大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

茨木童子 ② 刀の話

2024-09-01 05:23:00 | 神話・物語・本から
昨日の続きです

鬼滅の刃で特別な刀鍛冶が鍛えた「日輪刀にちりんとう」が出てきます。


実際に、日本には、昔話に鬼退治がよくありますが、鬼を斬ったと伝わる刀は、数多く残されているようです。


渡辺綱が羅城門に住みついていた大江山の鬼の残党の右腕を切り落とす『 綱絵巻』が東京国立博物館蔵にはあり、刀も存在します。



この刀は渡辺綱の義叔父にあたる満仲が、筑前国から刀鍛冶を呼び寄せて作ったものです。


鍛冶はなかなか良い刀を作ることができず、「八幡宮」に祈願し、その日の夜、夢で八幡大菩薩から「60日間かけて鉄を鍛え、その鉄で2振の太刀を打ちなさい」とお告げを受けます。鍛冶はその通りにし、長さ2尺7寸(約80cm)となる2振の太刀を作り上げたといわれています。


1振目は、試し斬りで髭まで斬ったことから「髭切」と名付けられ、その後、渡辺綱の刀、鬼切安綱と名を変えます。


2振目も、同じく試し斬りで両膝を斬り落としたことから「膝丸」(ひざまる:別名[薄緑])と名付けられ、2振は、源満仲の子「源頼光」(みなもとのよりみつ/らいこう)に伝えられました。そのあとも勝利をもたらす宝刀として義経など、源氏に代々受け継がれたようです。


竪破山という霊山で、八幡太郎こと源義家が、太刀をえる霊夢をみて、その剣で岩を切ったという伝説があります。

源義家は、室町幕府をひらいた足利尊氏の祖であり、渡辺綱の主君である源頼光の甥の子にあたります。


いまは、この刀(鬼切安綱)は北野天満宮で静かに祀られているようです。


髭切、鬼切安綱、膝丸など、刀について色んな呼び名があります。「名前とは、呪となる」と陰陽師のマンガにありました。物も人も念を込め名付けると、霊力をもつ感じでしょうか。


千と千尋の神隠しで、黄泉の国のような世界で、本当の名前を奪われて変えられてしまう水の神、ハク。

ニギハヤミコハクヌシという白龍のご神名を忘れてしまうのも、名を奪う行為が、念力を削ぐ意味があるのかもしれません。

話を戻します。


名前を変えて時代を変えて鬼や逆賊を切った「刀」についての逸話は、一抹の虚しさがあります。

霊山の岩を、力づくではなく長年の鍛錬により、すぅっと鬼滅の炭治郎は斬りました。



近くの御岩山の霊山の頂上には、神器の剣ような石が御神体として山頂に突き刺さっていました。


時の正義のもと、戦いでは、よく切れる刀が必要で、それらが「家宝」として引き継がれ、さらには「神宝」として祀られて残っています。


そして、色んな奇異な伝説や、武勇伝がくっ付いて、勝者の伝説が語り継がれます。敗者の声はいつも消されて聞こえない。


茨城や茨木の地名はツチグモ退治にはかなり深く結びついているなぁとも感じました。

鬼退治の話やお伽話は、まつろわぬ何者か、抵抗勢力との戦いがあったことを想像させます。


また、琵琶湖から流れる川が「名前」を変える話を以前書きましたが、瀬田川、淀川、宇治川など名前を変える川にある橋姫伝説は、巫女と土蜘蛛の話がありました。

橋姫伝説は、平家物語では、渡辺綱と鬼女の戦いです。



橋姫


人が作った剣は、男女関係なく歴史の中で沢山の命を散らし怨念を残し、重い気をその地に落としたのかもしれませんね。


善悪なども、見る側の視点によりコロコロ変わるものかもしれません。


次は御岩神社参拝記です。


つづく



茨木童子 ①刀の話

2024-08-30 07:15:00 | 神話・物語・本から

昨日の続きです。


「茨城」の地名は、土雲、都知久母(ツチグモ)征伐と深い関係がある話があります。この地名の茨城と大阪にあります茨木の響きはおなじです。茨木は、昔の摂津国です。


ツチグモ征伐とは、鬼とよばれた、いわゆる当時の「逆賊」征伐のようなもので、また、東北の蝦夷征伐にもつながる気がします。

青森のねぶた祭りで鬼がよく使われるのは、この背景があるのかな。




茨木童子(いばらきどうじ)の話も、鬼退治物語です。この物語には、鬼を切る刀がでてきます。鬼の中の鬼と恐れられた酒呑童子(しゅてんどうじ)の家来が茨木童子です。






酒呑童子を、退治したのは源頼光で、茨木童子を退治したのが頼光の臣下で、頼光四天王の筆頭、渡辺綱です。「源氏物語」の「光源氏」のモデルともいわれ、全国の渡辺姓の祖らしく、そして綱が使った名刀「鬼切安綱」は、「髭切」とも別名で呼ばれ、今では、北野天満宮のご神宝のようです。


