大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

カモ氏③ 歳神様

2023-07-31 06:22:00 | 神社仏閣

古事記によると香用比売(かぐよひめ)は、大年神との間に大香山戸臣神(おおかぐやまとみのかみ)と御年神(みとしのかみ)を生んだとあります。


香用比売の名は、「光り輝くような美しい女性」と云う意味で、御年神は、奈良県御所市の「葛城御歳神社」(かつらぎみとしじんじゃ)に祀られているとありました。


出雲王国の著書では、御歳神を高照姫としています。高照姫とアジスキタカヒコと下照姫がご兄妹でした。古事記によると、かぐよ姫は出雲王国の著書では下照姫となります。

昔話かぐや姫が月に帰る話がありますが、高照姫はホアカリと結婚後、婚家から実家に帰る話しが出雲王国の著書にはあります。



出雲初代王には2人の王子がおり、東西王家として直轄地を分け、東王家は富家〔向家〕であり、西王家は郷戸家〔神門臣家〕でした。二王家は、互いに協力し合って王国を統治したようです。


主王は大名持(おおなもち)、副王は少名彦(すくなひこ)という役職名で呼ばれ、両家の当主のうち、年長者が大名持になり、年の若い方が少名彦になったようです。


カツラギ南部に住んだ郷戸家の人々は、とくに鴨家と呼ばれます。この郷戸家は高照姫の出身です。


出雲の郷戸家出身でカモ氏となった高照姫と下照姫とアジスキタカ彦がいました。

アジスキタカヒコには2人の息子がおり、(兄 塩冶彦、弟 多岐都彦)、兄は出雲に残り、弟はカツラギに移住し鴨氏として、父君・アジスキタカ彦と、叔母の下照姫とその婿 天雅彦の霊を祀る高鴨神社を建てました。それが、全てのカモ神社の元宮です。









高鴨神社に参拝後、美しい葛城御歳神社を参拝しましたが、こちらは高鴨神社で偶然出会ったご家族に勧められました。まずは、着いてすぐ美しい白鷺を妹が水路で発見しました。






郷戶家からアマベ家のホアカリに輿入れした高照姫(天道姫)を祀るのが、葛城御歳神社だと出雲の著書では伝えます。

御歳の神、その社の名は、正月祭りの神歳神に由来します。



お正月様にちなみ、鏡餅の上に社がある様子をあらわしているようです。


こちらの御祭神高照姫の父は、8代目出雲王ヤチホコです。ヤチホコは、出雲で騙され幽閉され亡くなってしまいます。しかも、その原因が、海童たちの仕業(夫ホアカリに縁があるもの)だと知り、高照姫は出雲に里帰りしたと出雲の著書ではありました。

高照姫はヤチホコの娘ですが、古事記では「大年の娘とありますから、二つを合わせると、大年神🟰悲劇の8代目出雲王大国主命となります。


出雲大社の裏の大穴御子神社に御歳神は祀られているようです。その社の通称は三歳社といい、歳神 (通称、トシガミさん)として 正月三日には特に賑わうようです。



写真はお借りしました。

陰陽道でその年の福徳を司る神は、

歳徳神(としとくじん、とんどさん)ですが、別名、歳神様、正月さまとも言われています。

お正月様を迎えるために大掃除をし、門松🎍を飾るのは、松を頼りに歳神様が来てくれるから。日本の風習は、古代出雲に起源があったのですね。


また、陰陽道といえば、安部晴明ですが、晴明の師は賀茂忠行ですから、ここでも古代出雲に縁がある賀茂氏との関係がうかがえます。


歳徳神の在する方位を恵方(えほう、吉方、兄方)または明の方(あきのかた)と言い、その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされるようです。


