ブログの練習

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(朝日新聞と中国新聞)
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毎朝3時におきます。

前田寛治

2011年01月23日 03時07分41秒 | パソコン

(1896-1930)

洋画家。明治29年10月1日鳥取県に生まれる。倉吉中学校を卒業後、上京して葵橋(あおいばし)洋画研究所に入り、黒田清輝(せいき)の指導を受ける。1921年(大正10)東京美術学校西洋学科を卒業、帝展に出品し、翌年フランスへ留学した。クールベのレアリスムに傾倒し、また福本和夫(かずお)から唯物史観の感化を受けて、社会意織の強い独自の写実主義を目ざした。25年帰国して第6回帝展に『J・C嬢の像』を出品し、特選となる。翌年同志とともに「一九三〇年協会」を創立、また本郷・湯島の自由画室に写実研究所を開設した。質感、量感、実在感を絵画の写実的要件としたが、彼自身の作風はしだいにフォーブ的な主観表現へと向かった。帝展で特選、無鑑査ののち、29年(昭和4)に審査員として出品した『海』は帝国美術院賞を受ける。翌昭和5年4月16日没。ほかに代表作として『二人の労働者』 『裸体』 『棟梁(とうりょう)の家族』がある。


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