明治4年(1871)の廃藩置県で藩庁である城も役目を終え、明治6年(1873)1月14日に廃城令が公布されると、全国の城の多くが姿を消すこととなりました。
元治元年(1864)に着工、慶応3年(1867)に完成した龍岡城五稜郭も例外ではなく、地所・石垣はそのままとし、建物は入札払い下げとなり、残りは取り壊されてしまいました。
御殿の一部である「お台所」は現在城郭内に現存していますがそのほかに、
☆東通用門は佐久市野沢の成田山薬師寺の山門として移築・現存
☆大広間は佐久市の並木氏に引き取られましたが、その後佐久市鳴瀬の時宗寺に移され本堂として現存
☆薬医門と塀は佐久市田口の丸山邸に現存しています。
このうち、佐久市野沢の成田山薬師寺の山門として移築された東通用門を見学しに行ってきました。
成田山薬師寺山門
参道側
賑やかに飾り付けてもらって、門も嬉そうです。
境内側
高麗門形式ですね。枡形虎口の二の門にも使われているような格式を感じます。
移築門の説明板もありました。
のざわ商店街が終戦直後まで続いていた、成田山薬師寺(通称・成田山)の「門前市」を「のざわ山門市」として復活。
2003年に建立された「ぴんころ地蔵」を中心に盛り上がっています
参道脇の標識
「城山公園」(県史跡伴野城跡)とあるではありませんか♪
こりゃあ見逃すわけにはいきませんよね
長野県史跡 伴野城跡(とものじょうせき)
東西74m~85m、南北110mの南北に長い長方形で、周囲に土塁と堀を巡らせた城の主郭部に当たる。土塁は北側と西側、東側の北半分が残存し、堀は全周が残存する。南側の中央に入り口を設け、南西の高台に物見櫓を設けていたと伝えられている。県史跡指定を受けた部分は、鎌倉時代~室町時代に活躍した伴野氏の居館(野沢館)と考えられている。また、戦国時代頃に館を兼ねた城として城改築されたと考えられている野沢城の主郭部分に当たる。16世紀末の戦乱の末廃城となるが、佐久地方に侵攻してきた有力氏の支配拠点などとして利用された。江戸時代には官庫・陣屋・藩出張所などとして存続し、明治時代以降は神社境内や官公地として、現在は公園と境内地として利用されている。
平成14年から16年に環境整備に伴い土塁・堀の一部の確認調査を実施し、南側入り口付近で戦国時代と考えられる石積みで補強された土橋と、底面まで緩やかに傾斜する堀が発見された。東側の土塁の確認調査では15~16世紀に推定される土塀の基部状の石積みを持つ土塁が現在の土塁下部で見つかっている。、、、現地案内板より
全体風景
堀
土塁が周囲を囲む
虎口
櫓台跡か???
【成田山薬師寺】
住所;〒385-0052 長野県佐久市原467
地図;
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