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大善人へ身魂磨き

読書の季節

昨日の続きです。


生死の境目で究極の光の存在からたった3つだけ質問されたのが、「充分愛したか。学んだか。使命を果たしたか。」でした。


その究極の光とは、自分が亡くなった時に、自分とは別の存在として確かに対話するようです。


その存在に名前を尋ねると名前はないと答えます。名付けることも表現することもできない、特定できない普遍的存在と話しているのであり、その存在は「すべて」を含み「宇宙そのもの」だと飯田史彦先生は話しながら気づきます。しかし、同時に宇宙には自分も含まれているから、対話している事に混乱してしまいます。

すると究極の光の存在は自らを

「お前の全てであり、もうひとりのお前だ」と言われたあと、飯田先生の中に飛び込んで一体化してしまいます。


飯田先生は、自問自答を「本当の自分」としていたことに気づいたのです。


なるほど、これが、生きている人全てにいる内なる神様であり、ある人は分け御魂と呼び、ある人は神や仏、宇宙と呼んだりしているのですね。名前は便宜上つけているけれど同じ存在。


この本を最初に手にしたのは若い時でしたが、この部分がとても衝撃的で、私の中にも神様のかけらがいると思えた感動の瞬間でした。


その時から、自分の内なる神様ならどう考えるかな?今の自分の態度良くなかったかな、反省。。とか、人生は本当の自分と出会うまで自己を反省したりしながら生きているんだと思えるようになりました。


宇宙全体の愛のレベルを引き上げることを目的に、様々な事柄を経験させ、時には予定外の混乱すら引き起こし、学びの機会を与え、ひとが誰しも自らの使命を誇り高く生きることを望んでいる存在がいる。


意味さえわからないような辛い事がおこっても、生きるとは、そういった時もあると受け入れ逃げないといった内容も述べていました。


辛く悲しいことがおきても、耐え忍び、泣きたければ泣き、すがりたければすがりながらも前に進んで努力する。


りんりんりん。


鈴の音の様な虫の歌声が心地よい季節ですね。秋の夜長に本棚で長いこと眠っていたを本を再び開いてみると、15年前に手にして感じた気持ちまで思いだし温かい気持ちになりました。






【画像は秋の夜長検索画像より】




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