渡辺綱は、嵯峨(さが)天皇の血筋を受け継ぎ、源綱から母方の渡辺の姓に変え、渡辺姓は摂津国から全国各地に広まりました。綱の子孫は渡辺党と呼ばれ、摂津国の武士団として住吉(住之江)の海である大阪湾を本拠地として瀬戸内海の水軍を統轄したようです。


この渡辺綱が退治した鬼、茨木童子は酒呑童子の家来です。親分の仇を討たんと、美女に変身し、綱の気を緩ませた末、その髪の毛を掴んで愛宕山に連れ去ろうとします。綱は、手にした名刀「髭切(ひげきり)」を振り下ろして、鬼の腕を切り落とします。後に失った腕を、次は綱の叔母に化けて取り返しにきたとの話も伝わっています。


まるで、阿蘇の霜神社でみた、切っても切っても復活する鬼伝説を思わせますし、また、鬼滅の刃の切っても切っても復活する鬼のようです。


この鬼を切った刀こそ、「鬼切安綱(おにきりやすつな)」別名「髭切」です。この刀は、その後、茨城県にあります竪破山にて、源義家が霊夢にみた刀(前回の内容)と繋がります。


渡辺綱が、「茨木」童子の腕を切り落としたという名刀と、

八幡太郎源義家が「茨城」で夢で黒坂命からツチグモ征伐に授かった太刀には、深い関係があり、同時期に作られたものか、同じようなものなのではないか?ということです。この2人には頼光(らいこう、と呼ばれた方)を通して深い「綱」がりがあるからです。


綱が使った刀は、まるで、「鬼滅の刃」で、家族を「鬼」によって惨殺された主人公、竈門かまど炭治郎が、鬼になってしまった妹を人間に戻すため、「鬼殺(きさつ)隊」に入り、

そこで出会った仲間たちと共に鬼と戦う話で出てくる日輪刀のようです。


特別な刀鍛冶が鍛えた「日輪刀にちりんとう」が鬼滅の刃には出てきます。



実際に、鬼とよばれた人を斬ったと伝わる刀は、数多く残されているようで、頼光や、頼光四天王というリアル鬼殺隊がかつていたことになります。

鬼滅の刃が人気なのは、鬼には鬼にならなければならなかった背景があり、そこには悪者としてだけでは片付かない悲しみを見たからだと思えます。
姉から借りた陰陽師の漫画に、怨霊として菅原道真公がでてきます。
安倍晴明は言います。
怨霊となっな道真公を、祓うのではなく、生きていた時の純粋な本当の自分を思い出させ、そして理解することなんだ、、と。

重い過去が残る土地では、悲しみで散った人々に想像を馳せてみる。今ある差別の問題にも繋がります。

まいた種は実となります。縁があるから、結ばれて、もつれた場合は、その糸を糺すようなことも、縁者がやらなければならないことなのかもしれません。

参拝にはそんなこともある気がしまています。

つづく



八咫烏とイザナギ流 土佐神社へ

2024-08-22 08:56:00 | 神話・物語・本から

土佐国風土記によりますと、土佐神社の神、高鴨神はアジスキタカヒコネ命であり、八咫烏とも呼ばれます。


先日帰省して、私はイザナギ流のお祀りの展示が今されているというのでみてきました。妹も姉も、イザナギ流のお祀りに参加したことがあり、物部神道に関係があるのか、非常に興味深い伝統が残っていました。


いざなぎ流は、土佐国で独自発展した陰陽道の要素を含む民間信仰のようですが、中世や京都で発展した陰陽師の家元であるある土御門家賀茂朝臣氏と関係があるようです。


今回の帰省で、姉が陰陽師の漫画14冊を私に貸してくれたので、これを機会に読んでみようと思います。


私は、このイザナギ流のお祭りに参加したことがないので、色々写真に残して後で学ぼうとしていたのですが、何故か一枚以外写真が全て消えている、という謎の不思議がありました。笑


