大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

孔子のお言葉

2024-05-19 09:58:00 | 神仏について

孔子の論語のお言葉に


「とも遠方より来たる」というのがあります。

どんな文脈ででてくるか?というと、こんな感じです。↓


子曰く:学んで時にこれを復習する、学んだことが身につく。喜ばしいことではないか。

心からの友人が遠方より訪ねてくる。楽しいことではないか。

人に認められなくても憂えない。君子と言えるだろう。


その部分の、日本語訳は、


反復して学び続け、友と会得し合う行為はなんと楽しいことか。かつてその学びとこころざしを共有した友はせっかく知り合えたと思ったとき、いろいろな事情で遠隔の地に移り住むようになってしまったが、あるときふとやってきてくれた。近況を報告したり、意見を交わしたりしてときを共有できるのは大きな楽しみだなぁ。でも話の矛先は、やっぱり学びとこころざしに向かっていく。友との時間が 、生きていることをいっそう豊かなものにしてくれる


とか、ありました。



解釈は自由なので、私も感じたままに書いてみます。


孔子のお言葉で、生涯を語るものがあります。15にして学を志しり、

30にして立ち、

40にして惑わず、

50にして、天命をしり、

60にして耳に順い、

70にして七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず、

です。

私はこれらも踏まえて、とも遠方より来たるの朋(友)は、他人ではなく、自分自神だと思いました。


人生はあっという間。10代に、わけもわからず学んでいたことが、やっと腑に落ちるようになるまで、何度も何度も人生において、経験させられるなぁ。学びは尽きないなぁ。学んだことは、友達のように自分を助けてくれる。


あー、あの時、一生懸命やってたことは、このためだったんだなあ、学びは裏切らないなぁ、ずっとこの身体(月🟰にくづき)と共にいてくれたんだなあ(🟰朋)。朋友だったんだなぁ。


この自分の内にいる、見えない朋こそ、私の血や肉と繋がりながら、心の君主(髄)にいたんだなあ。なかなか気づかなかったなぁ。ずっと、共にいてくれたんだなぁ。


君が心にずっといる限り、他者からの評価なんて関係ない事がわかったよ。😉

君は、私の内なる心君だし、ずっと君と共にいたことをわかったから(真髄に気づいたから)、今はっきりと私は心君の子(🟰君子)だと、いえるよ。ありがとう😊。




他人と仲良くする、友達が多い、素晴らしいことですが、それ以上に、自分の内にある、ほんとうに尊い、貴い存在。どんな、弱くて、情けなくて、仕方ない、そういう自分をずっと支え、励まして続け、共にいる存在。それが朋であり、内なる神さま。心君。それ以上に素晴らしい存在は、いないのかも。皆の中にも、必ず朋友はいて、皆も、その心君の子。


なんて、私はこの孔子のお言葉から感じました。



猿猴捉月 白隠禅師の禅画

2024-05-17 07:53:00 | 神仏について

小さい頃は、夏休みになると高知市内から2時間以上かけて、母の実家にいきます。くねくね道で、必ず車に酔ってました。今は道が本当に良くなりました。

そんな山奥ですが、目の前に川幅も小さな四万十川が流れ、その川で遊ぶのが楽しみでした。水が冷たくて、綺麗です。

しかし、お盆になると、猿猴(えんこう)がでるから、と水遊びを禁止されていました。何もない田舎で、水遊びができないのは嫌だなぁと幼いながら感じていました。

お盆の時期、ご先祖様や故人がかえる時期は水の事故が増える、、彼岸と此岸が重なる時期は、気をつけなさいという戒めに、夏酷暑の土佐では猿猴という妖怪伝説が残るのかなと今は思います。



