大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

津野山神界 1 耳の神様

2021-03-31 07:12:00 | 神仏について

香川県香西寺の波切不動明王のお宮の横に耳治し神様として如意輪観音をお祀りする祠があり、妹と参拝しました。




耳の神様は母の故郷の津野町力石にも鎮座されています。津野町は、高知県四万十川源流の里であり、太平洋に面した温かい陽光のさす高知県を想像する方からは想像も出来ないくらい山奥で、冬は雪が積もります。


数年前妹に起きたある事がきっかけで母と妹が母の実家の津野町力石の神様をお祀りをしなおし始めることになりました。詳しくは妹のブログで書いています!


この地を私は勝手に「津野山神界」と名付けました。何故なら、神界の名前に相応しい土地だからです。


実はこの地は長い間忘れ去られて参拝する人が途絶えていた沢山の神様が鎮座する場所です。山が連なるようにあり目下には美しい四万十川が流れています。




稲葉洞という白龍と黒龍が棲まうと伝えられる洞窟も近くにあります。








耳の神様が鎮座しているのは、母の実家から向かって右手の山です。母が子供のころはコウジンゴウと村の人が呼んでお詣りしていたそうです。


病気は突然誰にでも起こりえます。母の実家の山深い場所で昔病になったら神仏に手を合わせて治癒を祈ったのだと思います。耳の病気は突然おこり聴力をあっと言う間に失うと聞いたことがあります。


私の母は子供のころ大病をして生死を彷徨ったそうです。母を生かしてくださった神仏の御加護と津野山の自然に感謝したいです。母がいなければ私はいない、ご先祖様誰一人欠けていても私はいないのですから。


初めて私は耳の神様の祠のある所にいきました。竹林の小道が美しかったです。妹や母が小道を綺麗に掃除してくれていたので歩きやすかったです。


祠が見えてきた時に石の祠の中にある木の祠に照明があたったように光っていました。誰か照明つけた?と話しました。実際はもちろんそんな事はなく、凄い光っているから喜んでくれているんだねと母と話しました。


何十年もの長い間忘れ去られ、誰も参拝せずこの地にいたかと思うと悲しかったと思います。私は帰省したら津野山神界に訪れようと思っています。


つづく


空海さんと岩窟

2021-03-30 07:14:00 | 神仏について

実家が真言宗であるためか、親戚にも88箇所参りをしたという人もいて、お大師様空海さんは歴史上の偉人の中でもとても惹かれます。


空海さんはさまざまな岩窟で修行をしていますが、岩窟で修行するきっかけは、嵐の際救ってくれた宗像大神にお礼参りをした時に彩雲に導かれ行った屏風山で岩窟を見つけたことからでした。


空海さんはその後日本各地の沢山の岩窟で修行をされています。色々調べていると、妹が訪れた空海さんに縁がある二つの土地の漢字が頭に浮かびました。どちらも「室」が付くのです。


高知県室戸  空海が悟りをひらいた場

高野山室生  多くの山や寺が女人禁制の時代女人に開かれた寺。




室(ムロ)という漢字は、「シツ」とも読みますが、今回は音の響き「ムロ」で調べました。何だか、ノホホンとした味ある俳優さん、ムロツよシさんを思い浮かべました。北大路欣也さんのも良かったけど、次に空海さんが映画化される時は是非ムロツヨシさんに立候補して欲しい!





と、冗談は置いといて、ムロ(室)は、


外気から隔て、内部の温度を一定に保てる構造にした所。食物を貯蔵したりする。山腹に掘った岩屋。いわむろ。

のことだそうです。


神奈川県の江ノ島にある観光地で有名な江島神社に行ったときも岩窟があり何げなく入ったのですが岩窟の奥深い所に空海さんの修行の痕跡がありました。この地で弁財天にあったようです。




岩窟が何故修行に必要なのか。おそらく私の空想ですが、外気を隔て内部を一定に保てる場所に何かヒントがある気がします。自然が作る岩窟で坐って瞑想する事が空海さんには重要だったのだと思います。


岩窟は、空海さんの説く胎蔵界(陰)と金剛界(陽)の蔵界にあたるのだと思いました。それはまるで母の中の様な場所だとも思います。


外野の声、雑音で自分の心の声が妨害されることがたまにあります。心の声や直感を信じて動く、心にいる神さまを大切に思う、心の安寧と静けさを大切にするということがとても大切に思えます。


岩窟で修行をし精神のバランスが最高に達して悟りの戸が開いた場所が、室戸


女性が心を安心できる場所を生もうとしてできたのが女人高野室生寺だったのではないでしょうか。


私は、以前からこの室生寺が気になって行きたいと思っていましたが、行動力の勝る妹に先を越されました。いつか追いつきます!