写真禁止は、とある10個くらいのお面のところだけでしたので、それは写真に残しませんでしたが、20枚くらいは学びのために撮影しました。

このお祭り、口伝のみで伝わるものなので、なにものかに、ダメと何ものかにいわれている?のかと、不思議に思い妹に聞くと、妹の写真は全部残っているとか。笑


何故かは何もわかりませんが、


その残った写真が八咫烏のこの写真です。



不思議なことがあるものだなぁ、と思いました。イザナギ流の特設展示場をみた後、土佐神社がとても近く、姉と妹と行ってきました。




 土佐国の一宮である土佐神社は、夏祭りとして志那禰様(しなねさま)というお祭りが近々あるようで、幟がありました。


志那(シナ)に禰(神職)を持つという意味かな。シナは昔の呼び名ですから、秦氏などの渡来人を想起します。秦氏に縁が深い土佐の長宗我部氏は土佐神社に縁が深く、長宗我部氏に関する逸話も土佐神社には紹介されていました。


とはいえ、秦氏の神社かというと、土佐神社が祀る神は秦氏が渡来した3世紀よりもっと古く、アジスキタカヒコネ、高鴨神とも一言主神ともいわれます。


アジスキタカヒコネは、八咫烏なんですね。


展示場で撮影した写真が一枚だけ、八咫烏の一枚だけ残った不思議。少し、色々がかさなり、八咫烏を深掘りしたくなりました。



高鴨神は加茂族の祖神です。奈良の高鴨神社は、昨年妹と参拝しました。イザナギ流のこの写真にあるように、熊野から飛来する八咫烏。

神武天皇が熊野で道に迷った時に吉野へ先導し助けたのが八咫烏です。

 

紀伊半島の山奥深くには、熊野三山と呼ばれ修験道の聖地があります。神話に暗示される背景とは。


調べていくと、八咫烏とウマシマジの関係を指摘するものがありました。神武東征には、饒速日命の子とされる、物部氏の祖、ウマシマジが関わります。高知は、饒速日命(ニギハヤヒ)が流されてきた話があり、また、ウマシマジに縁がありそうな馬路村なども安芸郡にあります。


このウマシマジの父ニギハヤヒ命は、土佐に配流されています。また、土佐に配流された高鴨神アジスキタカヒコネ神、つまり、事代主神を祀るのが土佐神社。また、昨年奈良に行った際、土佐に配流された逸話のある葛城一言主神社 (in 奈良

それらはバラバラに存在する逸話でなく、実は一つだったのかもという気がしてきました。


つづく


弓の道④ 礼記より

2024-01-23 07:48:00 | 神話・物語・本から

以前、娘が高校に入学して部活を選ぶ時に2つの選択肢から迷っていました。水泳と弓道です。結局、小さい頃から続けてきた水泳を選びました。


娘が先日、弓道部は一番学校で大変だから水泳部で良かったぁと笑っていいました。へー、弓道部は大変なのね、と話したことがあります。


真面目に朝練含め毎日やるのは、朝ギリギリまで寝たい娘にとっては大変かもですが、弓道について知るにつれ、弓道って良いなぁと思いました。


弓道と礼記について今日は書いてみます。


礼記という中国の古代の書があります。孔子が書いておられます。その中で矢を射ることについて、私の心を射止めた話がありましたので、ご紹介します。


「礼記射義」の中から。


射ることは、仁の道を行うのと同じである。何となれば、射る前に先ず内志しを正しくし、外体を直にしなければ正鵠を得ないから、先ず正しきを己に求め、己を正しくして後に矢を発す。発して正鵠に中たらない時には、決して己に勝った者を怨まず、反ってその正鵠を得なかった事の原因を己に求めて反省するだけである。


とありました。


そして、この中で言われる己の「正しさ」について考えてみましたが、人の正しさほど曖昧なものはないです。


しかし、中にあたる正しさはやはりある気がしています。それは慎む心だったり、奢り高ぶる心を捨てることだったり、穏やかで優しい安らかな心だったり、そんな心が己を正すことに近いと感じます。