Wikipediaより

猿猴は水にいる妖怪だから、河童なのかなぁ、と思っていましたが、本来、猿猴とは、猿と猴(マカク)の総称みたいですね。


マカク。笑


ところで、この猿猴は、捉月とあわさり猿が井戸に映った月を取ろうとして水におぼれたという故事、猿猴捉月 (えんこうそくげつ)という話があります。


「身分不相応な大望を抱いて破滅すること」のたとえ、とされています。

白隠禅師の描く禅画をみると、この猿猴捉月の様子が描かれています。



白隠禅師の描く猿猴の絵はとても可愛いです。この絵を見た時に、身分不相応な大望を抱くギラギラした人が自業自得のように破滅するイメージでは全くなく、

本当に可愛い無邪気にみえる赤子のような純粋な心をもったものが一瞬にして、心に映った幻により破滅することはある、そんな事のようにも思いました。


白隠禅師のような、生まれながらに神童のような人も、純粋に仏道を追い求め、修行をして、心を病み「禅」の病になります。座禅修行が落とし穴になりかけてしまうのです。


水に映った月🌕って一体何の事かなぁと考えました。月とは、にくづき。身体かな。

猿猴は、鉛汞(エンコウ)と音が同じです。


鉛汞は、錬丹術の中に出てくる言葉です。

汞は水銀。鉛の中には水銀があり、そこから丹薬をつくり不老不死や身を軽くし空を飛んだり、鬼神を使役し超能力をもつ神仙になるため、昔の中国で盛んに試みられた術が錬丹術です。


「みかけ」の丹薬を本当に作ろうとして、不老不死を願い、水銀中毒になり命(肉体🟰月)を失ってしまった話が残ります。

不老不死の丹薬を求め秦の始皇帝は日本に徐福を送ります。

日本の地下にある水銀鉱脈の「エネルギー」は実際、霊的なものがありそうですが、神社などを朱くする丹(朱)を作るため、日本でも実際に鉛に火をかけ、水銀を抽出していました。命を削る行為だとは知らずに。


鉛汞は、「みかけ」ではなくて、欲心やら、我を削ぎ落とし、肉体(月🟰にくづき)をつかいながらも、肉体をもって生きるこの世を心が幻だと静かに諦観すること、また、身体の中で無為自然に練られるみえない尊い何か(みえない丹)をつかい、水と火、陰陽☯️を交わらせることなのかな、と感じます。それは肉体があるからこそ、できることのようにも思います。


みかけや上部に捉われる「皮肉」を、この猿猴捉月の絵からは感じ、さらに鉛汞の裏の響きに様々なもっと奥の意味も感じます。禅画は観る人により感じ方はそれぞれだとは思いますが、、、。


水に映る月、水は「見ず」、月は「肉体🟰上部」だとしたら、可愛い猿猴の姿で描かれる赤子のような純粋な穢れのなさそうな心の中にも生まれる、一瞬の「欲」を幻と直観できるか、一瞬でも執着が生まれないかどうか、最後まで気をつけ反省し続けること、


もしかしたら、

この無邪気な姿は、「悟りたい」と一心不乱に座禅をして病までなった時の白隠禅師のピュアすぎるかつてのご自身であり、


無理を加えない先天の坐に切り替えて、「悟り」の境地に至った後に、禅の奥義を身体で体得したがゆえに、「皮肉」として描いたものかも、なんて空想しました。


先天坐の深い鎮まり還る静寂の中、月(肉体)は、「一」、ワンネスに返り、「月(身体)」にみえない霊なる線「I」が丹を貫き、ご神仏の「ご用」をする器となるのかなとも思います。その体は、用と同化して、私は公となるイメージです。


白隠禅師の肉体が亡きあとも、その教えの神髄、心髄、真髄は永遠に不滅であるのは、坐と禅を通して「一」となって生きた白隠禅師の命が不滅だからかなと思いました。



皮肉骨髄 達磨仏と白隠禅師の禅画より

2024-05-14 07:50:00 | 神仏について

達磨大師の弟子には、昨日書きました慧可の他、道育、尼総持、道副という四人の弟子がいたようです。


「皮肉骨髄」という訓戒があり、この四人に、修行によって得られた仏教の本質・禅の要旨を達磨が問う話があります。


道副は『私は、文字にとらわれず、また文字をはなれないで、仏道を行じます』と答えます。

『汝はわがを得たり』と達磨はいいます。


 尼総持は、『私の理解では、愛欲も怒りもしずまって、よろこびは、仏国をみるようです』と答えると、

 『汝はわがを得たり』と達磨はいいます。


 道育は、『物を構成する地水火風の四大も、因縁がつきますと空になり、またすべての事物は、色受想行識の五蘊が仮に和合してできているので、もともと有ではなく、一法として得べきものはありません』

