姫路市 なかむら整骨院~日本初・医学的根拠ある整体~

内海聡医師、薬害研究センター認定セラピスト。日本初、医学誌に掲載された整体。

決勝で…

2008-07-30 | Weblog
こんにちは。


高校野球の県予選もいよいよ終わりですね…

今年の兵庫県、甲子園出場するには絶好のチャンスやったんですよね?
確か、90回記念大会になり、兵庫県からの出場校が東西に分かれて、二校なんですよね?

今年春の全国選抜ベスト4の東洋大は…早々に敗退しました。

涙を流した直後、わざわざ当院へ御礼を言いに来てくれました。

で、今日は神戸弘陵の野球部の患者さんです。
写真の彼、ゴッツい頑張った選手です。

先日決勝まで行き、報徳に負けました…

が、昨年までは試合に出れるかどうか、又、野球が出来るかどうかまで追い込まれた選手でした。悩まれた彼のお父さんからもお電話を頂き、2人して悩んだ時期もありました。
とても息子想いのお父さんで、とても羨ましかったな…。

そして、見事に復活した選手なんです。

ですから今日来てくれた時は、

『ほんまに良く頑張ったな』

って、心底語りました。
とてもクールな彼は、いつも『はい』か『いいえ』の会話が多かったんです…
で僕も今回は、オッサン心に火が付き

『決勝で負けて泣いたやろ!』

と、クールな彼を攻めてみました。

すると…

さすがに後一点で甲子園に出場してた野球部の選手です。

見事な返しをされました…

『いえ、悔いの無い試合をしましたから、涙はありませんでした』


かっ、格好えぇ~

オッサンの僕、純粋な甲子園物語に触れられました。


ありがとう。

君は、ほんまに頑張ったね!
尊敬してます。

次は大学野球、応援するで!

朝顔発見です。

2008-07-27 | Weblog
おはようございます。

今朝は曇り空でしたが、今は晴れ晴れしました。

暑い中、思い切ってサイクリングに来ました。

朝顔発見です。


多分、ここ数年見てませんでした。


ひまわりもキレイな時期ですね…。

暑い中、汗ダクダクでサイクリングして良かった。

日曜日の早朝は、大好きです…。

ユニバーサルスタジオジャパンにやって来ました。

2008-07-23 | Weblog
こんばんは。


やって来ました。

初めてやって来ました。

ユニバーサルスタジオジャパンです。


今まで行きたいとは、『全く』思わなかったのですが…

僕の息子は生後半年ですから、遊べるアトラクションはほぼ無いですし、今回遊びに連れて行く予定は、『海遊館』でした(息子は、魚を見てもまだ何のこっちゃ分からないでしょうが…僕が行きたかったので、提案しました)。

さぁ『海遊館』目指し、家を出発したのが15時過ぎでした。

まっ、海遊館なら涼しくて夕方からなら空いてるだろうと考えました。
で、車で阪神高速湾岸線を走ってると、家内が
『ユニバーサルスタジオや』

と言いました。

看板には舞洲出口と書いてあり、ここからならユニバーサルスタジオが近いなと話しました。

しかも、夕方パスポートなら15時から安い料金になるし、アトラクションに乗らなくても、ブラブラするのも楽しいかも?
と、舞洲出口が迫る車中、家内とチャイルドシートで爆睡している息子と僕の三人で、

『緊急ミーティング』

を開催しました。


で、僕もユニバーサルスタジオのスパイダーマンのTシャツを息子に着せたら『オモロー!』かな?と親バカ好奇心も芽生え、

『行く?』
『どうする?』
『行こか?』
『どうする?』

のやり取りが続き、

『う~ん、行ってみよか♪』

で、すぐに車のシジキを左に出し、ギリギリ出口を下りました。


意外に車が少なく、すぐに入場出来ました(駐車場代金、高過ぎよぉ!高過ぎて、入場料と勘違いしましたよ…)。

しかしスタジオ内に入った途端、ごっつい人と、ごっつい熱気、みんなごっつい汗をかいてました。


やはり、正しい選択肢は、涼しげな『海遊館』やったかも…

と思いましたが、入場すると意外にハリウッド気分になってきました。
が、ここで話しはかわりますが、スタジオ内の演出って『東京ディズニーランド』とどちらが上手いか御存知ですか?

