板部岡江雪斎さんは慶長14年(1609年)6月3日伏見にて死去なので、この真田信繁と会った後にすぐお亡くなりに。。ナレ死もしてもらえなかった。 #真田丸
— 一二三 (@nunonofuku123) 2016年9月25日 - 20:21
江雪斎さん、史実時系列との絡みから言うと、この信繁との邂逅後に亡くなっているはずなので
— フラワードクトリン (@flowerdoctrine) 2016年9月25日 - 20:23
死期を悟って、隠居を決意し、体がまだ動くうちに、主君の北条(の墓所)に最後のご挨拶に来た、というところなんだろうと思われる
#真田丸
本多忠勝公、昼見たときは若々しかったのにめっきり老けちゃって! #真田丸 pic.twitter.com/QDpwKkCNRN
— よしかず (@dam_yoshi) 2016年9月25日 - 20:27
なんと!
— 萌える大河姫 (@taiga_sanada) 2016年9月25日 - 20:33
清正暗殺かよ!!!!!
どうりで、元気だった訳や。。
#真田丸
ようできた二代目・服部半蔵より誰より、次々と名だたる武将をナレ死に追いやる有働センパイの方がよっぼと恐いわ(´Д`) #真田丸
— sakaikazunori (@sakaikazunori) 2016年9月25日 - 20:33
この時家康は今川氏真(今川義元の子)や織田信雄(織田信長の次男)など零落した二代目の面倒を見てたから、「凡庸でも家名と血は残す二代目」と「非凡だけど滅びる運命にある二代目」の見分けは上手かったんだろうな #真田丸
— 影勝卿@居合道弐段 (@kagekatsukyo) 2016年9月25日 - 20:32
#真田丸 佐助!萌え絵描いてる場合じゃない!ライバル半蔵は超クールな仕事してんぞ!
— かな ドラマ鑑賞アカ (@kanadorama) 2016年9月25日 - 20:34
ああ…。黄泉から昌幸を迎えに来たのは武田信玄なのか(;_;)昌幸にとって唯一「主君」だった信玄…!!合掌 #NHK #真田丸
— TomokaAmari (@TomokaAmari) 2016年9月25日 - 20:43
信玄公はかつて二人に対して「我が両目」といった。真田昌幸と曽根昌世だ。 #真田丸 pic.twitter.com/Gr4wp16iiD
— 木曽義仲 (@K_Yoshinaka) 2016年9月25日 - 20:42
「一人ひとりが生きて、一人ひとりが思いを持って、それを努々忘れるな。」
— シン・ルルフ (@hervorruf) 2016年9月25日 - 20:41
そうか、これ、 #真田丸 という大河ドラマの一番の骨子なんだな。
そしてやっぱりそれは安房守昌幸しか言えない言葉なんだな。
信玄公が昌幸とうさんを連れて行かれた…。存外、幸せな黄泉の旅路かもしれないなぁ…。素晴らしい昌幸でした。草刈さんありがとうございます…m(_ _)m #真田丸
— 高枝景水@若旅コミック乱連載中 (@namazudou) 2016年9月25日 - 20:44
初期より晩期の導入に至るまで、よくぞ…
— 瞿麦 (@mizuki_ousawa00) 2016年9月25日 - 20:44
昌幸殿、パッパなくして真田丸はなかったものと思いまする
南無
#真田昌幸葬儀会場 #真田丸
「御館様、、御館さまーっ」って、昌幸は表裏比興ノ者と言われつつも、武田への忠義だけは最後の最後まで一本筋を通していたのだねぇ…( ノД`) #真田丸
— sakaikazunori (@sakaikazunori) 2016年9月25日 - 20:42
昌幸があの世に来た時の為に、奴を殴りたい武将が列を成しておる。
— 北条 氏政 (@nidojiru) 2016年9月25日 - 20:39
わしも居る。
ちなみに先頭は滝川一益ぞ。
#真田丸 pic.twitter.com/TWkML8ihB3
「夜討ちはいかぬ。と、なれば『火攻め』でございますな!!」多分、それも止められますが。 RT @T_yorinaga_bot: 昌幸、保元の戦に勝つ策を教えてくれ ζ( ̄∀ ̄)ζ夜討ち以外で
— TomokaAmari (@TomokaAmari) 2016年9月25日 - 20:49
昌幸殿お疲れ様に御座います。
— 萌える大河姫 (@taiga_sanada) 2016年9月25日 - 20:49
我が武田によく仕えて下さりました。
信濃へ戻れなかった事は無念に御座いましたでしょう。
どうやら我が子晴信も迎えに行ったようにございまする。