空海さんの功績の偉大さを感じます。また地名は奥が深いなと思います。自分の住んでいる場所の地名にも、実は感じるものがあり、神様にまつわる地名などが各地にあると、空想好きな私はついつい神様仏様と地名の繋がりを考えてしまいます。


【画像は室戸御厨人窟、室生寺、ムロツヨシ検索画像より】


空海さんと波切不動明王

2021-03-29 08:24:00 | 神仏について

昨日、岩不動明王について書きました。今日は波切不動明王について書きたいと思います。


「神秘の世界遺産」~宗像大社中津宮編を見ました。九州の漁師の方々が宗像三女神を祀る宗像大社に漁の安全や大漁を祈願していました。宗像大社と関連遺産は、その歴史の深さと今なおつづく信仰や様々な出土品の価値を認められ、世界遺産に登録されました。是非行ってみたい場所のひとつです。


漁師の言葉どおり、海で生きる方々やその家族は船に命を預け板子一枚した地獄(海)のわけです。


漁師は造船技術が発達した今でも危険と隣合わせで、海難事故なんかをニュースで聞くと胸が痛みます。以前、船をぶつけてきた某国には怒り心頭でした。


平安時代の遣唐使船の中にも海の藻屑と消えていった沢山の船がありました。空海さんが入唐しようとした際、4つの遣唐使船のうち2つの船は嵐で難破しました。




空海さんは凄い嵐の際、海の守護神宗像大神や仏様菩薩様にお祈りしました。すると、波の合間に炎が立ち不動明王様が現れ、右手に持った剣で波を切り払い風波を納めてくださったということです。




波切不動明王は高野山南院では年に一回ご開帳されるようですね。見てみたいです。




日本に帰った空海さんは、こうして命が無事に帰国出来たのは宗像大神のお陰だと宗像大社に旅のお礼参りに行きます。その際、屏風山の上に吉兆を示す彩雲がたなびくのを見たそうです。その場所に行ってみた所、岩窟を発見し修行を始めたと言われています。


何年もその後福岡県宗像市にいたようです。岩窟での修行中に「この地は家を祈る霊地である」というお告げを受け、「鎮国寺」をその地に開創されました。本堂には5体の御本尊があり、真ん中の3体は宗像三女神のようです。


空海さんは日本各地を訪れています。四国別格20霊場の香川県にある香西寺にも、嵐の際空海さんを助けたとされる波切不動明王が祀られていました。




妹が耳治し神様がこのお寺にお祀りされていると教えてくれたので一緒にいきました。その隣にこの波切不動明王のお宮が祀られていて私はびっくりしました。


【画像は波切不動明王画像検索より】


紫雲 6 岩不動

2021-03-28 06:53:00 | 神仏について

高知県須崎市神田にある四国88箇所巡り番外霊場、光明峯寺の岩不動にも次のような空海さんにまつわる逸話があります。


高知県で修行を積んでいた空海さんは、仏坂峠に差し掛かったとき紫雲を見て感涙されました。そして眼目にある大きな岩に手をあてると不動明王を感得されました。




その岩不動は今でも光明峯寺に大切に祀られています。この岩不動の下には湧き水が今でも出ています。




空海さんが歩かれた道や、そこで出会った様々な人々を救った逸話に因み、昔の人は祠を建てました。


傷を負った童子と空海は出会います。そして法具を使って地面を突くと湧き水がでてきます。その水で傷を癒すと、童子はみるみる良くなりました。




空海が童子を救った水は、今では温泉地となり地元の老若男女を癒しています。


不動明王は、大日如来の化身であり怖い顔、怒りの姿の背景には人を救いたいう慈悲の心があるのだそうです。


不動明王の仏像は、童子と一緒に祀られていることがあります。従順で優しい矜羯羅(こんがら)童子とヤンチャでたくましい制咜迦(せいたか)童子を眷属として両脇に共に従えている三尊像もあります。


