こんにちは。
以前お話ししましたが、僕がまだ3歳の頃、お父さんは病気になりました。
その後、腎臓移植を含めた大きな手術は沢山しました。
そんな生死をさまよった頃にお父さんが読んでいたであろう本が出てきました。
今までもその本の存在は知ってましたが、かなり古く、興味を抱きませんでした。
先日、ふとその本を読みました。
『道をひらく』という松下幸之助さんの本でした。
今でも読み語られ続けてますよね?
で、何気なく読んでいました。
すると、二カ所に折り返しがありました。
多分、お父さんが感銘を受けたページだったんだろうと思います。
亡くなって二十年以上経った今、本当に、今、発見しました。
正直、読むのを躊躇いました。
が、当時のお父さんの年齢に追い付いた僕にも、当時のお父さんを理解出来る事があるかもしれないと、見開きました。
『ー真実を知るー
人間は、ものの見方一つで、どんなことにも堪える事が出来る。
どんな辛いことでも辛抱出来る。
のみならず、嫌なことでも明るくすることが出来るし、つらいことでも楽しいものにすることが出来る。
みな心持ち一つ、ものの見方一つである。
同じ人間でも、鬼ともなれば仏ともなるのも、この心持ち一つにあると思う。
そうとすれば、人生において、絶望することなど一つもないのではあるまいか。
ただ、この、ものの見方を正しく持つためには、人間は真実を知らねばならないし、また真実を教えなければならない。
つまり、物事の実相をしらねばならないのである。
もちろん情愛は大切である。だが、かわいそうとか、つらかろうとか考えて、情愛に流され真実を言わないのは、本当の情愛ではあるまい。
不幸とは、実相を知らないことである。真実を知らないことである。
人間は本当は偉大なものである。真実に直面すれば、かえって大悟徹底し、落ち着いた心境になるものである。だからお互いに、正しいものの見方を持つために、素直な心で、いつも真実を語り、真実を教え合いたいものである。』
父さんは、この文章に共感したんだと思います。
父さんの『真実』って、余命なんですよね。
『10年』が余命を宣告されてから、残された日々でした。
父さんは心持ちを明るくすることが出来たのかな…
落ち着いた心境になれたのかな…
そんな心境に居た父さんの姿を、微かな記憶の中に思い出しました。
あの頃、毎日腰を曲げて辛そうな背中を見てた僕は、
『友達のお父さんが、運動会で元気に走っててうらやましい』
と母親に愚痴った事がありました。
しかし、あの背中は、病魔と戦ってた背中だったんですね。
今、誇らしげに思える背中です。
以前お話ししましたが、僕がまだ3歳の頃、お父さんは病気になりました。
その後、腎臓移植を含めた大きな手術は沢山しました。
そんな生死をさまよった頃にお父さんが読んでいたであろう本が出てきました。
今までもその本の存在は知ってましたが、かなり古く、興味を抱きませんでした。
先日、ふとその本を読みました。
『道をひらく』という松下幸之助さんの本でした。
今でも読み語られ続けてますよね?
で、何気なく読んでいました。
すると、二カ所に折り返しがありました。
多分、お父さんが感銘を受けたページだったんだろうと思います。
亡くなって二十年以上経った今、本当に、今、発見しました。
正直、読むのを躊躇いました。
が、当時のお父さんの年齢に追い付いた僕にも、当時のお父さんを理解出来る事があるかもしれないと、見開きました。
『ー真実を知るー
人間は、ものの見方一つで、どんなことにも堪える事が出来る。
どんな辛いことでも辛抱出来る。
のみならず、嫌なことでも明るくすることが出来るし、つらいことでも楽しいものにすることが出来る。
みな心持ち一つ、ものの見方一つである。
同じ人間でも、鬼ともなれば仏ともなるのも、この心持ち一つにあると思う。
そうとすれば、人生において、絶望することなど一つもないのではあるまいか。
ただ、この、ものの見方を正しく持つためには、人間は真実を知らねばならないし、また真実を教えなければならない。
つまり、物事の実相をしらねばならないのである。
もちろん情愛は大切である。だが、かわいそうとか、つらかろうとか考えて、情愛に流され真実を言わないのは、本当の情愛ではあるまい。
不幸とは、実相を知らないことである。真実を知らないことである。
人間は本当は偉大なものである。真実に直面すれば、かえって大悟徹底し、落ち着いた心境になるものである。だからお互いに、正しいものの見方を持つために、素直な心で、いつも真実を語り、真実を教え合いたいものである。』
父さんは、この文章に共感したんだと思います。
父さんの『真実』って、余命なんですよね。
『10年』が余命を宣告されてから、残された日々でした。
父さんは心持ちを明るくすることが出来たのかな…
落ち着いた心境になれたのかな…
そんな心境に居た父さんの姿を、微かな記憶の中に思い出しました。
あの頃、毎日腰を曲げて辛そうな背中を見てた僕は、
『友達のお父さんが、運動会で元気に走っててうらやましい』
と母親に愚痴った事がありました。
しかし、あの背中は、病魔と戦ってた背中だったんですね。
今、誇らしげに思える背中です。