かつては、初詣は自宅から見て恵方の方角の寺社に参る習慣🟰恵方参りがありました。

また、今では全国でお馴染みになった節分の恵方巻きも、昔から関西を中心に行われていたようですが、それがコンビニキャンペーンから広まったみたいですね。




節分は、 旧暦のお正月。節を分ける日。偉大なる父を夫の一族にあやめられるという、悲しい数奇な運命に翻弄された美しい姫を空想します。

これからは、恵方巻きをいただく際、御歳神を思い出しそうです。


カモ氏② 出雲王国の話から

2023-07-30 05:49:00 | 神仏について
昨日の続きです。

古代出雲では、 神をカモと発音したとありました。


8代目オオナムチ(大国主命)は、神門臣家からでています。海童(徐福が海から渡ってきた連れてきた渡来人の子供たち)により幽閉された古代出雲王を、富家のスクナヒコナ(🟰富家王子🟰コトシロヌシ)が助けに行き、さらには幽閉されるという悲劇の一大事件を浦島太郎の序盤に描いている気がします。


スクナヒコナ(🟰コトシロヌシ、富家王子)も幽閉されて枯渇した姿で猪目(イノメ)洞窟から後に発見されます。


イノメとよばれるものは、神社にあります。



神社にあるハートマークが猪目🐗です。


神社の守護として見張る意味があると宇佐神宮のガイドさんに教えて貰いましたが、

🐗猪が、ずっと見張るというのは、王を助けに行って幽閉された王子(コトシロヌシ)の無念と、騙された怒り(イカリ🟰猪狩?)があったりするのかもです。

日本語は奥深いです。宮崎駿監督が乙言主として怒った猪🐗を描く背景は、もしや猪と古代出雲の関係を気づいているのかもしれないです。

乙言主はもののけ姫でタタリ神として描かれるのです。


また、最初に参拝した葛城一言主神社には、雄略天皇の銅像があり、雄略天皇と一言主神のやりとりには時代ごとに変遷がありました。

一言主神の地位がどんどん下がり土佐に流されてしまうのですが、雄略天皇の武勇伝を示す絵がこちら☟。


なんと、一言主神を🐗で現しているではありませんか!


浦島太郎の話は龍宮へ行って帰ってきたら時代が変わっていたという話ですが、出雲王国全盛期を作った8代目大国主命とスクナヒコナは還ってくることはありませんでした。


また、幽閉された辺りの洞窟を黄泉の坂、黄泉の穴と呼ばれていたようで、奈良時代には、出雲が黄泉の国と呼ばれるようになったとあり、イザナキ様、イザナミ様の争った黄泉国は神話では出雲にあるように書かれたようです。


スクナヒコナが大国主命を置いて常世にお渡りになる話がありますが、スクナヒコナ(事代主)は粟島で亡くなります。

粟島の隣の大きな島は「夜見の島」と呼ばれるようになり、夜見黄泉(死語の世界)を意味するとあります。

出雲が黄泉の国と呼ばれる所以は、この古代出雲を震撼させた幽閉事件にも理由があるのかもです。


出雲の著書の中からわかったことは、スクナヒコナは役職(王の補佐)であり、コトシロヌシはスクナヒコナの亡くなった後の諡でしたが、8代目コトシロヌシの個人名は八重波都身であったとあります。


その名前の一部と、鴨の字が組み合わさって「鴨都波神社」の名になったとありました。

また、カツラギに移住した登美家は、カモ家 (神家)とも呼ばれ、「神」の字はのちに 「賀茂」 「鴨」「加茂」の字で書かれるようになったようです。


古代出雲の登美家が、賀茂家と正式に呼ばれたのは、建津乃身 (建角身、 大賀茂津身、たてつのみ)からであると著書では伝えます。


高鴨神社に参拝した後、偶然に出会ったご家族から、近くに、鴨都波神社と葛城御歳神社があるから行ってみては?と教えてもらいました。


高鴨神社に参拝した後夕暮れ時でしたが、まだ日が高かったので参拝することにしました。

先ずは、葛城御歳神社からです。到着してすぐに美しい白鷺を水路で妹が見つけました。


つづく



カモ氏① 大国主と事代主

2023-07-29 04:14:00 | 神仏について

奈良県にありますカモ族に由来のある奈良の神社に数社参拝しました。その御祭神に一言主や、事代主が多いため、カモ氏との関係を調べるため大元出版の出雲王国とヤマト政権を読み返しました。まずは出雲の著書から紹介します。