勿論東京ディズニーランドなんですが、何故だか御存知でしょうか?

実は、スタジオ内に入った瞬間に勝負が決まってしまうらしいですね…

どんな勝負かと言いますと、現実逃避らしいです。

ユニバーサルスタジオは、入場しても外の高速道路が見えたり、外部の関係無い倉庫や工場が見えたりしてしまいます。
ですから、スタジオ内に洗脳されきれないらしいのです。

ところが東京ディズニーランドなら、外部の現実社会は完璧にシャットアウトされるように、上手く外を隠してしまってるそうな…
なるほど…東京ディズニーランドなら、ミッキーマウスの耳みたいな飾りを頭に着けても恥ずかしく無い理由も理解出来ますね。
成りれるって訳ですね…

確かに、ユニバーサルスタジオではKittyちゃんの耳みたいな飾りをしてる人は少なかったな…

僕もKittyちゃんには成りきれませんでした…多分似合いますがね!

しかしこの日、僕達『なかむらファミリー』は運がついてました♪


まず歩いてると、ユニバーサルスタジオのスタッフの女の子が

『今からここで、セサミのショーが始まりますよ』

と、教えてくれました。

みんなシートをひいたりして場所取りされてましたが、偶然通りかかった僕達は待つ事無く、真っ正面からセサミを見れました。

息子もセサミのクッキー好きなモンスターは知ってましたから、一応?最期まで見てくれてました。

で、その後近くにある写真館に入りました。

ジュラシックパークの恐竜や、ジョーズを使った合成写真を作ってくれるらしく、2600円かかりましたが、思い切ってトライしてみました。

これ、かなり楽しいですよ♪

僕の息子は(残念ながら)僕に似てしまい、生後半年なのに、結構オッサン顔なので、写真も意外に子供らしくないんです…

ところが!出来上がった写真を見て、写真館のスタッフの方が

『とても素晴らしいお写真が出来ましたので、よろしければ展示用として使わせでいただいてよろしいでしょうか?』

と言って頂きました(ちょっとスター気分にさせられましたね…これってみんな言われてるのかな?ユニバーサルの演出かな?)。

まっ、もしかユニバーサルスタジオに行かれる事がありましたら、『なかむらファミリー』を見付けてみて下さいね!

ちなみに写真は、息子が恐竜に噛まれて引っ張られ、僕と家内で恐竜から息子を引っ張り返してる写真です。


結構面白いですよ♪


で、『運』もついてきましたが、『運』にも一休みはある様子。

次はハンバーガーを食べたくなり、写真館から少し歩いた所のハンバーガー屋さんにはいりました。

ハンバーガーにも種類があるらしく、ミンチだけのハンバーガーがあるのって皆さん御存知でしたか?
僕は知らなかったんです…

肉がバラバラなんですよね…訳が分からず僕が注文したハンバーガー。

しかも、野菜やらソースは自分でトッピングするらしく、味はバラバラ、野菜は乗せすぎでパンで挟めず、しかも肉もバラバラ…。

しまいには、隣に盛ってあるポテトも巻き込む始末で、ハンバーガー定食を全部ゴチャゴチャに混ぜて食べてる気分になりました。


正直、味は…マクドナルドのが良かったな…

それからスタジオ内を汗だくで歩き(アトラクションは一切乗らず)、ジュラシックパーク近くで無料で写真を撮ってくれるお兄さんと出会いました。
御存知ですか?


『はぁ~い、では写真を撮りま~す。
1、2、3、ガァ~っ、オォ~っ』

『はい、お疲れ様でした。
写真、確認して下さいね♪
どうですか?良いですか?

なら、はいっ、オッケーザウルスで~す』

って言われました。

『オッケーザウルス』か…現実社会に戻っても、どこかで用いたくなるフレーズや~。


で、ユニバーサルスタジオのエンディングは、ピーターパンショーなんですよね?