世の中には、妥協の産物として正邪の判断基準が示されたりします。

歴史を観ても競争社会の中でも、勝てば官軍・正しくて、負けたら敗者・失敗・邪といった自己中心的な価値観があります。


そんな「正しさ」に振り回されない心を持ちたいです。


日本には和を大切にした伝統的なものが生活や言葉にひっそりと残ります。日本神道は、他を排除せず、咀嚼して作り変える力があります。


弓道の世界には、破邪顕正という言葉もあるようです。邪を破り、正しい事を顕すという意味ですが、


高い道徳に培われた正しさに、己を照らし合わせて日々反省する事により、自分が段々と丸い的の真ん中にむかっていける気がしています。


多様な価値観の中で、囚われることなく無欲でありながら、全てを慈しむ心とはどんなものだろう、とふと考えます。


それはイエス様やお釈迦さまのような、聖人の生き様であり、孔子のお言葉の中にも多く散りばめられているのかなと感じます。


ただの凡人だから、賢人から学びたいです。


娘が弓道を選んでいたら、それはそれで良かったなぁと思いつつ、長年やっている水泳を続けることも、自らを水に馴染ませる運動ですから、継続して頑張って欲しいですね。


何事も継続して貫くことは的に当たる一つの力となる気がしています。私もがんばろう。😌



神様の神器 ②弓の弦について

2024-01-21 04:55:00 | 神話・物語・本から
弓の弭(はず)について昨日は書きましたが、その続きで今日は弓や琴などに張る弦について書いてみます。


弓は、神器であり、武器にもかわります。日本神話だけでなく、世界の神話でも弓は描かれます。


アポロン神

弓には、弦をかけます。弦を張った楽器の琴についても以前書いています。

弓も琴も神様の神器だというのは、弦を指でハジいて揺らし、それに祓の力があるからです。




お釈迦さまの弟子で琴を上手に弾くソーナさんのお話をご紹介します。

霊鷲山の山中では、ソーナさんがいつも精進して修行に励んでいました。

しかし、ソーナさんの熱意とは裏腹に懸命に取り組んでも悟りに至れるような気配はありません。

ソーナさんは意気消沈します。

「お釈迦様の弟子の中でも、一番といっても過言ではない程熱心に修行に取り組んでいるのに、未だに欲望は無くならないし、悟りに至ることができないではないかなぁ、、。😞

修行などやめて気ままな生活をしていたほうがいいんではないだろうか?」


そんな彼の心の叫びを、お釈迦さまは耳にし、彼を呼び寄せることにしました。

「ソーナ。最近あなたはこの道を捨てて、元の生活に戻りたいと思っているらしいですね?」

「何故その事を知っていらっしゃるんですか?」

ソーナさんは、はじめはびっくりしましたが、正直に胸の内を明かしました。お釈迦様は、彼の話を聞き終わると、このように言いました。

「ソーナ。私の質問に、正直に思うように答えてみなさい」

そう言うと、お釈迦さんは、彼に対してこう尋ねました。

「ソーナ。琴を弾くのがとても上手らしいですね。」

「はい、、」

「琴を弾く時、弦が硬いと良い音は出ますか?」

「いいえ。良い音は出ません」

「では、弦が緩いと良い音がなるんですね?」

「いや。単に緩くすれば良いというものでもありません」

「では、一体どうしたら良い音がなるのでしょうか。」

「あまり緩めすぎてもいけません。張りすぎてもいけません。強すぎず、弱すぎず、琴と弦の具合を見て、しっかり調整しなければ本当に良い音はでません」


そこでお釈迦様は、笑みを浮かべました。


「まさしくあなたが今言ったように、精進するのも張りつめすぎると、気持ちが高ぶってしまいます。また反対に、緩みすぎても人を怠惰におとしめるのですよ」

その言葉を聞いたソーナさんは笑みを浮かべて喜び、この琴の喩えの教えをしっかりと受けとめました。


以上。

ソーナさんはお名前のようですが、ソは流す意識、ナはつかむ意識のこともいいます。


二つの極端な行いに偏らない「中道」を、琴を上手に弾く「ソーナ」さんに、弦の張り方で教えたとしたら、その人に一番わかりやすい方法で説いて悟らせるお釈迦さまは本当に素晴らしいです。


弦の張りを弱すぎず強すぎず、調整することは今の言葉では、チューニングです。

中にいくぅ。😚


弓に弦をかける行為にしても、弓に合わせて弦を適切な長さにしないといけません。大きな弓に1人で弦をかけるのは難しく、弓をたわめて弦を懸けるのには、要する人数によって、三人張の弓、五人張の弓というようで、弓の強さを示す名とされるみたいです。


難しいことも3人、5人で弦張る、いや、頑張ると丁度良い感じに出来るし😊、

何より、神器を作り上げるには、人の調和が必要ですね。😌