8代目大名持の時代に、出雲王国は最大の繁栄を迎えた。大名持は、神門臣家のヤチホコ (八千矛)が選ばれた。このお方は、のちに出雲神話で有名な「大国主 と呼ばれた王であった。 一方、副王・少名彦は、八重波津身が選ばれた。 このお方 は「コトシロヌシ (事代主)」とも呼ばれ、出雲神話では神門臣家 大国主の息子として登場するが、実際には富家の王子であった。『古事記』では、8代大名持 (大国主のもとに来た少名彦のことを「神産巣日神 (神魂の神)の御子」とクエビコが説明する場面があるが、この時代の少名彦が神魂家 (富家出身であったことを示している。

コトシロヌシは、死後の贈り名であった。事代主という漢字は、発音に対する当て字であり、正しい意味の漢字では 「知」であった。「知」とは「知らす」(支配する)という意味で、 「言知主」 とは武力ではなく「言論で統治する王」 という意味であった。「事知主」 と書いても、意味は同じである。 

金刀比羅神社 (香川県仲多度郡琴平町には末社・事知社があり、コトシロヌシを祀っている。 この本では、八重波津身のことをコトシロヌシの名で呼ぶことにする。

……

出雲の方では、コトシロヌシは富家出身であり、また、少彦名は役職で王の補佐であり、富家の王子とありました。

記紀神話では、大国主命と少彦名神は、仲良い、大小ペアで国作りをしたように描かれていますが、出雲全盛期の際、大名持(八千矛🟰出雲神話で有名な「大国主」🟰8代目出雲王 )と、少名彦(八重波津身🟰コトシロヌシ🟰副王)が、共に幽閉され亡くなる大事件が古代出雲で起こります。それは、出雲の著書によると☟

ある日、タケヒナドリがヤチホコ王に、「海岸で海童が、ワニ(サメ)を捕えて騒いでいる」と、告げてきた。出雲では、ワニは神聖な動物と考え、尊んでいた。王は、タケヒナドリに連れられて、園の長浜に出向いた。そして、海童たちにワニを放つよう説得した。すると、海童たちは王を取り囲み、船に引きずりこんだ。それ以降、ヤチホコ王は行方不明になった。この異変は、タケヒナドリによって、神門臣家と富家にすぐに知らされた。このときコトシロヌシは、大庭の宮殿には不在で、美保の時で魚釣りをしていた。コトシロヌシに異変を伝えるために、さっそく使者のタケヒナドリを乗せた舟がオウ川をくだり、王の海 (中海)を渡って知らせに出た。


「ヤチホコ様が、園の長浜で行方不明になったので、コトシロヌシ様もいっしょに来て探して下さい」と告げ、コトシロヌシと従者を舟に乗せた。

 舟は、弓ヶ浜の粟島(米子市彦名町)に着いた。すると、海童たちが現われ、舟を取り囲んだ。そして、コトシロヌシは舟から引きずり降ろされた。それ以降、コトシロヌシも行方不明になってしまった。出雲王国は、主王と副王の2人を ほぼ同時に失うという、前代未聞の事態におちいった。

神門臣家がヤチホコ王を探し出した時は、王は猪目洞窟 (出雲市猪目町に幽閉され、枯死していた。

以上

浦島太郎には、カメを虐めた小童たちから、大国主命がカメを救い龍宮へいく話しがあります。出雲で神聖だとされているワニ🐊を海童から助けようと海にいく大国主命の話は似ています。🐊はワニ氏の女性?なのかもです。龍宮の乙姫?かもです。

また、記紀神話の国譲りの際、コトシロヌシ神が釣りをしている話も似ています。大国主命(出雲の8代目王、ヤチホコ)を救いにいったスクナヒコナ(🟰コトシロヌシ、王子)まで出雲王国の話によると幽閉されてしまったということです。