そこで…なかむらファミリー、一気に運気上昇するんです。


忘れもしない、ピーターパンショー。
皆さんが場所取りされてるポイントから少し外れの席を陣取り、かき氷を食べながらショーを待ってました。
イチゴのかき氷はとても大きく、甘い汁がこぼれ落ち、手がネタネタになりました。


すると…

ピーターパンを見せてやろうと前向きで抱っこをしてましたが、どうやら息子の股が濡れてる気がしました。

すると…

何やら異臭が…

しかし、かき氷が手に付いてた僕は、自分の手がベトベトしてると勘違いしてました。


すると…

ピーターパンショーが始まり、少し明るい場所に着たその時!

僕の手は、息子のオムツから溢れ出た『ウンコ』だらけになってました。

しかも、バック・トゥ・ザ・フューチャーのアトラクション前での出来事…映画ファンの方なら御存知でしょ?バック・トゥ・ザ・フューチャーのビフって悪役が車で牛の糞に突っ込むシーン。
ちなみに、カラダの大きかった僕は昔、この悪役に似てたらしく、ラグビー部では『ビフ』って呼ばれてました。

そんなビフ繋がりで、バック・トゥ・ザ・フューチャー前で僕もウンコにまみれました。

もしか将来の息子の時代、バック・トゥ・ザ・フューチャーのタイムマシンがあれのなら、このシーンを見に過去へタイムスリップして欲しいですね…

まっ、勝手ですが、自分の息子のウンコって別に汚いとか思いませんが、平然と訳も分からず澄ました顔の息子は頼もしかったですね…。


そんな僕の手は綺麗に洗いましたが、閉館時間が迫り、お楽しみのスパイダーマンTシャツは購入出来ませんでした…


まっ、最期に『運』が『ウ~ン』と付きましたから、ウンとしましょう♪

ユニバーサルスタジオ、アトラクション無しでも結構楽しいかも♪

久しぶりに再会しました。

2008-07-19 | Weblog
こんにちは


昨夜は平日でしたが、食事会のお誘いがあり、行って来ました

久しぶりに写真の先輩が神戸に帰って来られたので、会いに行って来ました。

数年振りです


この先輩は、淡路や須磨、そして先日までは東京の病院に勤務され、今年から神戸医大に帰って来られました。


この先輩、豪快な笑顔をしながら、豪快な笑い声で、豪快な診察?をされるお医者さんです。


まっ、診察は豪快ではありませんよね…冗談です。

そんな先生と、久しぶりにお話し出来ました。
物凄いエネルギッシュな先生でして、沢山僕を指導してくれました。

昨夜帰宅した僕は、かなりエネルギーを充電されたのか興奮してしまい、ナカナカ寝付けませんでした…


そんな先生の勤務されている神戸医大ですが、お話しをしてるうちに、思い出した思い出があります。


数十年前、僕のお父さんが入院してた病院なんです。

いつも、神戸電鉄の湊川駅?から徒歩で神戸医大まで見舞いに行ってました。

幼少の頃の記憶ですが、覚えています。

湊川駅から歩いて、最後の角を曲がると、広い通りに出ます。

で、左手には今で言うコンビニがありました。そこらから神戸医大が見えます。

そこで、父さんが好きなサンドイッチとコーヒーを買って行ってました。
お店を出ると、9階の左から二番目に父さんの病室の窓が見えます。

いつもそこから付き添ってる母さんが手を振ってくれました。

そんな日常が週末の日課でした。

昔の神戸医大は、木造で如何にも大学病院みたいで、如何にも大学教授らしい教授がデーンと座り、父さんを診察してくれてました。

記憶にある印象的な言葉は
『中村さん、新しい薬が出ましたので、飲んでみて下さい』

父さんは、独り言のように、『ワシは薬の実験やな…』
と洩らしてました。

確かに、医学の進歩の真っ只中に居たんだなぁと、今同じ病名で居られる患者さんを見ると思います。
昔は治せなかった病も、今は比較的治癒率が高くなってる病もありますから…