 『汝はわがを得たり』と達磨はいいます。


最後に慧可は、ただ黙って達磨に礼拝してもとの位置につきました。


  それをみて、『汝はわがを得たり』と達磨はいいました。

達磨大師は、慧可を後継者とします。


皮肉ということばは、こっからなんですね。

英語で皮肉はirony。ironは鉄。鉄は物質文明の象徴のイメージがあり、皮肉が、英語で鉄の語源とおなじなら、物質文明は皮肉にも、上部重視という感じかな。物質の反対が精神なので、髄は、心を大切にした感じがします。


本当のことは髄まで染み込むし、わかるとはそういうことで、上部、ではない。


それは、経験すること、により一番わかる。染み込む。辛い思いなどは、身体の髄まで染み込む事なので、そう考えると、辛い経験は、実は、自らの心を広げるのかもです。


面の皮が厚いとかいう言葉もありますが、皮が厚く厚くなると、上部の皮をさらに鉄の鎧で固めた感じで、本当のことは何も入ってこなくなる気がします。


この皮や肉を通りこして、固い骨の中の心髄、神髄に染み込んだもの、


それこそが、


その人の真価なのかもしれない、


とこの逸話を知り、思いました。😌


【画像は白隠禅師の描いた慧可の禅画より】


雪舟と白隠の慧可断臂図

2024-05-13 05:00:00 | 神仏について
禅僧になるため、幼くして寺に入った少年がいました。禅の修行はそっちのけで、好きな絵ばかり描いて日々を過ごしていました。それに腹を立てた住職は、ある朝、少年を本堂の柱に縛りつけました。
少し可哀想なことをしたなと思い、夕方になって、本堂を覗いてみると、少年の足もとで一匹の大きな鼠がいました。少年が噛まれては大変と思い、住職はそれを追い払おうとしましたが、不思議なことに鼠はいっこうに動く気配がありません。

実は、その鼠は生きた鼠ではなく、少年がこぼした涙を足の親指につけ、床に描いたものだったのです。

鼠の姿がまるで本物のように生き生きととらえられていたからにほかなりません。それ以後、住職は少年が絵を描くのをいましめることはけっしてありませんでした。

この逸話の少年は誰でしょう。


という質問が、昔受験したとある試験の質問に出ました。

しるかいな、、、

というのがわたしの答え。

その試験は、本当に例年になくマニアな質問オンパレードでしたね。苦笑。

解答は、「雪舟」です。雪舟を答えさせる問題で、この切り口で質問するかなぁ、、!?と当時苦笑いしましたね。

雪舟といえば水墨画を大成した室町時代の禅僧であり、どちらかというと、お坊さんというよりも芸術家として歴史なんかでは印象深く残っています。


天の橋立図などは、なぜあの時代にあれほど正確な絵を描けたのか、空から俯瞰する力がないと描けない絵だと言われたりします。ドローンに乗ってたのかな。


天橋立図by雪舟

雪舟は、絵を描くのがすごく好きでしたが、当時、絵では身を立てる事が難しい。涙で描いた鼠。求めても受け入れられずにいた幼少期の雪舟は、後に立派な禅僧となりますが、60歳を超えて、今なお国宝に指定された6つの絵をかきあげます。


そのひとつに慧可断臂図(えかだんぴず)があります。


慧可断臂図by雪舟

これは、中国南北朝時代後期の禅宗の高僧、慧可という方の逸話をもとに描いたものです。慧可は達磨に教えを乞いましたが、達磨は壁に向かって座禅するばかりでした。そこで、慧可は、自らの腕を切り落として求道の思いを達磨に示し、慧可は達磨の弟子になりました。


また、江戸時代の禅僧、白隠禅師も、同じく沢山の禅画を残し、そのひとつに慧可断臂図があります。


慧可断臂図by白隠


この二つの禅画を見比べてみると興味深いです。お二人とも禅僧ですから、座禅をします。

時代は違いますが、お二人とも京都の相国寺に縁があり、禅僧であるから達磨仏への思いは並々ならぬものがあったと推察します。

慧可という人物を、そのエピソードから雪舟と白隠は感じたままに描いていているにもかかわらず、その姿は、対照的にも感じます。


雪舟の方は、求めが受け入れられなくて切羽詰まった心。

白隠禅師の方は、真っ直ぐで純粋で、猪突猛進な心。


達磨の弟子となりたい、その慧可の命がけの思いを、禅画でお二人は表します。それは、描いた人の心の投写もあるかもですね。


雪舟は、どちらかというと心の奥は、絵の道への求道が強かったのかも、、と感じます。幼い頃の逸話も然りですが、本当にやりたいことは絵で、老後、自由にそれが出来るようになってから花開く人生。だから、絵の慧可は、もしかしたら雪舟自身の投影かも、なんて、勝手な空想をします。