エビス大黒を祀る出雲の美保神社では諸手舟神事がなされているようです。諸手舟に乗りヤチホコを助けに行こうとしたのがコトシロヌシであり、諸手というのは両手を挙げて賛成する、という意味ですが、国譲りで、コトシロヌシが直ぐに賛成した話は、この幽閉事件の暗喩、降参せざるをえなかった状況を意味しているのかも、、 

出雲8代目王国で起こった悲劇は、八大龍王や、八岐のおろちや、様々な形で暗に語りつがれているのかもしれません。 ☜これらは、全て空想ですが。続く


世界は広い in 🇲🇳

2023-07-28 06:40:00 | ひとりごと
モンゴルに娘が行っていました。

バイトしてお金貯めて、経験を積んで、若いって、いいですね。やりたいことを実行にうつし、世界中に友達を作るなぁと感心します。

ボランティアなら日本でも出来るよ、という私に、色んな世界を見てみたいとモンゴルで住み込みボランティア。

エアチケットから全て何から何まで自分で手配します。何日から行ってくるね、、っと報告のみ。フットワーク軽いです。

経験は行動の先にあります。




こちらのゲルにて宿泊したみたいです。




この自然を見れただけでも良かったなと思いました。余分なものが何もない。

土と緑と空と水と自然の気。人が生きるには、定住出来ない、移動しながら家畜を飼いながら暮らすモンゴルの草原の人たち。

その大自然は、写真からも空気に穢れがない様子が伝わってきました。

いいねー見てみたいなぁと言うと、お母さん、次は一緒にボランティア行こう!と。笑

モンゴルの人の写真をみた時、日本人とそっくりなのにも驚きました。蒙古斑も日本人とモンゴル人だけだし、ルーツが近いのかも、、。
わかりませんが。

若い時は沢山の外の世界を見てみたかったなぁと思い返します。

バックパックを背負って、言葉の壁にもどかしい思いも沢山しましたけれど、今でもふとあの頃のアドベンチャーな日々、若かったなぁと思い出します。

今は日本🇯🇵の神社参りをするようになって、日本の素晴らしさに魅了されています。

日本はいいですね。

地球は、世界は、日本は本当に美しい。
みんな仲良く手を繋げば良いな。

外から内へ、そしてまた自分の中へ。

若い時はやりたい事に挑戦し、外に出てみて様々な所を見た上で、
次第に内にある、内鳴る素晴らしさにも気づくのかもですね。

沢山身体を動かして沁み込む何かもある気がします。









高鴨神社 in 奈良

2023-07-26 05:31:00 | 神社仏閣
奈良にあります全国加茂(鴨、賀茂)社の元宮、高鴨神社に参拝しました。境内入ってすぐの池のあたりです。



大和平野を一望できる高鴨神社は、鴨族発祥の地です。

鴨族は山を支配し、薬草、天体観測による暦、製鉄、農耕技術、馬術に優れていた一族でした。この辺りには縄文晩期の集落跡があるようです。

鴨氏の「カモ」は「カミ」の語源と云われており、「カモす」という言葉から派生し「気」が放出しているさまをあらわしているとのことです。

主祭神である
迦毛大御神を祀る神社は約300社あります。
福島県一宮の都々古別神社
栃木県日光市の二荒山神社 
高知県一宮の土佐神社
などもそのようです。

福島の都々古別神社は夫が参拝しています。山上に大きな磐座があり、そこまで登ったようです。磐座信仰といえば、縄文時代の古い信仰といえます。




葛城山では、一言主(事代主)神が土佐に流された話がありました。迦毛大御神、アジスキタカヒコネ神、一言主、事代主と様々な名前を呼ばれながらも、同じ鴨族の神様が土佐神社(高知県一宮)に祀られているのですね。

カモ族の神様については、書きたい事が沢山ありすぎて、まだ頭の整理がついていませんので、ゆっくり整理しながら書いてみようと思います。