大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

紫陽花

2021-06-30 06:10:00 | ひとりごと

梅雨といえば、紫陽花。今日は紫陽花の写真を載せます。




出雲大神宮

雨が土に降ってその土の性質によって、ピンクだったり、紫だったり、青だったり。土と雨の合作が梅雨を彩る紫陽花とは、なんとも素敵。神社やお寺にも、この時期は季節を彩る紫陽花が咲き誇ります。


生田神社

紫陽花寺とか言われるお寺があります。お寺に何故紫陽花が沢山咲くのか調べてみました。


アジサイの季節である6月は気温の変化が激しく、昔はこの季節に流行病で亡くなる人が沢山いたそうです。そのため、アジサイは死者に手向ける花と考えられていたのです。このことから、かつて流行病が起こった地域では、お寺にたくさんのアジサイを植えるようになったそうです。


紫陽花とお寺の関係はこういった理由があったんですね。


夏至もこの時期で、日の長さもこの時を境に短くなりますね。季節が命に少なからず影響を与えることも昔の人は感覚で感じていたのかなぁ、と思いました。


紫陽花は青い色が多いです。花言葉は色々あって、青い色から冷淡とか、様々な色を彩ることから、移り気とか、あらら。ネガティブな。笑。青い色は暖かい色だと思うけどなぁ。


水は色はないけど、青く見えるし。空気も無色透明だけど空は青くみえる。素敵な色。本当は無色なのに光により青く見える。ピュア色と名付けます。紫陽花は、ピュアな花。

 


出雲大神宮

故人が天に召されるように、青は全てを包み込んで心を癒やしてくれる色。青い海。水は循環して恵みをあたえてくれます。


紫陽花の青も、薄ピンクも、そして紫も空の色であり、太陽に照らされた海の色。雨が似合う色。


紫陽花は、心を鎮める花だと思いませんか。


大祓祝詞

2021-06-29 06:00:00 | ひとりごと

津野山神界には金刀比羅様、恵比寿様、耳の神様と水神様併せてコウジンゴウと呼ばれる神々がいらっしゃいます。


お山にお宮がたちました(妹のブログ)を是非ご覧ください!!


金刀比羅様へのお札は、香川の金刀比羅様の総本社でいただいたので、えびす様のお札も総本社でいただきたく関西の西宮神社と今宮戎神社に行きました。


そこで、津野山神界の恵比寿様に奉納するお札を妹と購入しました。


西宮神社では妹と祝詞を奏上しました。お宮参りの赤ちゃん連れのご家族が大切に赤ちゃんを抱いて参拝していました。優しい氣のある神社でした。


今宮戎(えびす)神社はこじんまりとした神社でしたが、なんと、神主さんが祝詞を奏上する場に立ち合いました。朝の時間帯でしたが、2人の神主さんの祝詞がまるで心地よい音の流れに聴こえました。


実はその前日も、素晴らしい祝詞の奏上を耳にしました!私は今年の新年から奏上し若葉マークの🔰一年生ですが、その方の唱える祝詞を聴いて、自分の覚えた祝詞は省かれている部分が結構あり、その事は知ってはいたけれど、もう一度古いものをきちんと覚えたいと思い、覚えなおすことにしました。


西宮神社では、妹と2人まだ覚えていない古い祝詞を奏上しました。祝詞の文言を省いたのは人。神様から降りてきた時は、省かれてないから、モトを奏上したいと思いました。




祝詞にも年季が入るとそれはまるでメロディのような、流れ続ける水のように感じました。神様にお仕えする方の年月が、祝詞奏上ひとつとっても違うんです。自分が祝詞を奏上するまで、神主さんが奏上する祝詞をボケっと聴いていたけれど、今は違うんです。祝詞は唱える方によりメロディみたいに心地よい域に達するもので美しく感じました。


まだまだ、自分は色んなとこをなおしたり沢山の修行が必要な事もわかりました。命にはいつか限りがあるから、善は急げだと、色々自分なりに挑戦してみたいです。


火の酋長

2021-06-28 05:55:00 | 神話・物語・本から
引き続き、インディアンの聖なる大地の教えより。

あなたは大地に新しい形を与える溶岩、

雷雨を駆ける稲光。

あなたは人の心を燃やす情熱、

夢と欲求による創造を教えてくれます。

慈愛に満ちた創造の火、

大いなる神秘がつけ

永久にある

永遠の炎を燃やし続けて。

地上の人生の試練に、

疲れた巡礼者に

困難に打ち勝つ愛の強さを教えます。聖なる道すじを照らし、

人の魂に

創造の絶えない炎と、

存在への永遠の希求を

気づかせてくれるのです。


ここまで


幼いころ、夏は必ず旧東津野村(津野町)にいきました。お盆には、大きな松明を焚いていて、幼心に炎に何か神秘を感じました。暖かく故人を迎える伝統行事ですね。


炎って情熱。熱いってことは物事に取り組み成就させようとする時には大切ですね。炎は皆んな持っているけど、その炎が灯火になったり、焱になったりと違うのかな。


思ったら行動。行動が、燃料となって炎を燃やし続けていく気がしています。そしてその炎の燃料は、実は行動している限り見えない存在から沢山の後押しがあって風向きさえ自分を後押ししてくれるかも。


お宮が津野山神界にたちました!!!


