たまり場ぶろぐNEO

 奈良県在住、天里友香のブログ。
 漫画・ゲーム・同人等のオタク系話題と日常、時々は真面目な話です。

関ヶ原に「首置いてけ!!」⑩

2013-10-23 20:40:46 | 旅行
 陣場野会場には、19日と同じく食べ物の屋台などがたくさんありました。
「しかし、それを食べる屋根がある場所が少ない!!」
 傘をさしながら食べるわけにもいかず、
やっとテントの下でオニギリを食べましたが。
「もう少し、この点は(毎年やってるイベントらしいし)改善の余地あり、だな!!」
 楽しみにしていた『合戦絵巻』も屋内イベントになり、
しかしそのホールは既に地元の方々でいっぱいみたいだったので
「うーん…、入れないんじゃ、雨だし、もう帰った方が楽かな!?」と
お土産だけ買って、関ヶ原を後にしました。
(後でTwitterを見ると『合戦絵巻』の島津豊久のセリフは
「まんま『ドリフターズ』1巻」だったらしいです[笑]
ああ、外で見たかった…!!)
「いつか、今度は晴れた年にまた来よう!!」
 少し悔いが残りましたが、天候は仕方ないし、19日はそれなりに満足に動けたし。
「楽しかったです!!」

関ヶ原に「首置いてけ!!」⑨

2013-10-23 20:25:09 | 旅行
 そうこうするうちに10時になり、
やはり20人ずつの入場制限があるので、少し待って入場。
 この日の来場者記念ポストカードは
「烏頭坂の豊久(写真と同じシーン)」でした。
 19日の記事『関ヶ原に「首置いてけ!!」③』でも書いたとおり
なかなか凝った原画展で、流石に展示原稿は(撮影はOKだったとは言え)
むやみにブログには載せられませんが、
代わりに?『フォトチャンネル』に会場の様子の写真を色々載せてますので、
興味のある方はどうぞご覧下さいv
 この日も結局11時過ぎまで原画展を見ていて。
「今日も屋台が出てるみたいだし、
出来たら『関ヶ原合戦絵巻』も見たいし!!」と
陣場野に向かいました。
(もう1つ言うと…笹尾山会場は完全に雨シフトで、
どうやら屋内展示な『ドリフターズ原画展』以外の催しは中止になったからです…。
 晴れてれば、鉄砲隊演武や合戦絵巻の出陣式などもあったらしいんですが、残念…!!)

関ヶ原に「首置いてけ!!」⑧

2013-10-23 20:16:41 | 旅行
 翌10月20日。
 この日は朝から結構しっかりと雨。
 Twitterで主催の「本日の『関ヶ原合戦祭り』は「雨シフト」での開催」発表に
納得はしつつも残念に思いながら、大垣を出てまた関ヶ原へ。
 昨日と同じに、まずは歩いて笹尾山に向かいました。
「『原画展』最終日だし、雨だけど混むかな?」とは予想しましたが、
確かに19日に比べゾロゾロ歩いてる一団があったりして
「これは、少なくとも彼らの後か先かで順番がだいぶ変わるかもな!?」と、早足。
 19日より20分ほど早く着いて会場の行列に並んだら、整理券の番号は10番後でした。
 ちなみに、前述の集団は3分後くらいに来たので、
彼らに遅れてたら更に後の番号でした。
「雨とは言え、流石に最終日で日曜日!!」

関ヶ原に「首置いてけ!!」⑦

2013-10-23 08:17:04 | 旅行
 烏頭坂を後にして、19日は関ヶ原を一旦去り、
ホテルを取っていた大垣の、大垣城跡へ行きました。
 大垣城は関ヶ原の合戦の前に西軍が本拠地としていた城で、
中は博物館になっていたのでそれを見学。
 武具などの展示もですが、ここのご当地の話?として興味深かったのが『おあむ物語』の巻物。
 これは、関ヶ原の合戦の時に大垣城にいた女性「おあむ」が、
後に尼さんとなり子供達にせがまれて昔話をする…という形式の話ですが。
(以下、戦国時代の生々しい戦の話なので、
現在の基準ではグロテスクな内容です。
嫌な方はスルー願います!!)


「戦に出た男衆が敵の首を持ってくるのを、女性が受けとって化粧をした
(より身分が高い首に見せるのにお歯黒を塗ったり、
元から身だしなみとして化粧をしていていた首には、化粧直しをしてやる)」
「血なまぐさい生首の中で寝ていた」など、
挿絵共々、リアルな戦国の様子が語られてまして。
「こんな時代に生きてたら、
そりゃ現在人とは死生感そのものが全く違うよな…!!」
そう思いながら見てました。

関ヶ原に「首置いてけ!!」⑥

2013-10-23 08:10:16 | 旅行
 さて。いよいよ『島津の退き口』をたどって烏頭坂に向かおうとしたわけですが…。
 実は、事前に一応は道筋などを調べたわけですが。
「探しかたが悪いのか、ちゃんとした地図だとか見つからない!!」orz
 数少ない手がかりが、地図サイトで見つけた
『烏頭坂コミュニティーセンター』なる建物らしき名前。
 これだけでは、近くの地域一帯が『烏頭坂』と呼ばれてるから付けられた名前かもと不安でしたが。
「行ってみるしかない!!」
 最初は『関ヶ原インターチェンジの東側』なる誰かのブログに書かれていた文面から、
関ヶ原インターチェンジに通じる道なR365を南下してみました。
 ところが、途中から歩道がなくなり、
しかも『烏頭坂コミュニティーセンター』のある地域と直接通じる方角には
道らしきものが地図にも現地の景色にも見あたらず。
「これ…違うんじゃないか?」
 引き返して、もう少し東側に並走する住宅地の中を通るやや細めの道へ。
 こちらの道がどうやら旧街道だったらしく、
南下して行くと道の脇の住宅地の中に『烏頭坂』のバス停を発見!!
「これは重要な手がかりだぞ!!」
 注意深く元の道をまた少し南下して、下った先に『島津豊久の墓』なる石の標識と看板と島津家の旗を発見!!
「ここか!!」
 道沿いに説明の看板があって、その横に丘を昇る階段。
 それを昇ると『島津豊久の碑』がありました。
(標識は墓になってましたが、
墓はお寺に別にあるので戦死した場所の石碑扱いになったそうです。)
 実は、さっきのバス停からも住宅地を通って来れる場所でした。
 つまり、現在は周辺はあまり「当時を偲ぶ」感じでない…ですが。
「それも時代の移り変わりだし、
碑の手入れもされてるみたいだし『よか!』って思ってらっしゃるかな?」
 合戦の様子や武将達の心情を想像しつつ、手を合わせてきました。