わたしんちの医学革命と雑多な情報

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国会証言雑感 

2009年03月06日 | 重要国会証言

これを読んで40年前と今とどう変わったか?と考えてみた人は居たでしょうか?


少しも、いや、もっとひどくなっているのではないのか?

そんな構図はどこから来ているのかと考えてみます。


それは一番の責任は国民、イッパンタイシュウにあると考えます。


イッパンタイシュウの最大の欠点は、「権威に弱い」という事です。


この「権威」を基準にしてすべてを考えてしまう。

それはまさに「宗教の世界」そのものです。


まさか自分が宗教に入っているなどとは想いもしないでしょう。

しかし、そんなことの自覚など必要ないのです。


あらゆる権威というものに対して、従順になる、という奴隷的な性質を備えているのです。

それはこのボクも同じなのです。


その性質をすべての人が持っている、それが下にも中間にもある、そして上になってしまった立場の権威がその下位のものを支配する。


支配するというのは、支配される側が受け入れるからであって、需要があるから供給があるという、需要側が主なのです。


すると、受け入れる側の態度でどうにも変わるというのが本当の支配力なのですが、それをハナから洗脳されて来た人類がなかなかそこから抜け出せない、気がつけない、そういう構図があるのでした。


しかし、その構図は自然と解けて行くというのが大自然の恩恵です。
それさえもちゃんと太鼓からセッテングしてあったという話もありますが。

とにかく、権威を創り上げてきたのは自分たちイッパンタイシュウ側の創作だった。創造の主は吾らにある、ということです。


では、こういう権威側(この場合、国会証言での出席していた厚生省と科学技術庁幹部と医師会幹部)が幅をきかせて、非権威側(この場合、異論を唱えた医学者数名と少数派に肩入れした斉藤議員)を押し込めたという事実はどうみるか?です。



その判断がこれからできるわけです。

それをこの証言内容を読んだあなたが決定することです。

もしも、まだ「権威」好きであるならば、これを黙殺してしまうでしょう。

しかし、もう「権威」信者を止めようと思う人は、この問題を忘れないだろうし、このことをまた他人に伝えるでしょう。


21世紀はあらゆる権威というものが見直され、嗅ぎなおされるというけど、それがようやく始まったという感がしています。



それは他人事じゃなく、自分自身に問いかけるものなのですが、どうしても強い執着心があるため、この絶好の機会を潰してしまった時の権威の横着な横暴(変な表現だが)を見逃す訳にはいきません。


巷で新理論と既成理論の討論はもちろん必要でしょうが、ことこの国会での討議はそれらとは比較にならないほど、大きな力となるチャンスだったのです。


国会でやる、国で検証するという事の重大な意味を理解しないと、これからも長い論争が続くだけで、既成医学の改新はずっと遅れると思います。



その理由が大衆の「権威」嗜好にあるというのが書いたものです。

つまり、権威すじから来るものは何でも受け入れるという鵜呑み人種が多いので、たとえ間違っているものであっても、素直に受け入れるという姿というわけです。


権威嗜好はその権威が何かの原因でつぶれない限り、それに頼り切るからです。

戦争でも大本営という権威、権力が負け戦になっても勝ち戦だと発表しているうちは、大衆はそれを信じてしまいには悲しくもなるほど単純に竹槍で闘うなどという、江戸時代でも笑われてしまう様なことを本気で信じてしまうくらい愚かな・・・


負けたなら負けたと言うほど、権威すじは素直ではない、いつも勝っている存在だと見せたがる執着心が非常に強いものです。


医療側がこんなにも異論をはねつけて隠蔽黙殺する目的は権威を守りたい欲望があまりにも強いからでしょう。


こんな簡単明瞭な公開実験をしなかった理由は明らかにその古い権威を守りたい、そしてその権威に付随しているお金の力、地位名誉など人間のあらゆる欲望が渦巻いている集団と化して、その存在がなんのためにあるさえ忘れ、己の欲望を学問とか科学とかいうものに隠して、画策している醜い姿です。


この40年前の事が今でもそのまま通用する、いや、もっと加速してしまったと思うくらいです。


その力はマスメディアという大きな洗脳力をもつ広告企業を使い、ますます大衆はそれに頼り切ってしまう、負のスパイラルが起こっているのが現状です。


そのよい例が、この癌の対策である「少しも貢献していない癌研究」と「減少するどころか当時の3倍近く、30万人以上の癌患者をふやした医学治療」です。

それにどれほど多額の国税を費やしてきたことか、それでも、まだ「負けてはいない、これから日本は勝つのだ。本土決戦で決まりをつける」と豪語して戦争終結を遅らせ、そのため猛爆を受けて最後には原子爆弾まで落とされ、数え切れない程の人命を失ったかという戦争の教訓を少しも学んでいない。


「負け」だと判ったら「負けた」と言えばいいんです。
それを、まだまだ「勝てる」と嘘をついてまでその権力を維持したいのでしょうか。

医学(業界)は既に負け戦を知っているはずです。

しかし国民にはそれを言わない、知られないようにしている。

それは権力を守るためでしょうか、お金や地位名誉を守るためでしょうか。


そこには国民を守るなどという意識は全くないのですか。


松下、千島理論は巷では論争をおこしているほど、知る人は知っているのですが、そんな論争はけっきょくは多勢に無勢の世界ではかき消され、なかなか浮上することが出来ないのです。

それを一挙に浮上できるというチャンスを国会が取り上げたのに、それを潰してしまったという、これは歴史に残る汚点のひとつになるでしょう。


しかし、挽回のチャンスはあります。

今からでも遅くはない、あの証言内容通りにやって貰います。

さあ、どうでしょう?

あの当時よりも数倍も優秀な機器も登場しているそうですから、もう誰が見ても文句言えないほどの証拠が覗けるようですから、「やれば即答えが見える」という時代になりました。

さあ、やって貰いましょう。


そして、大空襲で多大な被害者が出ないうちに、原爆投下まで行かないうちに
今でも遅くはないのだ。





「世界医薬産業の犯罪」という本では、あれはアメリカの古い話だと思ってしまうでしょうが、とんでもない。


これは実際に世界中で起こっていることです。

決して過去の話ではないのです。


この40年前の話でさえ、もう既にこの日本でも起こり始めていたというのが厚生省、医学界が実験を黙殺したということから伺え知れます。


この日本の医療産業界は複雑に繋がっている利権集団だと判れば、相手は国民ではなく、自分たちの得る利益や権威、地位名誉などでしかありません。



だからこそ、都合の悪いことになる実験検証などしなかった。


それを国民が知らなかった。知らせなかったマスメディア。
マスコミもおなじグループなのでしょう。


最後にそれを許している、認めているのは一般大衆、国民です。

需要があるから供給がある。

権威を求めるから権威が供給してくる。


車が売れないのは需要が減ったからです。

いくら供給(作っても)しても、需要がないから、もう作らない、作れない、単純なのです。


一切の原因は実は「吾らにあった」のです。


となると、





あっ おいらもか!!



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