そんな昔の病院のきしむ階段やら、暗い病室や、教授との会話も、何となく怖いイメージがありましたが、年々綺麗に改装されていきました。
今は更に改装されてるのかな。


そんなある年のクリスマス、珍しく病室で僕は父さんと2人っきりになりました。

父さんは『彰宏、どんぶりでも食べるか?病院の前にうどん屋さんがあるから買って来てくれるか?』
と、何となく初めての男同士の会話をした気になりました。

確か親子丼を食べましましたが、これが最後の男同士の食事でした。

翌年、病院から近い、湊川神社に初詣に行きました。

クジで鉛筆が当たりました。

そんな時、不思議な予感がしました。

『来年、父さんはここに居ないかもしれない』と。

その数日後のある土曜日、母さんから電話がありました。

『彰宏、明日はいつもより早い時間の電車に乗って、病院においでな。』

何の疑いも無く、いつもより早い電車に乗りました。

日曜日の空いた電車の雰囲気は、独りぼっちで不安気な僕の寂しさを、より大きくさせました。

そして湊川駅に着き、いつものコンビニみたいなお店で父さんの好きな、サンドイッチとコーヒーを買いました。

いつもの日常と違う感じがしたのは、そのお店を出た瞬間でした。

母さんが、いつもの9階の病室から手を振ってませんでした。


不安になった僕は、急ぎ足で病室に向かいました。

そこには、意識が朦朧とした父さんと、涙を我慢した母さんが居ました。

六人部屋の他の患者さんは、小さな僕を元気付ける様に話し掛けてくれました。

それから病室は、慌ただしく、目まぐるしく動き回りました。

意識が朦朧とした父さんは、僕の手をギュッと握り締めました。

その後、一時間もしないうちに意識が無くなりました。

最期に言葉を発したのは
『おはようさん』
でした。

その後個室に移り、最期を看取りましたが、主治医の先生からは、今後の医学発展の為、解剖をさせて欲しいとお願いされました。

承諾しましたが、数時間の解剖の後、頭の先から包帯でグルグルになっていました。


そして、主治医の先生は
『お父さんの内臓や細胞は、この大学病院にずっと保管され、研究されます。ここにはお父さんが居るからね』

と言ってくれました。

その後僕は、父さんの病気の遺伝の可能性を調べるため、約一ヶ月入院し、骨を削る手術もし、全て検査しました。

お陰様で大丈夫でした。
あれから数十年が経ちました…

未だに神戸医大の近くに行くと、父さんの細胞はまだあそこにあるのかな?と思い出します。


小さい時は、将来、父さんの細胞からサイボーグになって、また父さんと会えるかな?とダジャレを思い付きましたが、細胞は、サイボーグの語源?なんかな…?

さてさて…

そんな故人を想う一日でした。

良く頑張った選手です。

2008-07-13 | Weblog
こんにちは。


暑いですね~!

今、接骨院の会議に来ています。

今、休憩中です。

年間何回着るか分からないスーツを着てきました。

ですから、余計暑い1日となっています。



さて、中高生の患者さんは今、大会の真っ只中です。

試合前に怪我をするも、三年生にとって最後の試合であるため、早期回復を目指し奮闘しております。

しかし…負けて引退して行く選手も多いです。

写真の彼女、かなり速い陸上選手です。

先日近畿大会の準決勝まで行きましたが、残念…

昨年は全国大会に行ったのですが、今年は負けてしましました。


で、わざわざ車で一時間もかけて、家から整骨院に御礼を言いに来てくれました。


『先生のお陰でここまで来れました』


と言ってくれました。


僕が高校三年生時代に『~のお陰で』と言えてたかな…

彼女の気持ち、涙が出るくらいに嬉しかったです。


彼女は、一年生の頃から当院を利用してくれていました。

汗をかきながら電車に乗って着てくれた日、 試合の前日、『明日は必ず走らせてくれ』と2人で試行錯誤した日、『怪我してたのに、ベストが出ました』と手を取り合った日々。


良く頑張ったね。


次は受験やね。


君なら大丈夫!


