地震の津波がやってきたことが記され、高知はかなり海に沈んだことが書かれていたのを思い出しました。

南海トラフ、恐るべしです。

伊豆の神社には龍のような迫力の木が沢山ありました。ビャクシンの木のようで、ビャクシンは和の白檀とか言われているようですね。



まるで、土佐の海にいた龍がこれでもかというほどのエネルギーを時代を超えて体現しているようで、木々は樹齢1000年を超えるもののようです。土佐の地が深海に沈んだのが684年。1000年以上時が確かに経過しています。

この海では、沢山のダイバーがダイビングをしていました。そういえば昔ダイビングのライセンスを伊豆の海でとったことを思い出しました。この海だったかは、残念ながら忘れましたが、なぜか懐かしい気がします。まだ、大学生の頃で神社は興味がない若い頃です。笑


大瀬神社には引手力命(ひきてちからつのみこと)が祀られており、この神を祀る神社は日本全国でこの神社だけなのだそうです。

戸隠神社や、天岩戸神社、天手長男神社壱岐島)に祀られます、岩戸開きにでてこられます手力男神と近い神様かなぁと、妹と話しながら,この地で一番高い所にあります社にのぼっていきました。本当の岩戸開きは皆一人一人がするものだと思っています。



ところで、沈んだ土佐のご神域を次の日に引っ張ってくる力のある神様。土佐を7世紀に襲った南海トラフ。土佐が壊滅した次の日にできた島は、駿河トラフや相模トラフ上にあるわけです。考えが及ばない巨大なエネルギーの吸収と放出が1000年以上前になされます。地球の年齢からいうと、1000年もほんの少し前かもしれませんが。


いつの時代も人間は小さくて、サムシンググレイト、神のお働き、大地の上で、生命活動をさせてもらっている小さな小さな存在に過ぎないと感じます。

鳥居をくぐります。クロアゲハにあいました。手水舎のあたりで妹がアライグマ🦝がいる!というのでよくみてみると、ハクビシンではないですか。



右手に海、左手には龍泉木のようなビャクシン樹木の参道をあるいたあとに出会うハクビシン。



なんだか音の響きが似ていませんか。

ビャクシン,ハクビシン。

ビャクシンは、和の白檀。白檀はお香に使います。

ハクビシンは白眉神かなと調べたら、白鼻芯 😄だそうですね。鼻からスサノオ神を思ってしまう。。


海上安全、ダイバーの安全、美しい海を守る土地神様。この地の動植物、精霊、やおよろずの神のエネルギーの土地。

周りを海に囲まれたこの島は、島全体がご神域です。島の真ん中には外周1キロの淡水の池があります。土佐の地震の後、島と共に突如現れた池は、神池と呼ばれており、海水に囲まれたこの地に突如うまれた淡水の池。


伊豆の7不思議だそうです。

神池には、沢山の淡水魚が生息しており、この魚をとったりしたら、怖い懲罰が起こるとしるされます。向こうの木に白鷺がいました。


この池は富士山の伏流水が流れているとも言われており、大きなフナや鯉がたくさんいました。地震と縁深いなまずもいるようです。

ビャクシンの御神木のエネルギーは、神池の周りではさらにパワーアップしています。圧巻でした。



御神木の下の小さな祠の前に可愛いハートの石がありました。土佐と伊豆の縁を引いて結んだのかな。


伊豆は、大室山について書いた時も感じましたが、結びの地かもしれませんね。

トラフを抑えるよう、太古の大災害を忘れないように、祈りの力を信じます。大難を小難へ。

地球神のお働きの壮大さを感じます。

こちらの島からは、富士山が望めるようです。

ご神域の中の海側に灯台があり、砂利の海岸には誰かが積み上げた石もありました。

酷暑の夏には雲が発生しやすいので富士山全景をみるのは難しいですね。 今回は裾野しか見えませんでした。


冬空気の澄んだ日に再度行きたいです。


金櫻神社と昇仙峡 in 山梨県

2024-04-19 05:01:00 | 神社仏閣

妹が所用にて関東にきていました。


私の平日休みに、妹も空いていたので、急にどっか行く?という話になりました。


まだ参拝していない神社で、関東圏では、安房神社か金櫻神社に行きたかったので、妹に選んでもらいました。


桜シーズンだし、金櫻神社は昇龍と降龍がいるというのを妹が見つけ、辰年だし、金櫻神社にしようと言いました。じゃあ、決定❣️と、車を運転してもらいました。


金櫻神社はいいよと、ある方に以前に勧められ、ずっと行きたいと思っていましたが、実際に行くと素晴らしい神社でした。


山梨の昇仙峡は、水晶発祥の地みたいですね。

安いものは500円くらいで水晶が手に入ります。娘たちに水晶をお土産に買いました。


金櫻神社は桜が満開でした。櫻が神社名になっているだけあり、ピンクで染められたご神域は息をのむ美しさでした。


参拝して、さらに、山の頂上むけて緩やかな坂道をのぼりました。空気が変わる場所がありました。龍が悠々と泳いでご神域をお護りしているように思いました。


頂上では、富士山と金峰山を遥拝できます。天皇陛下が皇太子だった時に詠まれた和歌の碑がありました。私達はふたりしか居ませんでしたので、自然の中で坐をしました。


目の前に松がありました。


桜の時期🌸に参拝できて、良かったです。


金櫻神社からすぐの所に昇仙峡がありました。


そちらも素晴らしかったです。

ご神域をおまもりしているのでしょうか。めったにみることが出来ない黒鷺が、水辺にずっといて、神々しかったです。黒鷺は、一昨年前冨士浅間大社に参拝したとき以来、久しぶりにみました。冨士神界のご眷属なのかも、、ですね。


桜満開で美しい金櫻神社と近くの昇仙峡、その途中に夫婦神社もありました。


行きの車では、雨がパラパラ、、行きは富士山🗻は遥拝出来ないかもね、、なんて妹と話しましたが金櫻神社に着く迄には雨もあがり、蒼空になりました。神社からは、富士山🗻は遥拝出来ませんでしたが、雲の織りなす自然美を何度も見ることができました。


楽しかったね、、と帰途につく道中、いきなり🦌が車の前に飛び出してきました。急ブレーキです。鹿をシカなくて、、よかった。。後にも車が来てなくて良かった。。。

ホッと一安心。

ご神域にいる動物達も、命がけで横断するんですね。。


帰りの高速道路から、ようやく富士山🗻を見ることができました。🥹感動。


動画にしましたのでもしよければご覧ください。