ブログの練習

新聞配達とパソコンなど
(朝日新聞と中国新聞)
いっしょになりました。

毎朝3時におきます。

瑠璃光寺

2011年02月15日 20時54分49秒 | 旅行
                               瑠璃光寺 山口香山町にある曹洞(そうとう)宗の寺。保寧山(ほねいさん)と号する。本尊は薬師如来(やくしにょらい)。応仁(おうにん)の乱で戦死した陶(すえ)弘房の菩提(ぼだい)を弔うため、その夫人が1471年(文明3)に吉敷(よしき)郡仁保(にほ)村(現山口市仁保中郷)に一寺を建立し安養(あんよう)寺と称した。開山は大庵須益(たいあ . . . 本文を読む

川端龍子

2011年02月15日 06時18分21秒 | パソコン
(1885-1966) 日本画家。明治18年6月6日和歌山市に生まれる。本名昇太郎。11歳のとき上京。1904年(明治37)中学校を中退し、葵橋(あおいばし)洋画研究所、太平洋画会研究所で洋画を学んだ。国民新聞社などに勤め、挿絵を描いて名をしられるようになったが、13年(大正2)にアメリカを旅行し、帰国すると日本画に転じた。初め无声(むせい)会に加わったが、15年、平福百穂(ひらふくひゃくす . . . 本文を読む

伊東深水

2011年02月14日 20時01分29秒 | 旅行
(1898-1972) 日本画家、版画家。東京・深川の商家に生まれ、本名はー(はじめ)。1911年(明治44)鏑木清方(かぶらききよかた)に入門、翌年から巽画会(たつみがかい)、日本美術院展に出品、入選する。16年(大正5)版元渡辺圧三郎の主唱する画家・彫師(ほりし)・摺師(すりし)三者分業の「新版画」運動に参加、当時流行の創作版画運動とは別に、浮世絵以来の木版画の伝統を創造的に継承してみせ . . . 本文を読む

熊谷守一

2011年02月14日 07時43分52秒 | パソコン
                                    熊谷守一 (1880-1977) 洋画家。岐阜県生まれ。1904年(明治37)東京美術学校西洋画科を青木繁(しげる)らと卒業し、翌年から農商務省の樺太(からふと)(サハリン)調査隊に加わった。08年第2回文展に初入選し、翌年の文展で自画像『蝋燭(ろうそく)』により褒状を受ける。その後数年間を郷里に過ごし、15年(大正4 . . . 本文を読む

菊池契月

2011年02月13日 08時42分24秒 | パソコン
(1879-1955) 日本画家。長野県に生まれる。本名細野完爾(かんじ)。初め児玉果亭に師事したが、画家なることを家人に反対され、1896年(明治29)に出奔、京都に出て南画家内海吉堂に師事した。やがて師の計らいで四条派の菊池芳文(ほうぶん)に入門、芳文の長女アキと結婚してその家を嗣(つ)いだ。98年、新古美術品展に出品して受賞、1907年(明治40)の第1回文展では『春暖』が受賞した。以 . . . 本文を読む

徳岡神泉

2011年02月13日 05時52分50秒 | パソコン
(1896-1972) 日本画家。京都生まれ。1909年(明治42)竹内栖鳳(せいほう)の画塾に入り、京都市立美術工芸学校を経て、17年(大正6)に京都市立絵画専門学校を卒業。25年の第6回帝展で『罌粟(けし)』が初入選し、翌26年の『蓮池(はすいけ)』、29年(昭和4)の『鯉(こい)』はともに特選。翌年から帝展無鑑査となった。36年京都市立美術工芸学校教論、翌年には日本女子美術学校教授となる。 . . . 本文を読む

ジョット

2011年02月09日 20時51分47秒 | パソコン
                     サンタ・マリア・デル・フイオーレ大聖堂  GiottodiBondone (1266ころー1337) イタリアの画家、建築家。フイレンシェ派絵画の基礎を築き、イタリア絵画、ひいてはヨーロッパの近代絵画の創始者とたたえられる。フィレンツエ近郊の小村べスピニャーノに生まれる。貧しい少年ジョットが、羊の番をしながら羊の絵を描いていると、通 . . . 本文を読む

工藤甲人

2011年02月09日 06時04分17秒 | パソコン
(1915-) 日本画家。青森県に生まれる。1934年(昭和9)に上京、川端画学校で学んだ。39年、第2回新美術人協会展に出品、福田豊四郎らが組織する研究会に加わり、その指導を受けた。40年に応召、45年に復員。50年(昭和25)の創造美術展に入選し、翌年と56年の新制作展で新作家賞を受賞。64年の現代日本美術展で、『地の手と目』が優秀賞を受けた。この年、新制作協会会員となり、74年創画会の . . . 本文を読む