生きては叶わなかった信濃へ、
今頃帰っておると存じまする。。
今宵は此処迄に致しとう御座いまする。
#真田丸
「軍勢を塊と思うな。一人一人が生きておる。一人一人が思いを持っておる」 #真田丸
— あさひ (@asako0807) 2016年9月25日 - 20:40
それにしてもこれはなんて普遍性のあるメッセージなんだろう。今の時代に聞いても、グッとくるし、必ず心に留めておかねばならぬ言葉だと思った。 #真田丸 twitter.com/asako0807/stat…
— あさひ (@asako0807) 2016年9月25日 - 20:46
武田滅亡後、「御屋形様、ワシに何を託された」から始まった真田安房守昌幸の物語だからこそ、このお迎えがね、心に迫るのよ。 #真田丸
— ダム川を心からお祝いする天河真嗣 (@tenkawa_shinji) 2016年9月25日 - 20:43
謝るふりをして、噛みつけ。手に小枝隠して突け。じいじの護身術教室。#真田丸
— ハルキ (@haru_takagi) 2016年9月25日 - 20:35
おじいちゃん孫に何教えてるの?!さっきの竹とんぼで遊んでたおじいちゃんとは大違いだよ! #真田丸
— SWA(つかれた) (@futaitenbunko) 2016年9月25日 - 20:35
「謝るふりをして噛みつけ」とか、そんなこと孫に教えてるから、敵からしたら「昌幸は油断ならない」し、赦免もされなかったんですよ!! RT #NHK #真田丸
— TomokaAmari (@TomokaAmari) 2016年9月25日 - 20:55
#真田丸 だめだ、真田昌幸の死とか卑怯すぎる。武田騎馬軍団(創作とか史実とかどうでもいい)の馬蹄と「お館様」の一言が、あの勝頼公の美しい死に様とタブって、泣くしかない。もう今回で最終回でいいよ、と思ったぐらい泣いた。草刈正雄というより、真田昌幸が死んでた!
— 地雷魚 (@Jiraygyo) 2016年9月25日 - 20:50
真田昌幸公・信繁公が過ごした九度山・善名称院(真田庵)。
— 小栗さくら@歴史タレント (@oguri_sakura) 2016年9月25日 - 20:47
周りの景色がのどかで、穏やかな時間を過ごしたのではと想像できますが、一方で昌幸公が上田に帰れる日を待っていたのかと思うと切ないです。
#真田丸 pic.twitter.com/QGSRgAFsYz
それにしても、心から忠誠心を傾けられる主君の元で力を尽くし、満足げに死んでいった本多忠勝と、そういう存在だった信玄を失い、信玄の影を追い駆け続け死んだ真田昌幸。実に印象深い対比でした #真田丸
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2016年9月25日 - 20:47
秀吉には信長がお迎えに来て、昌幸には信玄がお迎えに来るんだね。越えられない壁が迎えに来る #真田丸
— 和妙 (@ezoushi_ya) 2016年9月25日 - 20:42
「本当に太閤の子か…?」
— Кен@ガルパン堕ち (@vfk_ken) 2016年9月25日 - 20:34
秀吉…150cm
浅井長政…182cm
淀君…168cm
秀頼…196cm
完全に浅井のDNAです
#真田丸
スタッフです。
— 遠藤憲一 (@enken_enstower) 2016年9月25日 - 20:50
#真田丸 お父上、、、((T_T))
先日、二条城に行ってきました。と言っても夜に近くからチラッと見ただけですが。雨でそばに行くのもあきらめました。こんなことでは徳川家康殿に叱られて減俸になります、、、 pic.twitter.com/Ynuy0QYv56
今週はパッパ退場回。パッパお疲れ様でした。草刈さんの昌幸はまさに旧作の丹波昌幸と双璧の昌幸でした。草刈さん素敵な嘘つきパッパな昌幸をありがとうございます。 #真田丸 #真田太平記 pic.twitter.com/TJx0SLwrIP
— The Explosion Band (@daisuke5513) 2016年9月25日 - 20:46
あと昌幸の「軍勢はひと塊ではなく、一人一人が思いを持ってる、一人一人が生きてる」って言葉は、大河ドラマを描く上での三谷さんの言葉なのかも知れないなぁ…と感じました。軍勢を数値で見すぎてはならない、その向こうにあるひとの顔を忘れてはならない…と、改めて腹に括りたいです。 #真田丸
— 高枝景水@若旅コミック乱連載中 (@namazudou) 2016年9月25日 - 21:05