またメールしてや♪

南京町行って来ました。

2008-07-07 | Weblog
こんばんは。


先日西遊記のお話しを途中まで読みました。


で…影響されたのか、やたらと中華料理を食べたくなりました…



行って来ました♪


久しぶり、神戸の南京町です。


土曜日の夕方でしたが、かなりの人、人、人でしたよ。


南京町は食べ歩きが主ですが、たらふく食べ歩きしました。


『餃子』、
『神戸牛ラーメン』、
『豚の角煮ラーメン』、
『中国チャンピオン肉まん』、
『ゴマ団子』、
『エビチリ肉まん』、
『ふわふわマンゴーパフェのタピオカ入り』
でした。


この日一番は、写真の『肉まん』…では無く、『ふわふわマンゴーパフェ』でした♪


次回ご紹介させて頂きます。


で、写真の『肉まん』…


中国でNo.1のチャンピオンが作ったらしい肉まん屋さんの肉まんです。


ド派手な店構えで、第1回と第2回チャンピオンがずらりと並び、デカい写真が看板。
いかにもNo.1って感じでした。


確かに、美味しかった♪


しかし、一個90円で、僕の掌の四分の一サイズでしたから、一個では物足りなかったな…量より質…かな?

しかし、ちいさな幸せでした。

が!551の豚まんがある時!のが大きな幸せ?かも!?


さて今から月曜日、今週も頑張って行きましょう。

アメリカ産チェリーをいただきました。

2008-07-05 | Weblog
こんにちは。


汗がダラダラ出る蒸し暑さですね


こんな季節、カラダの調子を崩される方が増えている気がします。


さて写真のチェリー、アメリカ在住の方から直接いただきました。


ごっつい美味しいですよ


毎年頂くのですが、楽しみなんです。


もうすぐブドウの季節ですし、ワクワクですね。
ブドウも毎年、お墓参りの帰りに、小野市の青野ヶ原付近で畑からの直売店で買います。

種無しブドウのピオーネが美味しいですよね…高いですけど
チェリーって種ナシありましたっけ?そのうち、種ナシチェリーも出るかな?


しかし、種ナシって批判的に見る学者さんもいらっしゃいました。

人類の発展過程において、『種』の無いものをカラダに入れるなんて、もってのほかだ!

ここ100年くらいの間に人間が便利だと、勝手に作った食べ物は、人間には必要無い!ましてや、カラダに害が無いと何故言い切れる!

歴史は証明していないぞ!

種があり、発展する食べ物を食べなさい。

みたいな講演を聞き流した記憶がありました。

まぁ、色々考え方があります。

あれはダメ、これはダメみたいな情報社会…


ピオーネの美味しさには負けてしまうかも…

西遊記のお話し。

2008-07-02 | Weblog
こんばんは。


皆さん、先日
『懸賞の神様』
のお話しをさせていただきました…


実は…『懸賞の神様』のお陰で当選した、ハイチオールCドリンクですが…


引換期限が先日の日曜日まででした…



『懸賞の神様、御夫婦様』ごめんなさい…引換に行くのを忘れてました。


さて話しは変わりますが、先日のお話しの続きです。


『西遊記』で有名な玄奘さんは、西暦600年か602年か604年(色々説があるやら…)に洛陽の近くの陳留県で貧しい家に生まれたそうな。



10歳の頃父が亡くなり
(僕と同じ!)、

口減らしの為に寺に預けられ、614年に得度して僧となり

(僕とは違った…)、

玄奘の法号を得たとされています。



その玄奘が長安を出て、天竺に向かったのは、唐の時代、629年のことでした。


ところが玄奘、何度も天竺行きを政府に願い出ましたが、許可が下りず、結局は国禁をおかして出発することになったそうな…

経典を求めて天竺に向かった玄奘は、

様々な苦難を乗り越えながら旅を続けます。


このあたりから、堺正章らの孫悟空が登場するのでしょうか…
現実はそうは行かなかった様子です。


ひとり砂漠を行き、死にかけたこともあるやら。


目的地のナーランダー寺院に着いた時は、出発から六年近く経っていました。


当時のナーランダー寺院は、
アジア各地から学僧が集まる、
国際仏教大学のような所でした。


玄奘はナーランダーで五年間勉強し、634年帰国を決意します。


そして、出発から16年後の636年、1月24日、長安の都へ帰って来ました。


ここで一つ疑問が湧きます。



玄奘は、帰りは3年で帰ってこられたのに、何故、行きは6年近くもかかったのでしょう?


この答え、わかりますか?

勿論、つまらない答えではありません。


行きも帰りも、全く同じ道でもありませんが、これはヒントでもありません。ですから、近道はしていません。


シッカリ意味のある答えがあります!


では、次の更新まで考えてみて下さいね!