幼い子供の目は無垢です。見た目の怖さではなく、ハートを直感で感じとるから、明王様の近くには童子が群がるのかもしれません。


空海さんも、綜芸種智院という身分に関係なく子供達に学問を教える場をつくりました。




当時は、位の高い人の子息には教育はあったようですが、身分によらないで全ての子供達にというのは考えられない事だったと思います。また、給食もはじめました。より良い身体作りは食育として今でも受け継がれています。


綜芸種智院は空海の死後は廃れてしまいましたが、時代をはるかこえて義務教育として復活しているように思います。心身ともに健やかな子供の成長は時代に関係なく本当に大切だと思います。


【画像はそうだ山温泉空海動画、不動明王三尊像検索画像、綜芸種智院検索画像より】



如意尼

2021-03-27 07:50:00 | 神仏について

如意尼は26歳で仏門にはいり、そして空海の教えを受けながら33歳で逝去されます。尼の亡くなった翌日に空海も天に召されたそうです。


如意尼について調べていると、とても興味を持ちました。空海との子弟関係の強さもそうですが、彼女の生き方がとても魅力的に思えました。


まだ、如意尼が海部厳子様だった時、京都の頂法寺六角堂で如意輪観音像に出会ったことで仏門に惹かれていきます。この像は、淡路島に流れ着いたものを聖徳太子が祀ったものだそうです。


如意輪観音への特別な思いは空海さんに自分に似せた如意輪観音を彫らせたことからもわかります。空海さんも、如意尼のもつ宝珠に助けられており、凄い霊力を持つもの同士が惹かれあったのだと思います。


海部厳子様は、とても美しい方だったようです。みそめられ淳和天皇の妃となって眞名井御前となった後も仏門への思いを断ち切ることは出来ませんでした。


眞名井御前は山にこもって信仰生活を送ることを夢見ます。ある日、白い龍に乗った天女の啓示を受けます。二人の侍女(和気清麻呂の娘)とともに摂津の「如意摩尼山」に登ると、山の天女が出迎え、この山に宝珠が隠されていることをつげます。


当時、女性が山に入ることは禁忌でした。日本各地の霊山には、入山した女を石に変える比丘尼石逸話がありました。


しかし、彼女は空海の助けを得て六甲山を荒らす八面八臂の「麁乱神」を服従させたり、男まさりな性格だったのかなとも想像します。平安時代のジャンヌダルクみたいではないですか!


神呪寺は、淳和天皇の支援のもと建立されます。宮中から逃げ、自分の元を離れたがっている女性の願いを叶える淳和天皇は、本当に眞名井御前を愛していたんですね。






また、如意尼はその当時の多くの女性が考えた幸せを捨てて、自分の心の声に正直に生き、自分の幸せを見つけた点は素敵です。平安時代に天皇の寵愛を一身に受けながらも、仏門に身を投じた如意尼という女性は、時代の常識の枠から飛びだした御方だと思います。


平安時代の宮中は、妃となり寵愛を受け皇太子を産む事、それが最高の女の幸せであり、一族の幸せだったのではと空想します。しかし、宮中の女性の常識に違和感を持ち、そこから飛び出して自分のいるべき場所を開拓したのです。楽な道では無いはずです。


今でも時代の常識はそこにいる多くの人や、時にマスコミによって作られます。それが本当に正しいのかなと時代を超えて振り返ると沢山の過ちもあるし、場所が変わると全くそっちがヘンテコな事もあります。


私は歴史が好きで、日本だけでなくたまに韓国や中国の宮中ドラマなんかをみるのですが、私から見たらしょうもない(失礼)王様が踏ん反りかえって偉そうにしてします。そんな王様の寵愛をうけるため、女のバトルや嫉妬の嵐の渦が繰り広げられます。


冷静にドラマを見ると、なんだかしょうもない人や地位、身分に振り回されて気の毒で可哀想だなぁ、なんて客観的に見えるんですが、まぁ、ふと、自分を客観的に見ると同じようにしょうもない事にプンスカしたりしているもんです。俯瞰して観るのは凄く大切ですね。人の事はよく見えますが、自分の事は冷静に見えてないもんです。


だれの心にも内なる神様がいますから、その神様の声は、多分、時代の常識の歪みや、今いる場所や人の歪みがあったら何となく気づかせてくれていると思います。心の声に正直に生きたいです。