妹のブログが、お山に祠がたちましたから、お山にお宮がたちましたに変わりました。

草ボウボウの地。忘れ去られた神の地。そこに居続けていらっしゃった神々。妹の中に眠っていた火は、事実を知り行動に変えることで逆向きの風さえ順風にかえ、どんどん周りを巻き込み大きくなったように思います。


火は炎となりまだまだ勢い良く燃えていて、いつも妹と話すと、熱い!笑、と思いますが、その熱さが妹の良さでもある気がしています。


行動。これが大切。変わらないと思えたものさえ変えられたのは、火の熱が伝わり炎となってひろがっていったから。


祠が建つ前、夜、光の柱が山から天に立つのを従兄はみたらしいです。


津野山神界が凄く力を増している気がします。津野山神界が未来永劫人々に大切にされますように。愛されて活きますように。


水の酋長

2021-06-27 05:50:00 | 神話・物語・本から

昨日に引き続き。アメリカインデイアンの聖なる大地の教えより。


揺れる水があなたの顔を映しています。この地で育つ全ての想いを知るあなたを。水の精が、河、海、雨、清めの涙、そして新しい生命をもたらす

産みの水の歌を歌います。

聖なる水族の酋長、

あなたは流れる形に姿を変え、

露の滴にその姿を映し、

雷雨に踊り、

砂漠の乾きを癒し、

雲から海へ旅し、

天空にまた還ります。

自然の聖なる信託者として

あなたは多くを教えてくれます。

流れに乗ること、

人を成長させてくれる波には

逆らってはならぬことを。


ここまで


水は瑞。瑞のヘンの「王」は玉を、ツクリの「耑」は髪をなびかせる神職の人を表す。組み合わせて「お祈りされた神聖な玉」を指す

ようです。


日本は、水(海)に囲まれた瑞穂の国。天から降る雨の一粒一粒の水(瑞)を「お祈りされた神聖な玉」と考えると素敵ですね。


稲穂実る黄金に輝く大地の色は、水珠(水玉)を沢山栄養にしています。水は形を変え、高い所から低い所へ流れます。決してい同じ所や、高いとこだけにとどまらなくて、低いとこにたどり着いたら天に召されぐんぐん上昇する。雲となってまた高い所から降り注ぎます。流れるままに。神の御心のままに。


水珠は水玉、美玉、響きは、御魂、身玉、身魂。全ての人にある神様の分け御魂も、流れに逆らわず光を映しながら降りかかる様々な出来事の中で、嫌なことでさえ御魂を磨くチャンスと見られるといいなぁと思いました。また、磨けば磨くほどキラキラ光って実る稲穂の粒のように黄金に光りながら、かつ、頭を下げて謙虚になるのかもですね。




大地の酋長

2021-06-26 05:27:00 | 神話・物語・本から
昨日に引き続き、聖なるインディアンの教えより

砂や土、大地の聖なる守護者

種や木、咲く花の守り手

聖なる石、そして

それらが受け継ぐ神話を守るあなたよ

生き物や山の眠りを見守り、

谷や丘や平原の秘密を私に歌ってください

在り続ける大地の神秘がわかるように

すべての大地の子を養う

無尽の美の源

あなたは疲れた旅人を癒し

彼らに自分の価値を教え

土塊でできた私たちのからだを

土から育つメディスンの草木で癒し

そして、人ひとりひとりに

魂の地上での歩みの器である肉体を

尊重するように気づかせてくれるのです。


ここまで


この大地に生まれているありとあらゆる存在は器は違えど、大地を共有する同じ仲間ですね。


草木が土から生まれて、大地に根を張り、天に向かって勢いよく立つ姿は見習いたいです。









神社なんかの氣の良い所の木の佇まいに見惚れてしまうのは、刻む年輪の数だけの、色んなものに耐えてきた経験があるからだと思います。


土から木が立つには、根が必要です。子(ね)育ては根育て、栄養を根に沢山与えると真っ直ぐに立つ人になり、空気を浄化するように、周りの皆んなに安らぎを与えたり、悲しみに打ちひしがれる人へ、日陰の空間と、木漏れ日の美しさを与えるように思います。


愛情って形はなくて何かは難しいけど、多分根っこへの栄養であり、それがなければ根っこが育たないから、きちんと立てないのかな。と思いました。神は愛ですから、神様無しでは生きられない。


私もニホンの足で大地に立つからには、ちょっとやそっとのことで吹き飛ばされない自分育てや、子育てをしていきたいな。


そして、土からのものを栄養にして、時には薬にして生きてきた長い歴史の中で、土にどうやっても還らない物を作って廃棄しつづけるのは人間だけ。人間が一番自然に対して傲慢なのかなぁとも思います。


画像は大地検索画像より