一方、江戸時代に臨済宗をたてなおした白隠禅師。臨済宗の中興の祖とも言われています。白隠禅師動画を作る時も感じましたが、生まれながらにして、仏の道への真っ直ぐな求道心があります。しかし、あまりにも実直過ぎて座禅に打ち込むあまり、禅の病を発症し、後に内観の法、先天の坐法だと思いますが、それに切り替えるエピソードがあります。


雪舟は晩年水墨画で大成し、白隠禅師も自然の坐に切り替えて仏道に深い悟りをえます。


純粋に、真っ直ぐな心が恒に誠にあらわれると、道は開かれるかもですね。


【画像はお借りしました。



明心見性

2024-05-10 04:58:00 | ひとりごと

明るい心で、性を見る。

性とは仏性、真の性で、心を統べる。


文字で書いてみると、わかるようなわからないような。

この「心」は、明るい心や暗い心、色んな心がひとりの人の中にもあって、その心次第で仏性が見えたり見えなかったり、、

ということではない気がしてします。


見性は、自らの本性を見ることだとしたら、

自分が何者かわかることで、

心に自我がなくなれば、性が自然にあらわになる、という感じかなと思っています。


明らかな心とは、このあらわになった心で、

最初はほんのりとした色がついているのかもなとも思いますが、ほんのりついた色も、究極は透明になるのかな、、。


区別のない広い大空のような心。普く光る太陽、全てを包む大空。遮らない心。


白隠禅師は、

自分のために修行するのを「上求菩提」といい、

他者を救済するのを「下化衆生」 と説きました。


両手を叩けば音がするが、隻手(せきしゅ/片手)ではどんな音がするか聞いて来い。


白隠禅師の絵

これは、白隠禅師が語った言葉です。

何も響かない。。。何も鳴らない。かな。仏性を求めつつ、周りを惜しみなく教化する。自利(智慧門)と利他(慈悲門)を並行して行うのが菩薩行。 

まだまだ自分は悟っておらず学び中なので何もしない、とか、宗教や教義は、それを与えられた自分たちだけのもの、という意識がもしあるなら、

それは自利を自利のままにしていたり、自利に優越を感じていることかもしれません。良いものは、それを普く広めてこそ、大空の心かもしれないなと最近感じています。


様々な教えは、信者にとっては格別なのかもしれませんが、格別であっても、格や別の言葉は、どこか、区別があるような気もしています。

格別だという心がある以上、学びに執着が生まれ、自我を気づかせる何かが起こります。反省は学びの中から生まれるとはいえ、心が曇ると自分の内にあると信じていた「空」は、空ではなく、雲に覆われた我だったとわかります。そうして、気づいた我を見、その我見を破りつづける過程が、実生活に根差した修行かもです。


煩悩の根っこを、どんどん抜いていくと、ある時、その根っこさえ生まれようのない奥の奥に辿りつき、そこは、全ての命の根をささえる大地の土のようでもあり、また、雲の上に広がる大空のようでもあり、全てを浄化し循環する水や大海のようでもあり、行きつく先は自然かな。自他の区別がないところ。それこそが明るい心なのかもしれません。


自分という実体の心の癖をしっかり見つめ、雑草の如く簡単に根をはるそれらを取り除きつつ、平行して外に向かって今の自分でも出来ることをこつこつとしていく。


どんどんと明るくなり洗われた心により、仏性が顕われると、それは明らかに行動にもあらわれるのかもなと感じています。

明心見性。

内奥にある心の目、「◯に・」は、生きた心(性)が顕に開くことかなとも感じています。生きて生きること。命を生かすことかな。



こちらの画像は埼玉道院のホームページよりお借りしました。