土佐国風土記によりますと、土佐神社の神、高鴨神はアジスキタカヒコネ命であり、八咫烏とも呼ばれます。
先日帰省して、私はイザナギ流のお祀りの展示が今されているというのでみてきました。妹も姉も、イザナギ流のお祀りに参加したことがあり、物部神道に関係があるのか、非常に興味深い伝統が残っていました。
いざなぎ流は、土佐国で独自発展した陰陽道の要素を含む民間信仰のようですが、中世や京都で発展した陰陽師の家元であるある土御門家や賀茂朝臣氏と関係があるようです。
今回の帰省で、姉が陰陽師の漫画14冊を私に貸してくれたので、これを機会に読んでみようと思います。
私は、このイザナギ流のお祭りに参加したことがないので、色々写真に残して後で学ぼうとしていたのですが、何故か一枚以外写真が全て消えている、という謎の不思議がありました。笑
写真禁止は、とある10個くらいのお面のところだけでしたので、それは写真に残しませんでしたが、20枚くらいは学びのために撮影しました。
このお祭り、口伝のみで伝わるものなので、なにものかに、ダメと何ものかにいわれている?のかと、不思議に思い妹に聞くと、妹の写真は全部残っているとか。笑
何故かは何もわかりませんが、
その残った写真が八咫烏のこの写真です。
不思議なことがあるものだなぁ、と思いました。イザナギ流の特設展示場をみた後、土佐神社がとても近く、姉と妹と行ってきました。
土佐国の一宮である土佐神社は、夏祭りとして志那禰様(しなねさま)というお祭りが近々あるようで、幟がありました。
志那(シナ)に禰(神職)を持つという意味かな。シナは昔の呼び名ですから、秦氏などの渡来人を想起します。秦氏に縁が深い土佐の長宗我部氏は土佐神社に縁が深く、長宗我部氏に関する逸話も土佐神社には紹介されていました。
とはいえ、秦氏の神社かというと、土佐神社が祀る神は秦氏が渡来した3世紀よりもっと古く、アジスキタカヒコネ、高鴨神とも一言主神ともいわれます。
アジスキタカヒコネは、八咫烏なんですね。
展示場で撮影した写真が一枚だけ、八咫烏の一枚だけ残った不思議。少し、色々がかさなり、八咫烏を深掘りしたくなりました。
高鴨神は加茂族の祖神です。奈良の高鴨神社は、昨年妹と参拝しました。イザナギ流のこの写真にあるように、熊野から飛来する八咫烏。
神武天皇が熊野で道に迷った時に吉野へ先導し助けたのが八咫烏です。
紀伊半島の山奥深くには、熊野三山と呼ばれ修験道の聖地があります。神話に暗示される背景とは。
調べていくと、八咫烏とウマシマジの関係を指摘するものがありました。神武東征には、饒速日命の子とされる、物部氏の祖、ウマシマジが関わります。高知は、饒速日命(ニギハヤヒ)が流されてきた話があり、また、ウマシマジに縁がありそうな馬路村なども安芸郡にあります。
このウマシマジの父ニギハヤヒ命は、土佐に配流されています。また、土佐に配流された高鴨神アジスキタカヒコネ神、つまり、事代主神を祀るのが土佐神社。また、昨年奈良に行った際、土佐に配流された逸話のある葛城一言主神社 (in 奈良 )。
それらはバラバラに存在する逸話でなく、実は一つだったのかもという気がしてきました。
つづく
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